『わたしの好きな季語』川上弘美 ¥1870/NHK出版
季語から学ぶ、「ありのまま」を慈しむこころ
野ばらとモンステラのある部屋で暮らしている。
モンステラは、今年の夏に起業したお祝いとして友人が贈ってくれたものだ。青々として張りがあり、光の差す方向に蔓が伸びていくのが、日々見ていておもしろい。いっぽう野ばらは、とうに枯れている。昨年の秋、依然として明けないコロナ禍と、不惑の歳を迎えながらも安定とは程遠い日々に鬱々としていた頃、近所の花屋で枝ものを見つけたのだった。
買ってしばらくすると、蔓は緑から茶へ、水気をなくして萎れていった。けれどしなやかに描く弧は保たれたまま、実も、蔓の先で赤のまま美しく在り続けようとしていた。その姿を眺めていて、久しぶりに心が動いた。以来、ともに居る。枯蔓になってからのほうが、しっかりと意味を持って、この部屋に存在しているようにも感じている。
街を自由に歩けなくなって、部屋に花を飾るようになった。開けた窓から聞こえてくる音に、景色を思い描くようになった。同じような感覚で、俳句に親しむようになった。俳句は17音で景色を切り取るものである。
『わたしの好きな季語』は、川上弘美さんによる俳句エッセイ集だ。
季語をタイトルに日々のエピソードが綴られ、最後に、その季語が使われた名句が添えられる。春夏秋冬96通りの風景を、川上さんと一緒に眺めているような感覚も味わえる。
〈百年も二百年も前につくられた繊細な細工の首飾りを、そっと自分の首にかけてみたような、どきどきする心地でした。〉
巻頭エッセイ「日永」では、季語を使ってはじめて俳句をつくったときのことをこう語る。かつて生きた誰かが、季節のなかから拾い上げた言葉を、現在を生きる私たちが使ったり読んだりする。言葉で繋がっていると思える。
秋の季語「つくつくぼうし」では、こんな句が紹介される。
〈つくつくぼーしつくつくぼーしばかりなり 正岡子規〉
ツクツクボウシの鳴き声が、「ツクツクボウシ」から「オーシツクツク」と少しずつずれていくあの感覚を思い出す。焦らなくても大丈夫。人生も、世界だって、こんな風にゆっくり動いていくのだと、耳の記憶から安心感を得る。
そして、冬の季語「枯枝」に書かれてあったことは、まさに私の心象風景なのだった。
〈青々とした時には、その勢いを。そして、茶色く枯れた時には、その寂莫とした静けさを。〉
それぞれの持ち味を、差別せずにただありのままに良しとするのが季語の精神であることを川上さんは綴り、自らの老いと惑いを景色のなかに見る。枯れゆく姿をも愛でながら生きていきたい。若さ礼賛? めんどくさい……。と言いつつも、そんな精神で〈生きてみたい〉と願望で結ぶ正直さ。矛盾したふたつを持ちながら生きていてもいいのよと、言ってもらえたようだった。
そういえば。モンステラを贈ってくれた友人は、この植物に「壮大な計画」という意味があることを教えてくれた。
あ、と思って野ばらを調べて思わず笑ってしまった。
書かれてあった言葉は「孤独」。あまりにも、ではあるまいか。
けれど今、モンステラと野ばらがひとつところにある部屋での暮らしを、私はけっこう気に入っている。
1980年生まれ。中央大学大学院にて太宰治を研究。10代から雑誌の読者モデルとして活躍、2005年よりタレント活動開始。文筆業の他、ブックディレクション、イベントプランナーとして数々のプロジェクトを手がける。2021年8月より「COTOGOTOBOOKS(コトゴトブックス)」をスタート。
文/木村綾子 編集/国分美由紀