マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。第9回は、『セシルの女王』作者のこざき亜衣さんにお話を聞かせていただきました。

こざき亜衣 セシルの女王 テューダー朝 横井周子 マンガ アン・ブーリン エリザベス1世-1

●『セシルの女王』あらすじ●
時は1533年、イングランド。宮内官である父に連れられ、12歳のウィリアム・セシルは初めて城へ。そこに君臨していたのは、暴虐な絶対君主・ヘンリー8世だった。夢見た宮廷との差に落ち込んだ少年は、王妃アン・ブーリンと出会い、彼女のお腹の中の子=未来の“王”に仕えることを誓う。しかし生まれたのは女児、エリザベスだった──。「俺がエリザベス様をこの国の女王にします」。新時代を築く本格歴史ロマン。

運命に抗った、ヘンリー8世の6人の王妃たち

──なぎなた部の女子高生たちを描いた前作『あさひなぐ』から一転、『セシルの女王』はテューダー朝の宮廷を舞台にした本格歴史ロマンです。なぜ16世紀のイングランドをテーマに選ばれたのでしょうか。

子供の頃からドレスや宮廷にひかれて、池田理代子先生の『ベルサイユのばら』が大好きでした。『あさひなぐ』連載中も気晴らしに歴史ものの本を読んでいて、中野京子さんの『残酷な王と悲しみの王妃』でアン・ブーリンという女性を知ったときに、何かが私の琴線に触れたんです。悪女とされてきた人だけど、もしかしたら別の見方もできるんじゃないかと感じました。

さらに他の本も色々読んでいくうちに、点が線につながったんですよね。みんなキャラが立っているし、これはすごく面白い物語になると直感しました。実力が伴っているかはさておき、今一番興味があるものを描こうと腹をくくって、未来の自分に期待する形で『セシルの女王』を始めました。

──物語は、6人の妻を娶り、うち二人を斬首したことでも知られるヘンリー8世の時代から始まります。アン・ブーリンは2番目の妻にして、本作タイトルのゆえんでもある、セシルが仕える後の女王・エリザベス1世の母です。彼女がこざきさんの琴線に触れたのは、どんなところですか。

私、野心家がすごく好きなんですよ。

──たしかに、『セシルの女王』は、決められたレールを覆そうとする「野心家」の女性がたくさん登場するところが魅力でもありますよね。

ありがとうございます。貧しい貴族の家に生まれたアン・ブーリンが、〈王妃になり王を産む〉という野心に向かって全力であがく姿が、すごくかっこよく見えたんですよね。置かれた状況に対してあきらめずに戦う様や、その責任をきちんと受け止める姿、罰を受けることもわかったうえで自分の欲望に素直になるところ…。私にはできないことだからなのか、憧れがありました。

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©︎こざき亜衣/小学館

──主人公は少年セシルですが、特に5巻までの展開は、獣のような権力者に対抗して生き抜こうとする女性たちの物語だとも感じました。ヘンリー8世の妻たちはどのように描かれましたか。

6人の妻って、実際興味深い存在ですよね。立場も出自も違いますし、ヘンリーに対してもそれぞれ全く違う対応をしている。いろんなタイプの女性を描くには格好の題材でした。4番目と5番目の妻、アン・オブ・クレーフェとキャサリン・ハワードは他の妻に比べてあまり語られない二人ですが、ひもとくとやっぱり面白い。

キャサリン・ハワードは、歴史書では「頭の悪いビッチ」みたいなまとめ方をされがちなんですけど、私は全然違うと思いました。貧しい育ちで口減らしのためによそにやられて、まだ若くて、ああいう生き方をするしかなかったんじゃないかって。

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──彼女のしんどさが見過ごされることなく描かれていて、切なかったです。アン・オブ・クレーフェは、本作ではアセクシャルのような描かれ方ですね。

資料を細かく拾ううちに、彼女は恋愛感情や性的欲求を抱かない人だったのかもしれないと思いました。そう理解すると、アンの不思議な立ち回りについて整合性が取れる。当時、身分が高い女性の責務は結婚して子供を産むことだとされていたけれど、そこからこんなにスル〜ッと抜け出すには意志がないと無理ですよね。

──アン・ブーリンと、3番目の妻ジェーン・シーモアの共闘も印象的です。過酷な状況下でのシスターフッドというか。

彼女たちに友情が生まれたのは完全に私の「だったらいいな」なんですけど(笑)。ヘンリーに見初められた状況を使って生き延びねばならないのは同じ。同じイベントを背負ったものとして、二人はわかり合えたんじゃないかな。

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恋愛関係じゃない男女のフラットなバディ

──主人公のウィリアム・セシルは、史実ではエリザベス1世の重臣として知られる人物です。

私は女性を描くのが好きなので、最初はエリザベスを主人公にするつもりでした。ただ彼女はカリスマ的な人物で、感情の起伏をあまり表に出さないんですよ。しかも君主ってどうしても感情移入しづらい。

エリザベスが主人公だと物語がうまく動かないなあと悩んでいるときに、彼女の資料に必ず出てくるセシルに行き当たりました。エリザベスのすべてを知っていて、最も信頼された人物。セシルを主人公にしたほうがエリザベスを描けるんじゃないか、と。

