現代は、誰か・何かと常につながり、時間やマルチタスクに追われ、情報が洪水のように流れ込む「常時接続時代」。スマホやSNSにより<孤独>そして<自己対話の時間>が失われつつあることの危うさについて、哲学者の谷川嘉浩先生にお話を伺いました。
谷川嘉浩

哲学者

谷川嘉浩
1990年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。現在は京都市立芸術大学デザイン科で哲学、教育学、文化社会学の専任講師を務める。『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)、『スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)等、著書多数。

SNSはジャンクなストレスコーピング。本質的な解決には結びつかない

谷川嘉浩 哲学者 ネガティブ・ケイパビリティ スマホ

――急速にモバイル機器が普及した結果、私たちは空いた時間をスマホでの情報収集やSNSに使うようになりました。哲学の視点から見て、その問題点とは一体何なのでしょうか?

谷川先生スマホを使うということは、情報や刺激の濁流に身を置くことです。特にSNSなんて、様々なコンテンツが驚異的な速さで流れてきますよね。そして、関心がなくても無意味にそれを見てしまうことも多い。

どんどん違うものが流れてくるショート動画系なんて特にそうです。つい見てしまいますが、振り返ってみると特に何も得ていないことも多いです(笑)。たぶん、実際はそんなに楽しくないんですよ。

――確かにずっとショート動画を観ていると、暇はつぶれますし、なんとなく楽しい気持ちにもなりますが、記憶に残るものは少ない気がします。「無」をたくさん観て、なんとなく面白がっているだけなのかもしれません。

谷川先生:さまざまなジャンルの動画が数十秒で切り替わっていくショート動画は、うすーく楽しい刺激です。認知のリソースそこまで使わなくてもいい代わりに得るものは少なく、暇だけつぶして通り過ぎていく

いろいろな種類のジャンクフードや強いアルコールで口寂しさを満たしているイメージですね。おいしいけれど大味なので、情報量がうすいから、注意深い鑑賞や観察に堪えない。SNSでの暇つぶしはそんな感じです。

しかし、これは現代で選ばれやすいジャンクなストレスコーピングのひとつだと思います。注意を分散すればするほど、ひとつひとつのことに集中しづらくなり、「ちょっとした酩酊状態」になれるんですよ。この状態でいると、心の中の不安やモヤモヤから注意を逸らせます。

――「ストレスコーピング」と聞くと、悪いものではないのかもしれない、とも思えてきましたが、常時接続によるデメリットとは何なのでしょうか?

谷川先生:「ちょっとした酩酊状態」になることは、意識を消して手っ取り早く自分の不安を払っている状態です。熱があるから解熱剤を飲むみたいな対症療法で、これは根本原因に向き合うようなやり方ではない。対症療法も別にやってかまわないんですが、「ジャンクな刺激」で不安から注意を逸す以外のやり方ができないと困る。本質的な意味で不安を受け止めることができないままですし、解決には至らないからです。ジャンクフードや強いアルコールがその場では楽しい気がしても、長期的に見ると心にも体にもよくないのと同じですね。

<寂しさ>とは、他者がいるのにつながれない状態に感じるもの。<孤独>とは別物です

――それでは、私たちはどのようにして本質的に自分の不安やショックを受け止めればよいのでしょうか? 例えば寂しさによって不安を感じるときは、ついスマホで「孤独」を埋めてしまいがちな人は多いと思います。

谷川先生:まず、<寂しさ>と<孤独>の違いのお話をしたいと思います。ハンナ・アーレントという哲学者の定義を引用させてください。

彼女は<寂しさ>を人に囲まれているときに感じる感情だと言っています。他者がいるのに、その他者とつながれない状態に感じるもの、ということです。そして現在はその<寂しさ>の物理的な距離が広がっています

常時接続によって、「遠くで誰かがワイワイやっている」ところをいつでもどこでも見ることができるようになりました。その結果、身近ではない盛り上がりに対しても「取り残されている気がする」と感じてしまう。物理的に距離のある<寂しさ>も生まれてしまったんです

この<寂しさ>とは、まわりから取り残されることへの恐れです。ちなみにインターネットやSNS上で起きる<寂しさ>には「FOMO」(Fear Of Missing Out)という名前がついています。これは最新情報をリアルタイムでチェックしないと、盛り上がっているメディアを見ていないと、ずっと連絡を取り続けていないと、取り残されてしまうのではないか……という不安のことです。

――それは<孤独>とどう違うのでしょうか? 「孤独=一人=寂しい」と思い込んでいました。

谷川先生:ハンナ・アーレントは<孤独>を「自分自身と過ごしている状態」のことだと言っています。この孤独の時間は、「一人の中に二人いる」だとも表現されるんですね。これは、自分の中にいくつかの自分がいて、その自分たちと過ごす……という意味です。二人と言わず、何人いてもOKだと僕は考えています。

シンプルに言うと「心を分ける」ということです

<孤独>の時間が圧倒的に足りない、常時接続の時代

谷川嘉浩 哲学者 ネガティブケイパビリティ 自己対話

――心を分ける、とはどういうことか詳しくお聞きしたいです。例えば「夢を追いかけたい心」と「諦めて安定を取りたい心」をそれぞれ別の自分として扱う……みたいなイメージでしょうか?

