元競泳日本代表の伊藤華英さんは、女性アスリートをはじめとする若い世代に対して、生理の正しい知識を広める活動を行なっています。生理によって十分にパフォーマンスを発揮できなかったご自身の経験から、伊藤さんが中心となって2021年にスタートしたのが「1252プロジェクト」。1252ってなんの数字? その答えは、アスリートはもちろん一般女性にも、生理と上手に向き合うことの大切さを教えてくれます。

女性スポーツ選手の生理の悩み、想像できますか?

日本を代表するスイマーとして2012年まで競泳界の第一線で活躍し、北京五輪、ロンドン五輪にも出場した伊藤華英さん。現在は1児の母としても多忙な日々を送りながら、講演会や執筆活動を通じてアスリートの支援に尽力。特に、女性アスリートが抱える生理の課題に関する教育や情報発信の活動をしています。

長い手脚が印象的な鍛えられたボディで軽やかに現れた伊藤華英さん。さっそくですが「1252プロジェクト」について教えてください! 1252にはどんな意味があるのでしょう?

にこやかな笑顔を見せる伊藤さん

1年間52週のうち、女性は約12週分もの月経(生理)期間を過ごしています。つまり12/52、ですよね。生理教育をメインに扱う私たちの活動の象徴として、女性選手が生理と上手に向き合い、“月経コンディショニング”ができるようになってほしい、という願いを込めて『1252プロジェクト』(公式サイト https://spo-tome.com/1252-top/)という名前を選びました。

そもそも女性アスリートと生理問題について考える発端となったのは、私自身の選手時代の経験でした。2008年北京オリンピックの際、生理をずらすために初めて飲んだピルが体質に合わず、体重が増えてすっかりコンディションを崩してしまったんです。これはピルが悪いのではなく、私に知識がなかったことが問題だったのですが…」

さらに引退後、この課題に取り組む決定的なきっかけとなったのは、伊藤さんが2017年に総合スポーツ雑誌に書いた記事。2016年のリオ五輪で、中国人競泳女子選手が「生理が重なって自分の泳ぎができず、チームメイトに謝った」と発言したことなどを取り上げ、スポーツ界において女性アスリートの月経コントロールがいかに大きな課題となっているかを指摘した内容でした。その記事が掲載されると、女性スポーツ選手と生理に関するインタビュー依頼や質問が伊藤さんのもとにたくさん舞い込み、想像以上の反響があったといいます。



「この経験を通して、女性アスリートが抱える生理の悩みや課題と向き合うことの大切さを、もっと伝えなければ、と思うようになりました。まず、若い世代に生理の正しい知識を広める活動が必要だし、指導者にも伝えたい…。でも、私個人としての発言には限界があります。団体としてより広い活動ができないかなと思っていたところ、コロナ禍で試合がなくなった学生の進路支援を進める一般社団法人『スポーツを止めるな』(2020年発足)が一緒に活動してくれることになり、『1252プロジェクト』が2021年3月にやっとスタートしました」

PMS(月経前症候群)を知らずにいた、現役時代

このプロジェクトは、生理に関して正しい知識がない若い女性アスリートや、生理の悩みがあっても「誰に相談していいかわからない」と不安に感じている中高生やその指導者、家族などに広く情報を提供すること、そして相談に対応できる場所をつくることを目指しています。

プロジェクトの活動について語る伊藤さん

「私の現役時代は、生理は完全に個人の問題とされていて、誰かに相談できるような環境ではなかったですね。競技会では1、2分単位でスケジュール管理をしますから、もしも生理が重なったら、レース前にタンポンをいつ入れるかまで考慮しなくてはならないのが大変で…。でも、10代の頃は、生理をずらすためにピルを飲むなんて考えられなかった。ピルに関する情報もありませんでしたし、『薬といえばドーピング』というイメージで、むしろ薬にはすごく神経を遣っていましたから。

また生理は物理的に経血があるということだけではなく、メンタルの問題も大きいですよね。私は生理不順ではなかったんですが、よく不安になったりイライラしたりはしていました。ちょっとタイムが落ちて、落ち込んだりするのは自分のメンタルが弱いせいだと思っていたんです。それがPMS(月経前症候群)の症状だったことを、引退してから初めて知りました。

