数々のメディアで執筆するライターの今祥枝さん。本連載「映画というグレー」では、正解や不正解では語れない、多様な考えが込められた映画を読み解きます。第10回は、小児性愛嗜好を持つ著名な作家と少女の実話に基づく『コンセント/同意』です。

今 祥枝

映画・海外ドラマ 著述業 ライター・編集者

今 祥枝

『BAILA』『クーリエ・ジャポン』『日経エンタテインメント!』ほかで、映画・ドラマのレビューやコラムを執筆。ゴールデン・グローブ賞国際投票者。編集協力に『幻に終わった傑作映画たち』(竹書房)ほか。イラスト/itabamoe

小児性愛嗜好を持つ著名な作家を告発した問題作『同意』の映画化

映画 コンセント同意 主人公の13歳のヴァネッサの写真

13歳のときに、母親に同伴した席で著名な作家ガブリエル・マツネフと出会った少女ヴァネッサ。巧妙な手口で「自ら恋に落ちた」と信じ、彼との関係にのめり込んでいく。注目の若手俳優キム・イジュランが、13歳から18歳までのヴァネッサを好演。

2020年1月に出版された1冊の本が、本国フランスで大論争を巻き起こした。編集者のヴァネッサ・スプリンゴラ(出版当時48歳)が著名な作家を告発した問題作『同意』だ。


スプリンゴラが作家「G.」に出会ったのは13歳のときだった。「G.」は50歳だった。スプリンゴラの両親は離婚しており、出版社に勤めるリベラルな母親とその友人の大人たちに囲まれて育った彼女は、母親に同伴した席で彼の視線を感じる。思えばこのとき、文学が好きで、内気な少女だったスプリンゴラを「G.」は小児性愛嗜好である捕食者として“獲物”と定めたのだろう。それからは学校の前で待ち伏せをし、文学的で情熱的な愛の手紙を数多く送り、家庭でも学校でも孤独な少女の心の隙間に入り込んだ。やがて、スプリンゴラを学校や家庭から引き離し、彼女が14歳のときに自分の愛人にした。


この小説に書かれている「G.」とは、フランスの作家ガブリエル・マツネフ。1970年代以降、規制の道徳や倫理に反逆する風潮の中で、定期的にフィリピンへ買春旅行に出かけるような小児性愛者であることを隠さず、公の場に年端もいかない少女たちを“愛人”として連れ歩き、自身の小児性愛の体験を題材にした作品で名を馳せた。彼と数年間にわたり性的関係を持ったスプリンゴラが、一部始終を「物語」としてつづった『同意』を映画化したのが本作だ。

社会全体が「同意」した14歳の少女と50代の作家の愛人関係

映画 コンセント同意 小児性愛嗜好の作家ガブリエル・マツネフの写真

フランス文学界のスターとして、長年君臨し続けた作家ガブリエル・マツネフ。小児性愛嗜好を隠すことなくスキャンダラスな文学作品に仕立て上げ、時代の寵児となった。性的虐待やパワハラによって数々の少年少女たちの人生を破壊してきた忌むべき人物を演じるのは、国民的人気ドラマ『女警部ジュリー・レスコー』や映画『セラヴィ!』などに出演するフランスのベテラン俳優、ジャン=ポール・ルーヴ。

このようなマツネフの行為がなぜ許されていたばかりか、称賛され、また1975年に始まった人気テレビ文芸番組「アポストロフ」に6度にもわたって出演することができたのか。劇中ではこの番組のほか、時の大統領の覚えもめでたかったこと、またフランスの知識階級、エリートたちがマツネフの作品を理解できる「自らの優れた審美眼」に酔いしれているかのような姿も映し出される。


一方で、道ゆく人々はマツネフに対して眉をひそめ、当初はスプリンゴラの母親もマツネフは「変態」だから近づくなと娘を叱っていた。しかし、すぐに母親は文学界の寵児たるマツネフにひれふす。そうすることが知的な人間がする行為とでも思い込んでしまっているのか、あるいは、父親の不在につけ込み、母親に対しては娘の保護者であり、また夫の代わりでもあるかのようにふるまうマツネフの巧妙なグルーミングの常套手段に乗せられたのか。


映画業界でも少女たちをセクシュアルに映し出す、「ロリータ」趣味が流行した時期がある。いや、そうした傾向は今でも認められるかもしれないが、当時の社会的背景として、特にフランスでどのようにマツネフが持てはやされていたのかは、そうした映画を通してもよくわかるはずだ。


