マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。第3回は、『ふきよせレジデンス』作者の谷口菜津子さんにお話を聞かせていただきました。
●『ふきよせレジデンス』あらすじ●
夢破れ、人間関係をリセットした配達員・陸。親からの結婚の圧を感じながらも一人暮らしを満喫する会社員ミミ。両親を事故で亡くし、叔父さんに引き取られた女子高生の紺…。みんなの癒やしは、ちょっと変わったコンビニ店員のきらり。これは、「夢」と向き合い「日々」を思案する、あるアパートの住人たちの物語。
マンションでのトラブルが執筆のきっかけに
──あたたかい読後感の『ふきよせレジデンス』。でも執筆のきっかけは、谷口さんご自身のしんどい経験だったそうですね。
コロナ禍は大きかったですね。私は結婚しているんですが、当時は別居婚だったので、どうしても一人で過ごす時間が多くなって。しかも家族が病気になったり、悩みを抱えていた友人と連絡が取れなくなっちゃったり…。いろんな一人暮らしについて考えていたときに、編集さんから「アパートの話はいかがですか」と提案していただきました。
©︎谷口菜津子/KADOKAWA
──単行本のあとがきでは、マンションでのトラブルについても書かれていましたね。
当時住んでいたマンションで、下の階の人から生活音がうるさいと天井をたたかれるようになってしまったんです。息を殺して暮らしながら、だんだんモンスターが下にいるような気持ちになってきて。管理会社に問い合わせたら、「高齢の女性が一人で暮らしている」「直接話さないでください」と。でもペットボトルのふたを落として下からどーんと天井をたたかれたときに耐えきれなくなって、「どうしたらいいか話し合わせてほしい」と言いにいったんです。
──直接、話をしに。…ドキドキします。
当たり前なんですけど、人の声がしたことにはっとしました。か細い声で「私はこの家を購入しているから引っ越しはできないし、いい人じゃないから我慢もできない」と仰って。「この方にも人生があって、今ここで暮らすしかないんだ」とか「自分の未来かもしれない」と考えていたら、枯葉が風に舞って、一カ所に寄せ集まる情景が浮かびました。今の話だとネガティブに聞こえるかもしれませんが、それをポジティブに描きたくて。
──タイトルはそこからなんですね。「ふきよせ」といえばおいしいものを集めたお菓子も思い出します。
和菓子の「ふきよせ」には、枯れ葉とか秋の美しいモチーフをかたどったものが詰め合わされていて素敵ですよね。『ふきよせレジデンス』も、マンションだけど、ひとつの大きな家みたいなんです。住人たちのそれぞれに色々あるけど、集まるといいかんじの。
©︎谷口菜津子/KADOKAWA
みんな一人で生きている。だけど、それぞれの考え方を持ち寄ることも大事
──第一話と最終回には「これはひとりを 生きる物語 隣り合わせながら生きる ひとりたちの」というモノローグがリフレインされていて、作品の大きなメッセージになっています。
結婚していようが、同居人がいようが、子どもがいようが、基本的に人は一人だなって思うんです。緊急事態宣言が出た頃、夫ががんになって。今は寛解して元気なんですが、当時は不安や心配を抱え込んでしまって頭の風通しがどんどん悪くなっていきました。そんなとき、誰かと会話することですごく救われたんですよね。「わかるよ」とか「ちょっと考えすぎじゃない?」とかいろんな意見をもらって、考え方の選択肢が増えました。みんな一人で生きているし、みんな違う。だけど隣に住んでいるくらいの感覚で、それぞれの考え方を持ち寄ることは大事ですよね。
©︎谷口菜津子/KADOKAWA
──ご近所さんの距離感で。マンガでは、「きらり」という少し変わったコンビニの店員さんが、それぞれ悩みを抱えるマンションの住人たちを緩やかにつないでいきます。
コンビニって、近所の人たちにとって絶対あってほしい大切な場所ですよね。不思議なことは起きないけれど、魔法のように気持ちが明るくなる話を描きたくて、きらりを魔法少女のように変身するキャラクターにしました。すっぴんのときは魔女っぽいけど、コンビニに立つときはメイクでギャルになる。家族を亡くしたきらりや女子高生の紺というキャラクターの中に、私自身がたくさん考えたことも落とし込みました。
©︎谷口菜津子/KADOKAWA
──生と死がユーモアをまじえて描かれているところもいいですよね。たとえばきらりが「地球という星自体が 事故物件なんじゃ!?」と言い出すシーン。描かれている動物たちもかわいくて、死がちょっと怖くなくなります。
ありがとうございます。自分でも「誰かにこう言ってほしい」と思いながら描いていましたね。この話は、自分自身の希望にもしたかったから絶対ハッピーエンドにしようと決めていました。
©︎谷口菜津子/KADOKAWA
いろんな人の気持ちをすくいとれるように生きていくほうが、自分自身の幸せにつながるんじゃないかなって
──ご自身で特に思い入れのあるシーンはどこですか?
