今週のエンパワメントワード「大切なものはごく僅か 大切なものはごく僅かです」ー『谷川俊太郎選 茨木のり子詩集』より_1

谷川俊太郎選 茨木のり子詩集』選・谷川俊太郎 ¥770/岩波書店

自分にしか守ることのできない心の底にあるもの

この歳になっても休むのがへたくそで嫌になる。
忙しいアピールなんかではなくて、これは自分で自分を扱いきれていないという何よりの証だ。恥ずべきことである。


起き抜けから息継ぎなしで行けるところまでクロールしつづける。毎日そんな働き方をしているのだから呆れてしまう。今日は休もう。そう決めても、スマホを開けば目にとまる未読メールの数が気になって気忙しい。「昨日はお休みをいただいていて申し訳ありませんでした。」申し訳ないことなのだろうか。そう思いつつも、指は勝手に動いている。


本を読むことが好きで、それが仕事になって久しい。けれどうまく小説を読めなくなるときも、ままあって、そんなときに手に取る本がある。詩集だ。ページをめくるごとに時間が流れていく小説と違って、詩集は、開いたページの奥へと深く入っていく印象がある。言葉が杭となって、止まり方を忘れてしまった私を留めてくれる。
そして茨木のり子さんの綴る詩は、いわば信号旗Kだ。この旗を、海の上で船が掲げたときに示すサインは、“私はあなたと交信したい”。


〈ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて〉――「自分の感受性くらい」
〈そんなに情報あつめてどうするの そんなに急いで何をするの〉――「時代おくれ」
〈人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を持つべきなのだ〉――「みずうみ」


「大男のための子守唄」では、心臓のポンプが軋むほどに息せききって働きつづける者に対してこう諭す。
〈大切なものはごく僅か 大切なものはごく僅かです〉


休むのがへたくそなのも、考えてみれば理由があった。
いつのまにか大切なものが増えていって、そのひとつひとつを大事に思うほどに、自分を後回しにするようになっていった。好きを仕事にできているのだ。何を惜しもう。でも待てよ。大切なものって、そもそも何だっけ?
〈それが何であるかを問わないで〉と続くこの詩に、「みずうみ」の一節が呼応するように響く。


〈それこそ しいんと落ちついていて 容易に増えも減りもしない自分の湖 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖〉


増えてゆく大切なものを守るために、何より大事にしなければならないもののあることに、はたと気づく。自分自身を大切にできない者が、いったい何を守れよう。


自らの手で荒立ててしまった水面が、しだいに凪いでいくのを感じる。〈大切なものはごく僅か 大切なものはごく僅かです〉今度はちゃんと、疑問符なしでそう言える。
信号旗Kを掲げた船が、ゆっくりと遠ざかっていく。私は詩集を閉じて、休むことをはじめる。

木村綾子
木村綾子

1980年生まれ。中央大学大学院にて太宰治を研究。10代から雑誌の読者モデルとして活躍、2005年よりタレント活動開始。文筆業のほか、ブックディレクション、イベントプランナーとして数々のプロジェクトを手がける。2021年8月より「COTOGOTOBOOKS(コトゴトブックス)」をスタート。

文/木村綾子 編集/国分美由紀