──エリザベス1世は、肖像画にもパワフルなイメージがありますね。

あの時代の女性で、君主になって、あれだけの繁栄をもたらした人ですからね。でも実は母アン・ブーリンに対して割と複雑な感情を抱いていたり、恋人の肖像画を死ぬまで隠し持っていたり。

本当は弱さや女性らしい部分もあるけれど、それらは全部封じ込めて、強い君主像しか表に出さなかったんです。それを一番そばで見ていたのが、小さい頃から知っているセシルなんだろうなと思うと、すごくいいなって(笑)。

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──『セシルの女王』で描かれるセシルとエリザベスとの関係性は、特別なものですよね。5巻では、「俺はあなたのもうひとつの魂(スピリット)になりたいのです」というセシルからの申し出を、エリザベスが「私は私のものだ。誰にも利用されたくない」と断ります。実際エリザベス1世がセシルを「My Spirit」と呼んでいたという逸話も残っているそうなので、今後どうなるかが楽しみです。

セシルは政治家としてエリザベスを利用してのしあがろうとしますが、だからといって簡単に利用されるエリザベスではない。「私は私のものだ」と言うエリザベスに誠実に答えない限りは、絶対に使わせてもらえません。エリザベスのそばにいようとするかぎり、悪いこともしなければいけないし善い人間ではいられないと、セシルが深く理解する必要があるんです。

──およそ500年前のお話ですが、きれいごとではない、生々しさがあります。

セシルにとって、エリザベスは象徴であり、相棒であり、目指すべきものでもあり…。こういう関係性を私は今まであまり物語で見たことがなくて。この二人をフラットな、恋愛を介さずに強い絆で結ばれた男女として描き切りたいですね。最近は、「私の描いてきたエリザベスがなかなか女王になるって言わないね」と担当編集者と話しています(笑)。

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──女王の器の片鱗を感じさせつつも、確かにまだその気配はないですね(笑)。

簡単に女王を目指すと思っていたんですけど、一から描いてみたら全然言わないんですよ! 王位継承者である弟や姉を押しのける理由もないし、エリザベスにとって女王になるモチベーションが何かを丁寧に描かないと、説得力が出ないんです。物語上は早く目指したほうがいいんですが、急ぐとご都合主義になってしまう。焦らず描きたいです。

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善悪を超えて、最後に信じられるものは

──史実とフィクションのバランスはどのように作っていらっしゃるんでしょうか。

私の場合は、できるかぎり事実を追って、そこからキャラクターの性格や行動の背景を想像します。肖像画を見ているとドレスの好みがなんとなくわかるんですよ。アン・ブーリンはシンプル&シック。後にブラッディ(血まみれの)メアリと呼ばれるメアリは、あまり胸元を開けずピシッと着込んでいる。逆にキャサリン・ハワードはめちゃくちゃ露出していて、もしかして流行りを追うタイプなのかな?とか。それぞれ個性があって面白いです。

──監修の指昭博先生ともそういったやりとりをなさるんでしょうか。

指先生は作劇に関してはほとんどノータッチでまかせてくださっていて、細かいリアリティの部分でお世話になっています。時代考証をしてくださったうえで、もし事実関係が間違っているという場合は、最小限の修正で物語が成立するようなアドバイスをくださいます。本当にいつも助けられています。

──細部のリアリティもこの物語を支えている大切な要素だと感じます。最後にyoiの読者の皆さんにメッセージをいただけますか。

『セシルの女王』は本当に血なまぐさいお話で、女性たちも大変な目にあったり死んでしまったりするんですが、酷い目にあうこと自体が不幸ではないと思ったりもします。状況を変えよう・戦おうという気持ちさえ持てれば、多分その人は不幸せな人ではないんだろうなと思うんです。今、つらい状況にいたり、苦しみを抱えている人にも、この作品を通じて少しでも「自分だけじゃないんだ」「私は一人じゃない」と思ってもらえたらうれしいですね。

──時代や状況は違いますが、自分を重ねて共感したり勇気づけられたりする部分がたくさんあります。

明日には自分が悪者とされて死んでしまうかもしれない世界で、善悪って信じられないですよね。信じられるのは、自分の中で感じる愛情であったり、夢であったり。私たちも、最後はそこに従って生きるしかないんだなと感じています。まだ物語の先は長くなりそうですが、読んでいただけたらうれしいです。

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こざき亜衣

漫画家

こざき亜衣

こざき・あい●2007年『さよならジル様』で、ちばてつや賞一般部門大賞を受賞しデビュー。2011年より「週刊スピリッツ」(小学館)にて『あさひなぐ』の連載を開始。同作は2015年に第60回小学館漫画賞一般向け部門を受賞、2017年には舞台化・実写映画化もされた。9年半、全34巻の連載を経て、2021年「オリジナル」(小学館)で『セシルの女王』連載スタート。

横井周子

マンガライター

横井周子

マンガについての執筆活動を行う。ソニーの電子書籍ストア「Reader Store」公式noteにてコラム「真夜中のデトックス読書」連載中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works

こざき亜衣 セシルの女王 テューダー朝 横井周子 マンガ アン・ブーリン エリザベス1世-9

『セシルの女王』こざき亜衣 ¥715/小学館

画像デザイン/坪本瑞希 取材・文/横井周子 構成/国分美由紀