マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。第18回は『ちはやふる plus きみがため』作者の末次由紀さんにお話を聞かせていただきました。

●『ちはやふる plus きみがため』あらすじ
累計2900万部突破の青春かるたマンガ『ちはやふる』待望の続編ストーリー。舞台は、前作の主人公・千早たちが卒業したあとの瑞沢高校かるた部。全国大会優勝を目指す長良凛月(ながら りつ)だけど、今の瑞沢にはA級選手がたったの一人。親に束縛されている秋野千隼、強かった先輩たちへの複雑な思いを抱える現部長・菫ら、個性豊かな仲間たちとかるたに向き合う成長物語。
ただこの世界が好きで支えている人たちの物語を描きたい
──『ちはやふる plus きみがため』(以下きみがため)は、青春かるたマンガ『ちはやふる』の続編です。前作『ちはやふる』は、冒頭の「お願い だれも息をしないで」というモノローグが鮮烈でした。千早のセリフではあるけれど、作者である末次さん自身の気迫も受け取ったというか。一方『きみがため』は、前作とはいろんな意味で視点が異なる作品ではないかと感じています。
末次さん 『ちはやふる』の第一話は、クライマックスのクイーン戦(競技かるたの日本一を決めるタイトル戦)の回想から始めました。私自身の気迫もこめて、バーンと札を取る千早を冒頭で描いたのですが、15年かけて実際にそのシーンにたどりついたら、あの千早は怖い顔をしすぎていたと思ったんです。本当に強い競技者は追いつめられた時に優しく札を取る。クイーン戦を戦う千早は、札に対してもっと愛情深く、相手に対してもっと誠意を持って試合をしているはずなんですね。千早たちと付き合い続けて学んだ日々とのギャップを実感して、「ああ、私、全然わかっていなかったなあ」と思いました。
そんなこともあって、『ちはやふる』ではいちばん強くなりたい子のお話を描いたけれども、今私が描くべきものは、強くても弱くても、ただこの世界が好きで支えている側じゃないかと考えて、『きみがため』が始まりました。
──長い連載を終えられて、まったく新しい物語を描くという選択肢も当然あったと思います。あえて続編を描きはじめたのは、そうしたスポットライトが当たりづらい人たちへの思いが大きかったのでしょうか?
末次さん そうですね。『ちはやふる』を描きながら、競技かるたを支えるたくさんの人たちの存在をひしひしと感じていました。トップ選手ではなくてもみんなから尊敬されている人や、自分は競技ができなくなっても違うアプローチで関わりたいと思っている人がたくさんいるんです。「強くないと意味がない」わけがないんですよね。…それと、連載が終わってしばらくしたら、『きみがため』の主人公である凛月(りつ)くんが「僕はまだ言いたいことがたくさんあるんだ!」としゃべりはじめたんですよ(笑)。
──凛月の初登場は『ちはやふる』50巻に収録された読み切りの番外編でしたね。
末次さん 個性の強い新一年生にいてほしくて考えたキャラでしたが、描き終わった後もずっと主張している。「そうか。君の声はとても大きいな」なんて答えていたら、だんだん「僕のことを描け!」と言っているような気がしてきて…。これはもうしょうがないなと思って、キャラクターに呼ばれるような感覚で描き始めました。

©︎末次由紀/講談社
人に頼ってもいい。「助けて」と口に出すことが大切
──作者すら動かすエネルギッシュな凛月ですが、末次さんから見てどんなキャラクターですか?
末次さん もともと凛月は野球もテニスもバスケもやっているような活発な子。でもお母さんが亡くなってから、彼女が学生時代にやっていた競技かるたにシフトチェンジをしています。凛月の根底には、「自分が知らないお母さんのことを知りたい」という思いがあるんですよね。競技では決して強くなかったお母さんが、それでもずっと大切にしていた何かがかるたの世界にある。凛月は勝ち気なので全国優勝したがっていますが、自分が名人になりたいとはまったく思っていないんですよ。

©︎末次由紀/講談社
──そこが面白いですよね。
末次さん お母さんの背中を追っているのかもしれません。そして妹がいることも、彼の個性を作っています。お兄ちゃんだけれど、小さな女の子のお母さん代わりでもある。まだ高校生ですが、大人でも大変なことをしているわけです。高校生らしい生活を楽しめないぐらいの窮地にあるけれど、パワーがあるのであきらめずにがんばっている。仕事で忙しいお父さんの分までサポートしなきゃってすごく肩に力が入っている男の子です。一人でがんばっているときって、うまく「助けて」が言えなくなりますよね。でも、本当は「助けて」と口に出すことはとても大事だし、人に頼ってもいい。そこは大切に描いていきたいですね。
──凛月が同級生の秋野くんに「おれが強いかるた部を作るのを助けて」と言うシーン、心に残っています。
末次さん 秋野くんの境遇もまた困難なので。お互いに「お前もたいがいだな」と思うところがあって、意地を張らずに助けたり助けられたりできる二人なのかなと。

