ジェンダーについての記事や書籍に携わる編集者・ライターの福田フクスケさんが毎回ゲストをお迎えしてジェンダーの問題についてトークしていく連載「やわらかジェンダー塾」。Vol.10のゲストは、前回に引き続き、メンズリブやポップカルチャーを研究する小埜功貴さん。お二人が好きだという「お笑い」をめぐるジェンダーのあれこれについてトークしました。

芸人同士のブロマンスも、『M-1』ファンの萌えポイント?

——今回は「お笑い」をテーマに、福田さんがお話してみたいことがあるそうです。
福田さん:はい。『M-1グランプリ(以下『M-1』と呼称)』のようなお笑いの賞レースって毎年盛り上がると思うんですけれど、これまで女性コンビの優勝者っていなかったよなと思いまして。決勝戦まで残ったことはありますが、それもわずか。これってどうしてなんだろう? という素朴な疑問から、今回は話していきたいなと。
小埜さん:そもそも『M-1』は2001年から始まって2010年に一度終了、その後2015年に復活しています。復活に伴い、それまで結成10年以内であることは出場条件だったのが、結成15年以内までに拡大したんですよね。
それにより、『M-1』の世界が“おじさん化”している。また、キャリアが長い人が増えた分、技術力も上がっている。女性の芸人に技術がないというわけではなく、ジェンダーの障壁みたいなものはあるのではないかと思います。
福田さん:私が思うに…お笑いコンビの“男同士の関係性”に萌えるというか応援したくなる人がたくさんいる、というのがお笑い界を支える基盤のひとつになっていると思うんです。
『M-1』などの番組でも、出場コンビのこれまでの軌跡を追うような紹介ムービーがやや過剰に作り込まれてるじゃないですか。二人の関係性までもを含めたサクセスストーリーを楽しんで消費する、という作りになっている。そこでは、ブラザーフッドというかブロマンス(男性同士の親密で特別な関係性)的な“男同士の絆”が持ち上げられているように感じるんですよね。その世界観の中に、女性コンビや男女コンビの物語はうまく入り込めないんじゃないかなと、個人的には思っているんです。
実際にはお笑いの世界って、いわゆる男社会に見えます。でも、ファンとして応援する分には、男性同士の熱い友情とかライバル関係とか、きれいな部分だけを見ていられるのでは、と感じています。
小埜さん:アイドルファンの世界でも、アイドルを疑似恋愛的な相手として見るのではなく、アイドル同士の関係性を“観察者”の立ち位置で楽しむファンが増えてきていますね。
福田さん:男性同士のブロマンス的な関係性が女性ファンから支持されるのはわかるんですが、一方で、男性も男性同士の熱い関係みたいなものって結局好きじゃないですか。
小埜さん:そう思います。
福田さん:ただ、男性が男性同士の関係に萌えるのって、それこそ「努力・友情・勝利」みたいな『少年ジャンプ』的なお題目の流れの中にあるように見えます。そういう意味で、賞レースを勝ち上がって成功をつかむみたいな、『M-1』的な達成ストーリーっていうのは、それ自体がすごく男性的だなとも思うんです。
なので、男性ファンと女性ファンそれぞれが感じているブロマンス的な輝きとか男同士の絆みたいなものって、実は性質が違うのかも?と思うことはありますね。
シスターフッドが「お笑い」に結びつきづらい理由

