今週のエンパワメントワード「人生が終わるわけでもない。覚悟もしてたし。進むだけよ」ー『未来よ こんにちは』より_1

『未来よ こんにちは』
デジタル配信中 DVD¥4,180、Blu-lay¥5170/発売:シネマクガフィン 販売:ポニーキャニオン

©2016 CG Cinema・Arte France Cinema・DetailFilm・Rhone-Alpes Cinema

変化も傷も、そのまま受け入れ歩む覚悟

長年、高校の哲学教師として働き、パリで家族と暮らしてきた「ナタリー」。娘と息子は無事独立し、同じく教師をしている夫「ハインツ」と二人、穏やかに歳を重ねていくだけーーそう思っていた。ところがある日突然、夫から浮気を告白されてしまう。離婚をし、新しい恋人と暮らしたいという夫の言葉に、ナタリーは唖然とするばかり。


あたかも、みじめな中年女性を主人公にしたコメディ映画のような幕開け。でもミア・ハンセン=ラブ監督の『未来よ こんにちは』は、ありきたりのコメディ映画とはまったく違う。イザベル・ユペールが演じるナタリーは、夫に泣いてすがったり、復讐を誓ったり、自暴自棄になって飲んだくれたりなどしない。新しい恋人探しに奔走したりもしない。頭がよく、どんな相手にも臆さず意見を言うナタリーは、ショックを受けつつ、どうにか冷静さを保ちつづける。


とはいえ、25年間連れ添った夫の裏切りが平気なはずはない。そのうえ、認知症が急激に進んだ母を施設に入居させざるを得なくなり、猫アレルギーにもかかわらず母の愛猫を引き取るはめに。さらに懇意にしていた出版社からは「あなたの書くものは時代遅れだ」と通告され、さすがのナタリーも、昔の教え子「ファビアン」を相手に、「40を過ぎた女は生ゴミね」なんて自虐めいた言葉をつぶやいてしまう。


恩師の弱音にファビアンは驚き、「きっと新しい恋人ができるはず」と慰めの言葉をかける。一方のナタリーは、「いまさら年寄りと暮らすなんて我慢できないし、若い相手なんてもっと無理」とすげない返事。しばらく愚痴を言ったあと、彼女はこうきっぱり言い放つ。〈人生が終わるわけでもない。覚悟もしてたし。進むだけよ〉


自虐とともに思わず口をついて出た言葉。けれど、それはナタリーの人生のモットーそのものだ。大切な人と別れようが、仕事をひとつ失おうが、人生は終わらない。無理に前向きになるでもなく、かといって絶望に浸ることもない。ひとりで生きていく覚悟はとっくにできている、というかのように、彼女は人生の波乱をただそのままに受けとめ、前へ前へと進んでいく。


離婚を機に、ナタリーの人生にはさまざまな変化が訪れる。初めての孤独。慣れない猫との暮らし。夏のバカンスの過ごし方も変えざるをえない。心機一転と、ファビアンとその仲間たちが暮らす山小屋を訪ね、自然のなかで若者たちとの交流を楽しむが、やがて自分と彼らとのあいだにある大きな壁に気づいてしまう。お気に入りのファビアンとの会話も、昔のようにはうまくいかない。誰だって、ずっと同じ場所にはいられないのだ。変わってしまった関係に寂しさを覚えながらも、ナタリーはすべてを受け入れ、ひとり前を向きつづける。


何があろうと決して後ろを振り返らないナタリーを見ていると、生きることとは、時間の流れに身をゆだねることなのだと気づかされる。時間の流れは残酷だけれど、過ぎ去っていく時間によって癒やされる傷もある。


気づけばいくつもの季節が過ぎ、ナタリーの人生には、失われたものの代わりに新しいものたちが加わっている。そうして今日もまた、彼女は前へ前へと進んでいく。

月永理絵

編集者・ライター

月永理絵

1982年生まれ。個人冊子『映画酒場』発行人、映画と酒の小雑誌『映画横丁』編集人。書籍や映画パンフレットの編集のほか、『朝日新聞』 『メトロポリターナ』ほかにて映画評やコラムを連載中。

文/月永理絵 編集/国分美由紀