『ここちよさの建築』
光嶋裕介 ¥770/NHK出版
自分だけの“ここちよさ”を探るヒント
リビングの窓からヤマボウシの木を眺め、今年はやけに花が咲き誇っているなあと、家でぼんやり過ごす時間が好きだ。でも視線を横にやると片づけずに積み上がった本の山、子どもの脱ぎ捨てた上着や学校のプリントが散乱している現実。のんびりした気分がぶち壊され、よろよろと片づけはじめる。毎日そんなことの繰り返しだが、この本を読んで、住むことへの向き合い方が変わりはじめた。
本書はよくある片づけ本でもなければ、お洒落な建築について書かれたものでもない。まして、ここちよい場所を探して引っ越そう、という話でもない。建築家である光嶋裕介さんが建築の見方をときほぐし「ここちよく住む」ための実践を提案してくれる本である。
そもそも「建築」とはなんなのか、人はどうやって「住まう」ようになったのだろうか。読み進めていくと、「建築」とは「建物」という言葉が示すような一義的なものではなく、自分の映し鏡であり、人間の考えであり、記憶であり、私たちが建築をどう解釈するかは自由なのだと思える多様な姿がうかび上がってくる。
建築と人間との豊かな関係性を示したうえで、本書はさらにユクスキュルの「環世界説」の概念を紹介する。「環世界」とは、同じ場にいても、たとえばダニにはダニの、人間には人間の、生物それぞれに独自の知覚と行動があり、その生物にとっての世界(環世界)があるというものだ。
この理論に感銘をうけた著者は、生き物の種によって見ている世界が違うなら、同じ種でありながら一人一人の身体や背景、経験などが大きく異なる人間にも、それぞれ感じる世界、見える世界が異なり、個別の「環世界」があると考える。
〈自分には自分の環世界があり、人と比較する必要などないのです。〉
人間は、建築やデザインの世界で用いられる筋骨隆々の男性を基準とした寸法体系「モデュロール」通りではなく、それぞれ個別の身体で異なる世界や空間を感じているはずだ。だから「ここちよい」住み方に規格はない。与えられた規格に無意識に自分をあてはめるのではなく、どんな空間をここちよいと感じるのか、自分だけの身体の感覚を探求し、外の世界にも内なる自分にも感覚を開くことが重要なのである。
終わりに、本書ではここちよい住まいのつくり方として7つの条件を提案する。「ホッとする」とか、「思いを馳せる」とか、難しいことではなくてちょっとした気づきを与えてくれて、住まいに愛着が湧いてくる実践的な方法ばかりだ。
私たちの身体は日々変化していて、そのたびに「ここちよさ」も少しずつ変わってくるから、ここちよく住むことの探求に完成や終わりがあるわけではないのだ。だからあせらずにのんびりと身近な空間を丁寧に手入れし、外の世界と交わりながら自分らしく建築を生きようじゃないか。本を閉じたら、窓をいっぱいにあけて、鼻歌まじりに棚の手入れをしはじめる私がいた。
代官山 蔦屋書店 人文コンシェルジュ
代官山 蔦屋書店で哲学思想、心理、社会など人文書の選書展開、代官山 人文カフェやトークイベント企画などを行う。毎週水曜20:00にポッドキャスト「代官山ブックトラック」を配信中。
文/宮台由美子 編集/国分美由紀