小埜さん:逆に、シスターフッド的なお笑いってあるのかな…って考えたりするんですけど。女性トリオとか出てきているとは思いますが、お笑いを脱構築してくれるような女性の芸人が出てくれば、お笑いのイメージも変わっていくのかなと思います。
福田さん:シスターフッド的なお笑いと聞いて、パッと思いつくのは阿佐ヶ谷姉妹でしょうか。
小埜さん:確かに!
福田さん:あの二人って、本当の姉妹ではないけれど、共同生活をしていて、中年女性同士の仲のよさという世界の中で笑いを作っている。
他に、女性の芸人が活躍しているところを想像すると、ピン芸人のナンバー1を決める『R-1グランプリ』では、女性の決勝進出者も多いですし、優勝者もいますよね。ピン芸人の場合は、関係性の物語に左右されることもなく、個人の芸や面白さで評価されるから、女性の芸人も勝ち上がっていきやすいのかもしれません。
阿佐ヶ谷姉妹は珍しい例ですが、女性のコンビやトリオでシスターフッド的なお笑いを賞レースの文脈でやるのって、難しいのでしょうか…。
小埜さん:これは僕が思っていることなんですが…、女性的とされてきたジャンルに男性が参入するパターンはまだまだ少ないと感じます。前回も語りましたが、男性アイドルの男性ファンはかなりレアです。
女性たちの領域って、ある種“聖域化”されているようなところがある。男性がそこに入るには、「男子禁制」的な女性領域の開放と、男性が女性領域へ越境することを受容するという価値観へ変わらないと難しいなと思います。
——シスターフッドも“聖域化”されているもののひとつなのかもしれないですね。それと、男性的な要素が強かったこれまでの「お笑い」とが結びつきづらい。
福田さん:シスターフッドの歴史的背景には、差別や抑圧されてきたところから解放されるための連帯であったり、傷ついてきた立場の人たちが癒し合ってきたという側面が強いと思うんです。
そういった要素と、「賞レースで競い合って勝ち上がる」というスタイルとの相性が悪いような気がするんですよね。
どちらかというと、ひな壇におけるトークバラエティのほうが、協調的な押し引きやチームワークが必要なので、女性芸人が活躍しやすい印象があります。
今のお笑いに求められているのは、「人(にん)」の面白さ

小埜さん:そもそもお笑いって、ある種の“逸脱”みたいなところがあると思うんです。何か変なことをすることによって「何やってんだよ」と笑ってもらえる。そういったノリはステレオタイプな男性のイメージじゃないでしょうか。
福田さん:確かにそうですね。いわゆる男性学的な文脈で言うと、社会的に何かを達成したり獲得することができなかったときに、逸脱することで承認されたり称賛されたりしようとするという。まさに男性的な行動だと思います。
小埜さん:あとは、個人的に最近使っている言葉で「犠牲を伴った平安」という言葉がありまして、お笑いもその要素をはらんでいるなと。今ある平安状態っていうのは、何かの犠牲を伴ったうえで成り立っているものなんじゃないか…という話です。
誰かをいじったりして、犠牲になる存在がいる上で笑いが生まれたり。それって、わりと多くの芸人がやってきた構図ですよね。でも、最近ではそういった芸は世間にウケなくなってきているとも感じます。
——世の中が「お笑い」に求めるものが変わってきている?
小埜さん:文春オンラインが発表している「好きな芸人ランキング」で、2018年からサンドイッチマンが3連覇している。彼らって、誰かを落として笑いを取るようなスタイルじゃなくて、いかつい見た目の中年男性二人が仲良くしているのがかわいいみたいなところがウケているということです。
僕が個人的に大好きなジャルジャルも、“犠牲の上のお笑い”はあまりやっていないと感じます。
福田さん:最近、芸人の世界で「人(にん)」っていう言葉をよく聞きます。芸人の個性とか、キャラクターとか、人間性みたいな意味なんですよね。
「人(にん)」で笑わせるとか、「人(にん)」が評価されてる、みたいな使い方をするみたいで、それを最近テレビでよく聞くようになりました。
小埜さん:それは性別関係なくですよね。
福田さん:はい。今のお笑い芸人の需要って、ネタとか芸の強度だけではなく、「人(にん)」と呼ばれるような人間性の魅力が評価されないと、売れていかないんだなと。
小埜さん:僕たちが日常で会話する中で生まれる笑いって、あくまで「人(にん)」で笑ってることが多いですよね。別に、「芸」で笑ってるわけじゃないから。
そういった、僕らの日常にあるようなリアリティ性みたいなものが、今お笑いの世界でもウケているんでしょうか。友達と会話しているような感じというか。よく考えたら、それってYouTuber的ですね。
福田さん:確かにそうですね。
小埜さん:今は芸人さんでもYouTubeをやっている方が多いですし、その辺りはどんどん融合されていっているのかもしれません。
——男性コンビか女性コンビか、といったことにかかわらず、お笑いのスタイルが変わっていくことで、これまでとは違った「お笑い」の可能性が広がっていきそうですね。
イラスト/CONYA 画像デザイン/齋藤春香 企画・構成・取材・文/木村美紀(yoi)