『アトランティス会館』朝倉世界一 ¥748/集英社
あきらめない心が歩み出す力になる
山に囲まれたその町は、片側が海に面した湾になっており、ランドマークのタワーや橋、ビル群がある。近代的な大きな建造物に囲まれて、築百年もたとうかという小さな古いビル「アトランティス会館」は、ひっそりと存在している。朝倉世界一『アトランティス会館』は、この古いビルで暮らす女の子が発明家としてひとり立ちするまでを描く“お仕事もの”だ。
「鷹茄子ふじこ」(23歳)は、くふうと発明が好きな女の子。憧れの発明家が社長を務める会社に就職が決まり、曽祖母「あいの」(97歳)が暮らすアトランティス会館に同居して通勤することに。だがアトランティス会館は、老朽化により建物としての寿命が尽きようとしていた──。ビルの精霊「百造(ももぞう)」や威嚇系ルームメイトの犬「デー」らに見守られて、ふじこの新生活が始まる。
ふじこの発明品はとてもユニーク。寝る直前まで本を読むための、顔に刺さらないメガネとか(ほしい)。心を許してくれない犬のデーと散歩に行くために作ったハーネスは、装着するのが人間側という逆転の発想が素敵だ。使用時の衝撃的なかわいさもあいまって、この発明にまつわるふたりのやさしいやりとりは何度でも読み返したくなるはず。
作品を象徴するふじことデーの名シーンは、もうひとつある。初めて企画した発明品が売れなくて、落ち込むふじこ。その涙に気がついたデーがいつのまにか寄り添って、一緒に眠るというシーン。セリフはないけれど、朝の光に包まれた町のコマをみればしみじみ伝わってくる。どんなにつらくても、明けない夜はないんだって。
えんぴつで描かれているのだろうか、このマンガは枠線にいたるまでまろやかな線でできている。ふじこの百面相も、あいのさんが作るグラタンも、アトランティス会館のクラシックな内装も、ことば以上に雄弁で、マンガのファンタジーと人生の真実を絶妙なあんばいにブレンドして届けてくれる。
物語の中心はふじこだが、アトランティス会館も、もう一人の主人公だ。時間がたてば建物は壊れるし、人間は老いる。朝がきて、夜がくる。終わることと新しく始めることが毎日当たり前に繰り返される風景を見ていると、なんだか「怖くないよ」とビルに話しかけられているような不思議な感覚になる。
〈困ったことはいつでもあって不安だらけだ それでもくふうをすることで立ち向かっていける〉。大きなトラブルを乗り越えたふじこのモノローグの心強いこと。電子書籍でしか読めない作品だが、静かにふつふつ湧いてくるような勇気がほしいときには、ぜひ手にとってみてほしい。
ちなみに朝倉世界一さんが先日発表した『スイートポテトバラード』(『ココハナ』2022年10月号掲載)が、これまた愛のこもった名短編だった。狂おしいほどに切ないお話だが、素晴らしい伴侶と暮らした記憶がある人や犬のデーが気になった人には、こちらもおすすめしたい。
※朝倉先生とココハナ編集部のご厚意により、名シーンの2ページを引用させていただきました。ありがとうございます。
マンガライター
マンガについての執筆活動を行う。選考委員を務めた第25回文化庁メディア芸術祭マンガ部門ソーシャル・インパクト賞『女の園の星』トークセッションが公開中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works
文/横井周子 編集/国分美由紀