『きみの鳥はうたえる』
デジタル配信中 DVD¥4,180、Blu-ray¥5,720/発売:日活 販売:TCエンタテインメント
©HAKODATE CINEMA IRIS
何者でもなかった、忘れられない時間
彼らはいつも遊んでばかりいる。アパートの部屋で、音楽が鳴り響くクラブで、楽しそうに酒を飲み、くだらない話をして夜を明かし、朝焼けの街を散歩する。彼らの様子はただただ幸せそうで、見ているこちらもつい笑みがこぼれる。だけどときおり、その幸福さが無性に悲しくなる。
現在『ケイコ 目を澄ませて』が公開中の三宅唱監督が、佐藤泰志の小説を映画化した『きみの鳥はうたえる』。函館の本屋で働く「僕」は、同僚の「佐知子」と急速に親しくなる。ただし、仕事をサボってばかりいるだらしのない「僕」は、佐知子との関係にも明確な定義を求めない。恋人なのか、時々セックスをする友達なのか。わからないまま、一緒に暮らす友人の「静雄」を含めた三人で、毎日をただ楽しく過ごしている。
彼らはおそらく20代半ばくらいだろうか。その顔や体つきは、若いとはいえもう十分大人になりきっている。それを必死で拒否するかのように、二段ベッドのある小さなアパートでルームシェアをし、コンビニで大量の酒とつまみを買って酒盛りをしたり、バカげたことで大笑いをしたり、ときには店先に飾られた花を盗んだり、いかにも子どもっぽい遊びに興じている。かと思えば、朝はしっかりとごはんを作り三人で食卓を囲む。無鉄砲さと律儀さが同居するさまは、どこかちぐはぐで、おかしさが増す。
そんなふうに楽しく過ごしていたある日、静雄の身辺に予期せぬ不幸が降りかかる。心配そうに見守る二人に、静雄は自嘲ぎみにこうつぶやく。「罰があたったんだろうな。毎日こうやって遊んでるから」。その言葉に、佐知子はすぐさま反論する。〈遊んだり飲んだりしてなにが悪いの?〉
佐知子の言葉は、この映画が投げかける問いそのものだ。毎日酔っ払い、音楽にのってダンスをし、街をふらふらと歩き回る、そんな若者たちの緩みきった体を美しく映しとること。この映画は、ただそれだけに専念する。彼らの心の葛藤や、社会に向ける視線や思いがどんなものなのかは、よくわからない。三人は心情を吐露することもなく、ただ毎日遊んだり飲んだりするだけなのだから。でもそれでいい。ただ人々が楽しむ時間を見つめるだけの映画で、〈なにが悪いの?〉。そう堂々と宣言する姿勢に、胸がすっとする。
けれどそんな佐知子の言葉を、静雄は「子どもみたいなこと言うなよ」と一蹴する。「わかってないよ、佐知子は」。きっぱりとしたその口調に、彼女は何も言い返せない。そうして三人の関係は、否応なく変化していく。
動物のように駆けまわる彼らのまわりには、最初から、現実の暗い影が張りついていたのかもしれない。その暗い影から逃れようと、三人は喜びと酔いに身を任せていた。佐知子も本当はわかっていたはずだ。遊んだり飲んだりするだけの幸福な時間は、いつかは終わってしまうのだと。だからこそ、この時間が少しでも長く続いてほしいと願ったのだ。
映画はそんな三人の刹那的な時間を映しつづけ、私たちは楽しさと悲しさを同時に抱きながら、その様子にじっと目を凝らす。〈遊んだり飲んだりしてなにが悪いの?〉佐知子の言葉は、この映画を観る私たち自身の希望だ。いつか世界の残酷さに直面するまで、彼らには、限られた時間をぞんぶんに遊びほうけてほしい。
文/月永理絵 編集/国分美由紀