それに、婦人科は妊娠したら行くところ、もしくは病気になった人が行くところだと思っていました。月経痛がしんどいとか、月経の悩みがあるだけでも行っていいんだ、ということを知らなかったんです」

PMS(月経前症候群)だけでなく、PMSの一種でメンタル不調の強いPMDD(月経前不快気分障害)や、強い生理痛のある「月経困難症」、過剰な運動や食事制限で生理がなくなる「運動性無月経」など生理の問題はさまざまで、しかも個人差が大きいもの。一人一人の抱える悩みが違うため、指導者にも正しく知ってもらう必要がある、と伊藤さんは言います。

生理のわずらわしさをハッピーに変える!

「そもそも、アスリートにとってのコンディショニングは『栄養・休養・練習』が柱です。女性はそこに『月経コンディショニング』も追加しなければなりません。

学生アスリートの場合、まず最初に相談する人が正しい知識を持っていることが大事なんです。スポーツの指導者は男性が多いですが、男性でも月経コンディショニングが大事だとわかっている人は少なくありません。ただ、そこから先、どう対応していいのかわからない。もしくは、男性指導者が生理に関する発言をすることが生徒側に受け入れてもらえないという悩みもあります。

『生理がつらい』『ナプキンが足りない』『この症状は病院に行ったほうがいいの?』そんな訴えに、ちゃんと答えられる知識が必要なんです。あなたひとりで悩まなくていいんだよ、と言ってあげられる知識が。

そして、女性アスリート自身も、自分の生理の仕組みや、ホルモンのバランスを知ってほしい。この時期にはイライラする、食欲が高まる、この時期は落ち込みやすい、といったサイクルを知って、生理に振り回されず、心身を自分でコントロールできるようになるのが理想ですよね」

東大附属病院の能瀬医師と対談する伊藤さん

「1252プロジェクト」では、伊藤さんと東京大学医学部附属病院の産婦人科医、能瀬さやか先生が各界のアスリートと対談する動画も連載。画像提供:一般社団法人スポーツを止めるな

ホルモンに支配されている部分の大きい女性の体や心に関しては、近年、生理周期とトレーニング、コンディショニング関連の研究が活発になってきました。例えば、卵胞期と黄体期を比べて、どちらがパフォーマンスが上がるか、筋肥大効果が高まるかといったデータも上がってきています。ただし、生理周期に伴う体調の変化は個人差が大きいうえに、さまざまな因子が影響しているなど、まだ解明されていない部分も大きいよう。

「私たちの『1252プロジェクト』も、今後、きちんとしたエビデンス(裏付けデータや科学的根拠のこと)を持つ団体になりたいと思っています。東京大学医学部附属病院との連携も始まりました。東大病院で『女性アスリート外来』を持つ医師、能瀬さやか先生のサポートのもと、最新の専門的知見のもとで情報発信ができるようになったのもうれしい進歩です」

伊藤さんは「1252プロジェクト」のHPで、能瀬先生と一緒に各界の女性アスリートと「生理×スポーツ」に関する動画を連載するほか、各地の学校で学生やスポーツ指導に当たる教員へのセミナー、講演会などを精力的に展開。プロジェクトでは全国の学生や指導者への意識調査アンケートも進めています。

「以前は、スポーツ選手にとって月経はつらくてもしかたがないもの、ガマンして当たり前という意識だったと思います。現在は『女性アスリート外来』のような医療機関も増え、ピルなどで生理周期をコントロールするという選択肢もあります。アスリートも一般女性も、月経の悩みをガマンして当たり前、という時代ではありません。

月経はわずらわしいものだし決してハッピーではないけれど、きちんと受け入れて対処することでハッピーになれる! ということを伝えていきたいと思います」


 


*次回は、東京大学医学部附属病院『女性アスリート外来』の能瀬さやか先生のインタビューをお届けします。

取材・文/蓮見則子 撮影/さとうしんすけ