谷川先生:そうですね。例えば「仕事中の自分」「家族と過ごすときの自分」「友達といるときの自分」などの自分を区別するということ。漫画表現であるみたいに、自分の中の「天使と悪魔」みたいなイメージでも、「本音と建前」でもいい。要するに、私たちは心の中に無数の自分を持っているんです。その自分たちをすべて別人として分ける。「心を分ける」とは、自分を一枚岩と考えずに、群衆としてとらえることです

『株式会社 自分』と考えるといいかもしれません。社内では、いろいろな立場の自分が異なる意見を持っている。両立できないプロジェクトが立ち上がることもあるし、争いも起きる。与えられている裁量も違うかもしれません。

そのような立場や意見の異なる自分を分けて考え、その自分たちと一緒に過ごし、対話する。それがハンナ・アーレントの言うところの<孤独>です。異なる自分が複数いて、それらが対話するからこそ、自分の中から新しい考えや手札が出てくる可能性がある。異質なもの同士の出会いの中からしか、新規性というのは生じませんから

しかし、常時接続時代のせいで、私たちにはこの<孤独>の時間が圧倒的に足りていないんですよね。余白の時間があると、すぐに誰かや何かとつながってしまう。スマホによるジャンクな刺激によって<孤独>のための時間を奪われているように感じます。

――逆に考えると「SNSの中の自分」もいるように思います。一人でいるときにSNSをすることを「SNSの中の自分といる」ととらえ、スマホやSNSを通じて自分と向き合うことはできないのでしょうか?

谷川先生:できないとは言い切れませんが、得策ではないと言いたいですね。

私たちはスマホに慣れすぎていて、「SNS上の自分」をかなり発達させているところがあります。なんとなく世間受けしそうな、「誰でもない誰かの期待」を内面化してしまっているのが「SNS上の自分」です。これは不特定多数用の自分なんですよ

――確かに、「不特定多数用の自分」と向き合ってしまうことは、自己対話というより、マーケティングに近くなってしまいそうですね。

谷川先生:「マーケティング的な自分」。それはいい言葉ですね。SNS用の自分とは、「みんながいい人だと思いそうな人」にチューニングを合わせたものですから。

人間はそもそも社会的な生き物であり、誰しも空気を読むことは避けられません。だからこそ、<孤独>の価値は、不特定多数用ではない自分をどう発達させていくかにあるのだと思います。普通に生きていると難しいからこそ、「世間に合わせた自分」「SNS用の自分」とは相反する自己をどう育てるかということが大事なんですよ。

スマホ時代を経たからこその「ネガティヴ・ケイパビリティ」

谷川嘉浩 哲学者 ネガティブケイパビリティ スマホ時代


――インタビューのPart1でお話ししていただいた「モヤモヤをそのままにしておく力」「わからないことを安易に解決せず、向き合い続ける力」である「ネガティヴ・ケイパビリティ」。考え続けることで、これまでにない手札を見つけることができる…というお話しでしたが、その創造性を妨げてしまうのが「常時接続」だというイメージを持ちました。ということは、スマホがない時代、例えば昭和期なんかには、そのような問題はなかったのでしょうか?

谷川先生:そうとも言えないですね。スマホがなかった頃は、確かに通知や刺激は少なかったけれど、そのぶんアクセスできる価値観も少なかった。例えば「女性は教育を受けたらお嫁に行けない」みたいな世界で生きている人が「そうじゃないよね」という価値観にたどり着くことが難しい時代だったと思います。

社会の価値観が特定のものしかない状況では、「他の選択肢はないんだろうか?」と想像することは難しい。たぶん、漠然とした違和感に留まり、具体的なモヤモヤや自己対話の形をとることはほとんどなかったはずです。

でも、常時接続により情報がどんどん流れてくる時代になった結果、私たちは多様な価値観に気軽にアクセスできるようになり、選択肢が急速に広がっている。「他の生き方もある」と気づきやすくなったのは、やはりスマホやSNSの功績です。そういうときにこそ、迷いや悩み、モヤモヤが生じる余白が生まれます

――スマホでさまざまな価値観をインストールした現代だからこそ、「ネガティヴ・ケイパビリティ」にさらなる創造性が生まれた……ということでしょうか?

谷川先生:そうですね。現代の情報の濁流の中で得た知識や価値観をベースに、<孤独>の中でいろいろと考え、想像していく。つまり、SNS以降の多様な価値観を前提に、ネガティヴ・ケイパビリティを発揮しようとするのが望ましいでしょう。今日の日本社会で、メンタルヘルスの分野で「ネガティヴ・ケイパビリティ」という言葉が注目されはじめたのも、スマホが生活や人間の在り方に大変な影響を与えているからこそだと思います。

無数にある情報の中からあたかも自分のことを指しているような言葉を見つけてそれを自分だと思い込むような「自己の単純化」ではなく、得た情報を<孤独>の中で思考に使い、自分の力で新しい自己を探っていくこと、世間に合わせた自分ではない可能性を掘り下げること。それが常時接続に飲み込まれず生きるためには必要だと思います。

イラスト/林めぐみ 取材・文/東美希 画像デザイン・企画・構成/木村美紀(yoi)