『グロリア』
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彼女が、その手を掴んだ理由
膝下が隠れるくらいのスカートにトレンチコートを羽織り、ヒールの音をけたたましく鳴らしながら、街をひたすら走り回る。敵を見つければ、不敵な笑みとともに相手を睨みつけ、腰をぐっと落とすと足を広げて銃を構えてみせる。ジーナ・ローランズが演じた「グロリア」は、映画史上に輝くと言ってしまいたくなるほど、最高にふてぶてしくかっこいい女性だ。だけどその裏では、タバコや酒で始終自分を落ち着かせなければいけないほど、彼女は恐怖に震えてもいる。
ジョン・カサヴェテスが監督した『グロリア』(1980)は、ニューヨークのアパートで猫と暮らす女性グロリアと、彼女が偶然にも預かることになった友人の息子「フィル」との、決死の逃亡劇を描く。子どもは苦手だと、一度は友人の頼みを断ったグロリアだが、彼ら一家がマフィアに命を狙われていると知り、しぶしぶ彼の保護を引き受ける。その直後、フィルの家族は全員殺される。そして、フィルが父親から託された手帳を追って、グロリアたちの身にも追手が迫る。
フィルの境遇に同情しながらも、グロリアはあからさまにフィルを厄介者扱いする。それは、彼女がかつてマフィアの情婦で、組織の怖さを誰より知っているからだ。裏切り者がどんな目に遭うかを知る彼女は、強気な態度をとりながらも、恐怖を抑えきれない。それでも彼女はフィルを守ることを選び、彼と二人でニューヨークの街を駆けずり回る。
二人で逃げるしかないと覚悟してからも、フィルとグロリアはすぐにはうちとけられない。子どもに接し慣れていないグロリアはフィルの面倒をどう見ていいかわからず、彼を慰める方法もわからない。一方のフィルも、家族を亡くしたショックとグロリアへの不信感から、「あんたはママでもないしパパでもない。赤の他人だ」と冷たく言い放つ。
だが、そんな二人の関係は徐々に変化していく。フィルはグロリアの隠れた優しさに触れるとともに、彼女の恐怖を感じ取る。グロリアもまた、不器用ながらフィルの悲しみに寄り添おうとする。ある夜、以前よりもうちとけた雰囲気のなか、グロリアが「あんたの母親になるって話、まだ断る?」と尋ねると、フィルは少しだけ迷いながら「なっても構わないよ」と答え、こう続ける。〈あんたは僕のママで パパで 家族だ それに親友だね 恋人でもある〉。
どうしてグロリアは、危険を顧みず少年を助けるのか。その理由を「母性本能だ」「女性だから情が湧いたのだろう」と言う人もいる。でも彼女は母親になりたくてフィルを守ったわけじゃない。誰からも守ってもらえない子どもが目の前にいて、自分だけが彼を助けられるかもしれない。だからその手を摑んだ。そんなシンプルなことを、少年はさらりと教えてくれる。ママでもパパでもいいし、なんなら親友や恋人と呼んでもいい。続柄や名前なんて関係ない。僕たちは僕たちだ。関係は自分たちで選べばいい。だからグロリアもニヤリと笑って答える。「家族がいいね」。
家族になった二人の行く末はどうなるか。ハラハラする展開に、最後まで目が離せない。ケンカを繰り返しながらも、グロリアはフィルの手を決して離さない。そしてもうひとつ、彼女が手放さないのはたくさんの服が入った鞄。どんなに過酷な状況でも、グロリアは毎日別の服に着替え、夜はお気に入りのガウンで眠りにつく。スリリングな逃亡劇のなか、彼女のプライドの高さとちょっとしたユーモアが透けて見えるのがまた楽しい。
文/月永理絵 編集/国分美由紀