やっぱり一番最後、見開きのページが続くところでしょうか。全然詳しくないのですが、BTSの「DYNAMITE」のミュージックビデオを見て最高だなって思ったんです。それぞれのキャラクター紹介から始まって、日常パートを経て花火が上がったりして盛り上がり、最終的にまた日常にかえっていく。物語としてもすばらしい構成に感動して、あんなふうにキャッチーにしたいと思って何度も聴きました。
──最後の数ページには、ふきよせレジデンスの住人「陸」が作ったコンビニの歌も描かれています。盛り上がりつつもどこか脱力していて、ほっとします。
©︎谷口菜津子/KADOKAWA
陸はミュージシャンとして自分がもうダメかもって思っているときに、メジャーデビューした友人を見て「うっ」となるんですけど、あれは自分が経験したことを描いているんです。夫は同業の漫画家(※『ひらやすみ』の真造圭伍さん)で売れているので、自分のあまり売れていないマンガを無価値に感じてしまう瞬間がちょっとだけあって。…でも、きっとそんなことはないんですよ。卑下したり、嫉妬してしまう気持ちをなんとか処理したくて、陸が友達みんなの心に残っている曲を作ったように、そういう作品を私も作れたらって気持ちで描きました。
──何気ない日常を描いているようで、たくさんの祈りのような思いが込められた作品だから、何度も手にとってしまうんですね。最後に読者へのメッセージをいただけますか。
20代後半から30代って、「終わりがある」って気づき始める年齢な気がするんです。体も精神も変化してきて、新しい価値観についていくのがだんだん億劫になったり。それでもできるだけ丁寧にいろんな人の気持ちをすくいとれるように生きていくほうが、最終的には自分自身の幸せにもつながるんじゃないかなって私は感じていて。同世代の方々とは、そういうことも一緒に考えながら生きていけたらうれしいです。
©︎谷口菜津子/KADOKAWA
マンガ家・イラストレーター
たにぐち・なつこ●著作『ふきよせレジデンス』『彼女と彼氏の明るい未来』(ともにKADOKAWA)など。WEB、情報誌、コミック誌等での執筆のほか、でんぱ組.inc『WWDD』のアートワークや、NHK Eテレ『シャキーン!』のコーナー内作画担当など、幅広い分野で活躍。『教室の片隅で青春がはじまる』(KADOKAWA)、『今夜すきやきだよ』(新潮社)で「第26回手塚治虫文化賞新生賞」を受賞。
マンガライター
マンガについての執筆活動を行う。選考委員を務めた第25回文化庁メディア芸術祭マンガ部門ソーシャル・インパクト賞『女の園の星』トークセッションが公開中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works
『ふきよせレジデンス』 谷口菜津子 ¥880/KADOKAWA
取材・文/横井周子 構成/国分美由紀