今週のエンパワメントワード「着飾るより姿勢が大切」ー『心と体と』より_1

心と体と
デジタル配信中 Blu-ray¥5,280/オデッサ・エンタテインメント
2017© INFORG - M&M FILM

無視することのできない「心」と「体」

ハンガリーの首都ブダペスト郊外にある食肉処理場で働きはじめた若い女性「マーリア(通称マリカ)」。不安げな彼女の様子をじっと見つめるのは、職場の上司「エンドレ」。ハンガリーのイルディコー・エニェディ監督の『心と体と』は、孤独に生きてきた二人の男女が、ある夢をきっかけに心を通わせるまでを描いた、ちょっと不思議なラブストーリー。


マーリアとエンドレは、どちらも他人とのつき合いに問題を抱えている。マーリアは、驚異的な記憶力を持つ一方で、あらゆる面で融通が利かず、他人との距離がうまく掴めない。そのため親しい友人も恋人もできず、職場では孤立している。一方、一見普通の社会生活を送っているかに見えるエンドレも、恋愛にはひどく臆病だ。その背景には、片手が不自由なこと、そして年老いた自分の体へのコンプレックスがある。


人と深くつき合うことを恐れながら、心の奥では誰かのぬくもりを求めているマーリアとエンドレ。そんな二人にはある共通点があった。実はまったく同じ鹿の夢を、毎晩それぞれに見ていたのだ。奇妙な一致に戸惑いながらも、互いの夢を打ち明けるうち、二人は徐々に親しくなる。


エンドレに好意を抱きはじめたマーリアは、初めての恋を成就させようと試行錯誤を重ねる。恋愛には見た目も重要らしいと気づいたマーリアが、職場の鏡で自分の外見のチェックをしていると、その様子を掃除係の女性「ジョーカ」が目撃する。マーリアが恋に落ちたと知り、人生の先輩であるジョーカはこうアドバイスする。男に好かれたいなら、みすぼらしい格好はやめて自分に似合う格好をしなさい。ただし、と彼女はここで重要な指摘をする。〈着飾るより姿勢が大切〉。


恋愛映画では、内気な女性が恋に目覚めるとともにダサい服を捨ておしゃれに変身し、周囲をあっと驚かせるシーンがよく登場する。まるで魔法にかけられたシンデレラのように、ヒロインは華麗に変身し、恋の相手を虜にする。でもこの映画ではそんなふうにはマーリアの変身を描かない。ジョーカがぶっきらぼうに教えてくれたように、いちばん大切なのは姿勢を正すこと。高価な服を買わなくても、背筋を伸ばし優雅な身のこなしを覚えるだけで、印象はがらりと変わる。


徐々に自信をつけはじめた彼女は、エンドレと急速に距離を縮めていく。だが、これまで他人と距離を置いて生きてきた彼女たちの恋は、そううまくは進まない。人に触れられることに恐怖心を抱くマーリアと、自分の体に自信を持てないエンドレ。体の触れ合いをめぐって二人はすれ違い、亀裂はどんどん広がっていく。


この映画が面白いのは、二人の関係が成就するには、「心」だけでなく「体」のつながりも重要だと示すところ。自分は相手の体とどう触れ合いたいのか。もしくは触れないままでいたいのか。人間の性欲や性行為をめぐるあれこれは、側から見るとどこか滑稽だが、エニェディ監督は、人間の生々しい側面から目を逸らさず、心と体とをめぐる問題をしっかりと描いてみせる。舞台を食肉処理場に設定したのは、人と人との関係を築くうえで、肉体の存在を無視することはできないと示すためかもしれない。


夢と現実を行き来する二人は、どんなふうに心と体とを近づけていくのか。恋の行方はもちろん気になるが、マーリアという女性の成長にも心をひかれる。恋に落ちたあとも、彼女は髪型や服装を大きく変えたりはしない。でも確かに何かが変わる。〈着飾るより姿勢が大切〉という助言どおり、当初はぎこちなく体をこわばらせていたマーリアは、ぴんと背筋を伸ばし、エンドレと向き合おうとする。自信に満ちた彼女の顔があまりにも美しくて、見ている私も、思わず姿勢を正していた。

月永理絵

編集者・ライター

月永理絵

1982年生まれ。個人冊子『映画酒場』発行人、映画と酒の小雑誌『映画横丁』編集人。書籍や映画パンフレットの編集のほか、『朝日新聞』 『メトロポリターナ』ほかにて映画評やコラムを連載中。

文/月永理絵 編集/国分美由紀