2022年、年明けに妊娠出産を公表された富永京子さん。社会運動研究者として、変わりゆく社会を冷静に見つめてきた富永さんですが、出産を経て、自身が「母になった」と思われることに対して、どこか腑に落ちない、複雑な気持ちがあったそうです。

対談後編は、富永さんが「体が苦手分野」と切り出し、始まりました。自分の司令官は頭?体? 長田さんがそれまでの考え方を改めたという実体験も伺いました。

富永京子 Tominaga Kyoko
1986年生まれ。 立命館大学産業社会学部准教授。社会運動について研究をしている。著書に『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)、『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)、『みんなの「わがまま」入門』(左右社)など。朝日新聞東京版で「富永京子のモジモジ系時評」を連載中。
長田杏奈 Osada Anna
1977年生まれ。美容をメインに、インタビューやフェムケアなど、数多くの雑誌で記事を執筆するライター。著書に『美容は自尊心の筋トレ』(Pヴァイン)、責任編集に『エトセトラVOL.3 私の私による私のための身体』(エトセトラブックス)。

前編を読む

vol.2

一枚岩じゃない「頭」と「体」。

ちぐはぐな自分を受け入れるには

個人的なことは社会的なこと。

でも「ホルモンバランスで…」がどうしても言えない

富永
今回、長田さんとぜひお話ししたかったことの一つが、私の抱いた体・心・性の変化や違和感についてです。というのも、出産後のことは自分でも執筆したり、他の取材でも取り上げていただくのですが、毎回論点が社会的なこと、仕事や家事の話に終始してしまうんです。これまで自身の体や性の話題を回避してきてしまったために、いざ語りたいときの語彙が乏しい、そうしてまた向き合うことを避けてしまう、とそんなループに…。とりわけ自分の女性性みたいなものを素直に受け入れられないんです。長田さんにそういう迷いはあまりなさそうと思ったのですが…。
長田
私は自身に対して、わりと中性的なセルフイメージを持っているかもしれない。子どものときは戦隊モノが好きだったり、社会人になってからも一時期男装していたことがあって。それは今も継続して持っている感覚ですね。
実際、「今日は自分の中に女性的とされる部分が多い」と感じる日もあれば、「男性的とされる部分が多い」みたいな日もあって。そういったセルフイメージのバランスが、日によって緩やかに変わるのが、わざわざ言わないですけど当たり前で。もしかしたら、ホルモンバランスの影響もあるのかもしれないけど。
富永
「ホルモンバランス」…これは絶対に私からは出てこない言葉です。常に自分の意識によって自分の体を統御できると思いたいんですよね。ホルモンバランスによって揺らいじゃう自分が許せないんです。
長田
私は妊娠出産をして、自分が自分だと思っていたものが単にホルモンバランスの采配によるものだったのか?みたいに疑った経験があって。富永さんは内心、そろそろ揺らぐ自分を許したいとは思っている、ということなのかな?
富永
許すほうが人間として自然だと思うし、こんな昭和のサラリーマンみたいな自分はイヤ(笑)。でも、変えたくてもなかなか変えられないという感じなんです。
長田
頭で考えたことが、心や体の司令官として全身をすべてコントロールできるという考え方は根強くありますよね。脳の仕組みとしてはそうかもしれないけれど、私はそれは理性のおごりでは?と思っていて。頭が主で体と心が従みたいな関係ではなく、もっとフラットな位置にあるイメージのほうが楽に生きられるように感じます。現代人は特に!

自分を追い立てる自分。

「自分軍曹」に別れを告げるまで

長田
理性のおごりの話でいうと、私もある時期までは「自分は性能のいい歯車として、ハードボイルドに社会に貢献するべきだ」と思っていました。子どもが一人だったときまでは、自分で自分に鞭を打つ心の中の軍曹、〝長田軍曹″と共存していられたんです。でも、子どもが二人になったとき、私の手は二つしかないし、長田軍曹の要求に応える手がなくなってしまって…。それでも無理して軍曹のしごきに耐えていたら、とうとう倒れました。それで、このまま長田軍曹と一緒にいたらダメだと一念発起して、お別れしたんです。
それは、妊娠出産を経て自分が変化したことの一つかもしれないですね。〝長田軍曹を頑張らせることができない体″になったし、出産前後たくさんの不平等や不条理に直面したこともあって、「そこまでして社会に貢献しなきゃいけない義理はないな」と我に返っちゃった。富永さんの中にもいますか? 自分を追い立てる〝自分軍曹″。
富永
私の中にもいるでしょうね。何年か前に、長田さんが双子の子育てをしている方に「大変だよね。手は二つしかないもんね」っておっしゃっていたのが印象的で。ただ、そのときの私は「そうか。そうなったらもっと働いて人を雇って、手を増やせばいいんだな」と思ったんですよ(笑)。軍曹をより強める方向に解釈したんです。
長田
そうだったんだ(笑)。でも、そういうやり方もありだし、人によりけりだと思いますよ。
富永
でも、私もそのうち無理がくると思うんですよね。「そうなったときは、今度こそ気がついてくれよ」と自分に対して思っています。
長田
あくまでも私の体験では、自分軍曹と別れたことでだいぶ楽になったけれど、どっちがいいか悪いかということではないと思います。もちろん、自分に活を入れることが必要な場合もあるでしょうし。ただ、「軍曹とはいつでもさよならできる」、その選択肢だけは持っておいて、と思います。それから、軍曹はひょっこり戻ってくることもあるんですけど、そしたらまたやっつければ大丈夫です(笑)。
富永
なるほど。自分もちょっとずつ変わっていかなきゃと思っていたのですが、焦って変わらなくてもいいのかな。

生きざまは人それぞれ、だけど。

「私」の悩みから、「私たちの場所」へ

長田
富永さんが朝日新聞東京で連載されている「富永京子のモジモジ系時評」、面白く拝読しているんですが、私はこのタイトルもすごくいいと思っていて。そのモジモジこそが結構大事なんじゃないかと思うんです。
富永さんが「私は変わったほうがいいのか。でも、もし変わったとしてそれは私なのか」っていうモジモジの振り幅の中で考えたことや、見た風景を「私たちの場所」でシェアしてくれることに意味があるというか。その姿に、励まされる人はたくさんいると思います。
富永
ありがとうございます。
私は、体・心・性に向き合って感じたことを、なかったことにしたくないんですよね。34歳のときに子どもをつくるかどうかで悩んだわけですけど、それって妊娠出産において35歳が年齢の壁だっていうよく言われる話だけを、自分の体の状態と切り離して恐れているからですよね。だからこそ、例えば40歳で子どもを産んだ芸能人のニュースを見て安心した気持ちになったりもする。そういう自分が悩んで、考えていたことを、なかったことにはしたくないんです。
出産したと公表することって、それまで悩み続けていた自分を帳消しにしてしまうことのような気がして、それにも抵抗を感じていました。
長田
その抵抗感をスルーしないところが富永さんの誠実さだと思う。たとえ、「赤ちゃんが生まれました」「おめでとう」できれいにまとまる話だとしても、それを簡単には選ばない。そこが信頼できると、私は感じます。
富永
ありがとうございます。長田さんに聞きたいことは尽きないので、またぜひお話しをさせてください。
長田
私も楽しかったです! またぜひお会いしましょう。

撮影/花村克彦 取材・文/阿部洋子 企画・編集/小島睦美(小説すばる) 高戸映里奈(yoi)