今週のエンパワメントワード「何もできないようでも指は動かせる」ー『はちどり』より_1

はちどり
デジタル配信中  DVD¥4,180、Blu-ray¥6,380/TCエンタテインメント
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理不尽な日々の中で自分の輪郭を確かめる言葉

14歳の少女を取り巻く世界は、平凡なようで、ヒリヒリとした痛みに満ちている。韓国のキム・ボラ監督の『はちどり』は、一人の少女の視点を通して、私たちに、世界のもうひとつの見方を教えてくれる。


1994年、「ウニ」は、餅屋を営む両親と、兄、姉と一緒にソウルの大きな団地で暮らしている。親友や彼氏がいて、同性の後輩から恋心を抱かれるウニの生活は、一見何事もなく見える。けれど思春期の少女らしく、ウニは小さな不満をたくさん抱えている。


仲の悪い両親。理不尽に暴力をふるう兄。いい大学に行くことだけが正しいとされる社会の風潮。ウニの首にできた小さなしこりと同じように、彼女の日常にはいくつもの小さな刺が隠れていて、時にぐさりと身を突き刺してくる。そんな彼女の前に、ある大人の女性が現れる。彼女が通う漢文塾に新しくやってきた「ヨンジ先生」。ウニは、タバコを吸い、難しい本を読むかっこいい大人の女性であるヨンジ先生に、恋にも似た憧れの気持ちを抱く。


ヨンジ先生はウニにとって唯一頼りになる大人だ。ろくに話を聞いてくれない多忙な両親とは違い、先生はいつも自分の話に真剣に耳を傾け、どんな質問にもごまかすことなく答えてくれる。ある日、親友との関係や家族の問題で落ち込んだウニは、ヨンジ先生に「自分が嫌になったことは?」と尋ねてみる。するとヨンジ先生は、何度もあると即答する。意外そうな顔のウニに、先生はこんな言葉を返してくれる。〈つらい時は指を見て。指を1本1本動かすの。すると神秘を感じる。何もできないようでも指は動かせる〉。そうして自分の手のひらを見つめ、ゆっくりと指を動かしてみせる。


基本的に、この映画はウニの視点で描かれる。だから周囲の人々が本当のところ何を考え、どんな感情を抱いているのか、ウニも、観客である私たちも実のところよくわからない。いつも疲れた顔の母親にはこれまでどんな人生があったのか。ウニにとって横暴な兄でしかない彼がときおり見せる陰鬱さの原因は何か。彼女の親友がどんな不安を抱えているのか。私たちはただ想像するしかない。


ヨンジ先生も同じだ。大学を長く休学中だという彼女にはどんな過去があり、なぜいつも寂しげな顔をしているのか、劇中ではっきりとは描かれない。それでも、彼女がゆっくりと指を動かし、この言葉をウニに語ってみせるとき、そこには言い知れぬ悲しみと、何かを耐えぬこうとする強い決意が見てとれる。


やがてウニは、理不尽な現実に直面する。現実で起こる多くのことは、人間一人の力ではどうにもできない。人はどこまでも無力で、動かしがたい現実に簡単に打ちのめされてしまう。それでも〈指は動かせる〉とヨンジ先生は教えてくれた。指でなくてもいい。いまの自分にできる最小のことを探しだし、それをじっと見つめること。そうすれば、この大きくて残酷な世界の中で、自分の居場所を見つけることができる。彼女の教えは、自分自身に言い聞かせてきた祈りにも似た言葉なのかもしれない。


この映画の冒頭、ウニが同じように手のひらを見つめるシーンがある。彼女は、両親の仕事を手伝わされたあと、手をじっと見つめている。そこには、労働で汚れた指に対する恥ずかしさと、なぜ自分がこんなことをしなければいけないのか、という苛立たしさが漂っていた。けれどヨンジ先生に教えられた言葉を噛み締めながら、ふたたびウニが自分の手を見つめるとき、その行為の意味はまったく変わっている。


痛みを知り、少女は大人になる。世界の見え方は、映画のはじめと終わりで、大きく変わっていた。

月永理絵

編集者・ライター

月永理絵

1982年生まれ。個人冊子『映画酒場』発行人、映画と酒の小雑誌『映画横丁』編集人。書籍や映画パンフレットの編集の他、『朝日新聞』 『メトロポリターナ』他にて映画評やコラムを連載中。

文/月永理絵 編集/国分美由紀