©︎末次由紀/講談社
──末次さんが「助けて」と言うことが大切だと思ったきっかけは何かあったのでしょうか。
末次さん やっぱり私自身が母になったことが大きいですね。自分じゃできないことが多すぎて…。ママ同士のつながりって「お互い様」でできていて、連携が上手なんですよ。今できる人ができない人を助けて、また別のタイミングで自分も助けてもらう。最初は子どもが人と人とをつなぐ接着剤だと思っていたんですけど、本当は子どもができたことで「助けて」と言えるようになったことこそが接着剤なんですよね。誰かを巻き込む力が豊かさに直結するんだと、私は大人になってから知りました。みんな完璧じゃないからこそ、人はつながるし、助け合う。それが楽しいんだなって。

©︎末次由紀/講談社
無視してきた感情に気づいたら、もっと自分を大事にできる
──妹のために奮闘する凛月や母親に過度に束縛されている秋野くん。彼らを見ていると「ヤングケアラー」や「毒親」といった言葉も思い浮かびます。でも作中ではそうした言葉は注意深く扱われていますね。
末次さん 二人が自分のことをそう思っていないのに、そんなに強い言葉を簡単に当てはめることはできませんよね。彼らの親がやっていることはもちろんろくでもないことですが、それぞれの思いがあって、きっと言葉ひとつで収まる話ではない。物語の中の人間にも血が通っているから、やっぱりひと言では語れないんです。

©︎末次由紀/講談社
──そんな彼らの友情を、まぶしく見ています。
末次さん 二人は性格も境遇も全然違いますが、どこか通じるところがありますよね。最近描きながら「あ、この子たちがちゃんと怒れるようになるための話なのかもしれない」と思ったんです。二人とも感情表現は豊かなのに、喜怒哀楽の「怒」の部分だけがぽっかり抜けている。ある意味怒りを奪われた子たちです。そうやって封印して無視された怒りって、消えるわけじゃなくて、きっとどこかにたまっていると思うんですよ。その存在に自分で気づいたときに、凛月も秋野くんも、やっと自分を大切にできるんじゃないかなあ。

©︎末次由紀/講談社
──百人一首という題材の中にも、感情を呼び起こすものを感じますか?
末次さん はい、とても。強い感情があるのに、よくぞこんなに美しく詠むなあと思います。31音に整える段階で、最初の猛烈な感情をクールダウンして客観的にならないと歌にならないはずなんです。元のマグマみたいな強い嫉妬とか怒り、恨みを昇華する歌人たちの力量たるや。思いを長々と書かれていたら時代を越えられなかったかもしれないとも思うんですよ。千年残すために31音にしなきゃならなかった。だから、これだけ美しくした。
──末次さんのマンガの魅力もどこか通じますよね。鮮やかで、テンポがよくて、心を揺さぶられます。
末次さん ありがとうございます。マンガって料理みたいだなと思うことがあります。ストーリーラインや素材がよくても、それを差し出すタイミングや調理法などの技術次第で、おいしいと感じてもらえなくなってしまう。絵も、ずっと同じやり方だと鮮度が落ちます。客観性や構成する力がすごく大事で、いまだにマンガは難しいなあと思いますね。でも、私はやっぱり読んでくださった方に元気になってほしいんですね。『きみがため』にはしんどい状況も色々と描いていますが、競技かるたに挑戦する中で、凛月も秋野くんもきっと自分に出会い直して変わっていくはず。シェフとしてさじ加減を丁寧に考えながら、皆さんに喜んでもらえるマンガを作っていきたいです。

©︎末次由紀/講談社

漫画家
すえつぐ・ゆき●福岡県生まれ。1992年『太陽のロマンス』で第14回なかよし新人まんが賞佳作を受賞、同作品が「なかよし増刊」(講談社)に掲載されデビュー。2007年から「BE・LOVE」(講談社)で『ちはやふる』の連載を開始。2022年8月に完結し、15年の物語に幕を下ろした。2009年に同作で第2回マンガ大賞2009を受賞するとともに「このマンガがすごい!2010」(宝島社)オンナ編で第1位となる。2011年、『ちはやふる』で第35回講談社漫画賞少女部門を受賞。単行本は全50巻、シリーズ累計2900万部超。続編となる『ちはやふる plus きみがため』を「BE・LOVE」にて好評連載中。
マンガライター
マンガについての執筆活動を行う。ソニーの電子書籍ストア「Reader Store」公式noteにてコラム「真夜中のデトックス読書」連載中。2025年4月13日に茨城県土浦市民ギャラリーで行われる「え かく また あした マンガ作家山本美希展」にて、山本美希さんとのトークイベント開催予定。詳細はこちら。
■公式サイト https://yokoishuko.tumblr.com/works

『ちはやふる plus きみがため』 末次由紀 ¥550/講談社
画像デザイン/齋藤春香 取材・文/横井周子 構成/国分美由紀