マツネフ本人が犯罪者であることは間違いない。しかし、フランス文学界、マスメディア、そして周囲の大人たちや母親も含めて、当時の社会全体がスプリンゴラとマツネフの愛人関係に「同意」したのである。

肉体的、精神的な虐待の描写を避けないことが監督としての責任

映画 コンセント同意 マツネフとその愛人となったヴァネッサの写真

マツネフを喜ばせるために、すべてを捧げるヴァネッサ。ヴァネッサ・フィロ監督は、性的暴力の表現をやわらげることなく、肉体的、精神的虐待を描き出す。それは映画の観客も覚悟を要する表現だろう。

映画は、原作と同様に徹底してスプリンゴラの視点から描かれる。13歳の彼女は母親や大人たちへの反抗心もあった。とはいえ、マツネフのような捕食者に狙われたら、罠にかかるまでにひとたまりもなかっただろう。


自分はマツネフという大人に恋をして、彼を愛した。だから、彼に要求されること、特に性行為に関しては嫌だ、不快だと感じたとしても、盲目的に従った。なぜなら、愛する彼を喜ばせたかったから。しかし、「自らの意志で彼との関係を選んだ」と信じている彼女の行為を映画として客観的に観ている私たちには、いかに巧妙にマツネフにそう仕向けられたかがわかって居た堪れない気持ちになる。いわんや大人になってから、そのことに気づいた当人の気持ちは、いかばかりだっただろうか。


マツネフとの初体験から以後の性的行為の数々は、ことの詳細が容赦なく描かれる。近年の傾向として、映像作品では性被害、レイプシーンなどは必要最低限か描くべきではないという考え方が強まっている。観客にトラウマを引き起こす可能性があること、またその描写自体が被害者への二次加害になる可能性が高いことや、女性を性的に搾取していると解釈できることなどが主な理由だ。


しかし、本作のヴァネッサ・フィロ監督は、「性的暴力の表現をやわらげたり、避けたりすることはできないとわかっていた」と語っている。「精神的、肉体的弱さをも逃さず公平であり続け、映像化することが方針であり責任である」と。この決断についての是非は、議論があって然るべきだと思う。


その言葉の通り、スプリンゴラ役のキム・イジュラン、マツネフ役のジャン=ポール・ルーヴは多大なリスクを承知の上で、この難しい撮影に渾身の演技で臨んでいる。だからこそ、生々しい性的虐待の描写は真に迫っており、本当にこれが14歳の少女が体験したのかと思うだけで吐き気を催す。


さらに肉体的な虐待ばかりか、マツネフは小説として二人の関係を書き残すことによって、長期にわたってスプリンゴラを精神的にも虐待した。だからこそ、彼女はマツネフに作られた自分像ではなく、彼女自身の「声」で物語を語り直す必要があったのだ。


『コンセント/同意』は、映画を観る私たちにも耐え難い負荷を強いる作品だ。私は原作を読んだ時におぞましさに身震いし、同時に自分もまた芸術という名のもとに、少女たちの犠牲の上に成り立った作品を消費してきた自己嫌悪で胸がむかついた。しかし、映像が与えるインパクトは、また別次元での衝撃がある。原作を通して「同意」が意味するもの、とりわけ未成年者の「同意」について考えを深めることができたと思っていたが、映画を観て改めて、自分の認識がそれでもまだ甘かったのではないかと、いまだ葛藤し続けている。


2017年にハリウッドから世界に広まった#MeToo運動を経て、現在ではかつてないほど多角的な視点から「同意」の意味が問われるようになっている。卒業旅行のリゾート地にやってきた10代の少女の初体験を描く『HOW TO HAVE SEX』(7月19日公開)、13歳の少年と36歳の女性の不倫を描く実話を題材にした『メイ・ディセンバー ゆれる真実』(2023年/7月12日公開)、またローラ・ダーン主演の『ジェニーの記憶』(2018年/U-NEXTほかで配信中)も本作に通じるものが非常に多い。ぜひ、これらの映画もこの機会に観て欲しいと思う。

映画 コンセント同意 15歳になったヴァネッサの写真

15歳にして追い詰められ、悩み、自暴自棄になっているヴァネッサ。自分を支配するマツネフの存在が、彼女を内側から蝕んでいく。

『コンセント/同意』8月2日(金)よりシネマート新宿ほか全国ロードショー

監督・脚本:ヴァネッサ・フィロ
脚本協力・原作:ヴァネッサ・スプリンゴラ
脚本協力:フランソワ・フィロ
出演:キム・イジュラン、ジャン=ポール・ルーヴ、レティシア・カスタ、エロディ・ブシェーズほか
配給:クロックワークス
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取材・文/今 祥枝