今週のエンパワメントワード「体の中の叫びを見つけて」ー『君はひとりじゃない』より_1

君はひとりじゃない』DVD発売中  ¥4180/発売・販売:バップ
©︎Nowhere sp. z o o., KinoSwiat sp.z o. o, D 35 S. A., Mazowiecki Fundusz Filmowy 2015 all rights reserved.

体を通して向き合い、解放する内なる声

ポーランドのマウゴシュカ・シュモフスカが監督したこの映画の原題は『BODY/CIAŁO』。「BODY」は英語、「CIAŁO」はポーランド語で「体」を表す。たしかにこれは体をめぐる映画だ。生きることに一度つまずいてしまった人々が、どのように立ち上がり、どうやって他者とつながりあうのか。とかく「心」の問題としてとらえられがちな繊細なテーマを、本作では人々の「体」を通して探っていく。


摂食障害を患う娘「オルガ」と、検察官として働く父「ヤヌシュ」。母「ヘレナ」が6年前に亡くなったあと、父と娘の関係はうまくいっていない。オルガは家に引きこもり、食べては吐く、を繰り返す。一方ヤヌシュは淡々と食べ物を体に詰め込んでいく。仕事で目にするおぞましい死体にもまったく動揺を見せない。そんな父のすべてが、娘には気に食わない。二人のやりとりは切実だが、どこかとぼけた味わいがある。


病状が悪化したオルガは、入院し、治療を受けることになる。そこで出会ったのは、セラピストの「アンナ」。アンナの治療法はユニークだ。摂食障害の患者たちを集め、好きなようにダンスをしてと呼びかける。互いに誰かになりきり演技の会話をさせる。強い怒りを抱える者にはマットを殴らせる。壁に描かれた体の輪郭を自己分析させる。一貫しているのは、体を使い、声を出させること。そうして小さく縮こまった患者の体をゆっくりと外へ開かせていく。


ここにはさまざまな人間の体が登場する。痩せ細った体。たっぷりと肉のついた体。生命を失った体。欲望をまとった体。調理されすっかり形の変わった動物の体もある。登場人物は皆、自分の体の中に感情を押し込め、硬直状態にあるようだ。オルガは父に対するどうしようもない憎しみを抱え、自分の体を痛めつける。ヤヌシュは娘の怒りに気づきながらも、自分の殻に閉じこもる。いつも背すじをまっすぐにのばして歩くアンナにも、かつて自分を見失った時期があったらしい。


アンナは、セラピーの中でこう呼びかける。〈体の中の叫びを見つけて〉と。思い思いに言葉を叫んでみよう。自分が内に抱える声を認識し、それを吐き出して。それは、縮こまった患者たちの体を開かせ、自分を解放させるための呼びかけだ。この一見何気なく発せられたアンナの言葉が、治療の枠を超え、映画全体にじわりと染み込んでいく。


実は、アンナには、セラピストとは別の顔がある。あることをきっかけに霊能力を手に入れた彼女は、霊媒師として大切な誰かを失った人々の手助けをしている。彼女の前には、死んだ人も生きている人も、まったく同じように肉体を持って現れる。時には声だけが聞こえることもある。アンナにとって、生者と死者の区別は曖昧だ。生きる人の体が発する叫びを導き、死んだ人の声を届ける手助けをする。まさに「声/叫び」の媒介者だ。


アンナは、オルガとヤヌシュの周囲に、死んでしまったヘレナの存在を感じ始める。ヘレナには、家族に何か言いたいことがあるようだ。その言葉を、自分が代わりに届けたいとアンナは申し出る。こうして3人は、死者の存在を通してつながり合う。


父と娘は、死んだヘレナの声を聞こうとじっと耳をこらすうち、ふと気づく。自分たちは生きている相手の声すら聞こうとしていなかったかもしれない。オルガが何を求め、ヤヌシュは何を言いたかったのか。二人は互いを見つめ直し、やがて〈体の中の叫び〉にも耳を澄ます。自分の内なる声を聞き、他者の存在を認めること。その大切さを、二人はようやく理解する。


生と死との間を漂う3人が過ごす、奇妙な時間。はたして彼らが何を見いだしたのか、その答えは観客それぞれにゆだねられる。それでも、彼らの顔に晴れ晴れとした笑みが浮かんでいるのを、私たちは確かに見るだろう。

月永理絵

編集者・ライター

月永理絵

1982年生まれ。個人冊子『映画酒場』発行人、映画と酒の小雑誌『映画横丁』編集人。書籍や映画パンフレットの編集の他、『朝日新聞』 『メトロポリターナ』他にて映画評やコラムを連載中。

文/月永理絵 編集/国分美由紀

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