マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。第19回は『呪文よ世界を覆せ』作者のニコ・ニコルソンさんにお話を聞かせていただきました。

漫画 呪文よ世界を覆せ ニコ・ニコルソン-1

『呪文よ世界を覆せ』あらすじ
相方だけがブレイクした売れないお笑い芸人、トタこと虎屋戸太郎(とらや・とたろう)。舞台でスベり、恋人に振られ、同棲中の家からも追い出されたどん底の日々に、不思議な女性・多悠多(たゆた)に出会う。多悠多と彼女が愛してやまない「短歌」に触れたとき、戸太郎の運命は変わりはじめる! 31文字の“呪文”が世界を変える、短歌コメディー。

漫画 呪文よ世界を覆せ ニコ・ニコルソン-2

©︎ニコ・ニコルソン/講談社

「お前はどうなんだ?」と問われている気持ち──短歌に出合った衝撃

──短歌愛あふれる本作ですが、着想はどんなところからはじまりましたか?

ニコ・ニコルソンさん(以下、ニコさん) もともとは、短歌は学校で習う難しいもの、というイメージでした。でも数年前、歌人の穂村弘さんとお仕事をさせていただいたときに、河野裕子さん* の短歌を聞いて衝撃を受けたんです。マンガの第1話に出てくる「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」という歌です。
*1946年生まれの歌人。戦後生まれの歌人として初めて角川短歌賞を受賞。2010年没。

──河野さんが亡くなる前日、病床から夫に向けた思いをうたった、「辞世の一首」と言われている短歌です。

ニコさん 背景を穂村さんが説明してくださったのでより響いたものが大きかったと思うのですが、「情景が見える。この限られた文字数でそんなことができるんだ」と驚きました。「私にはこんな相手がいるだろうか」と自分の人生まで考えてしまって、歌から「お前はどうなんだ?」と問われている気がしました。そのときから短歌が心から消えなくなったんですよね。すべてはこの最初の出合いにありました。 

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©︎ニコ・ニコルソン/講談社

──ニコさんは今、ご自身でも短歌を詠まれているんですよね。

ニコさん はい。最初は知り合いのつてをたどって歌会(短歌をつくり、読み上げたり批評したりする会)に参加しました。無記名で、誰の歌かもわからないまま、年齢も立場も関係なく評をし合うのが面白くて。想像もしなかったようないろんな感じ方を知ることができるんですよね。

担当編集者の金子さんを歌会にお連れしたこともあるんですが、私より金子さんの歌の方が人気で嫉妬しました(笑)。絶対に恋する若い人が詠んだ歌だと思ってドヤ顔で評したら全然違って、私より年上の金子さんの作だったという。

──それくらい解釈の幅があるんですね。

ニコさん 短歌と比べたら、マンガには絵もあるしセリフもあって伝わりやすいと思うようになりましたね。短歌は文字だけ、しかも31文字しかない。ねらったことが全然伝わらなかったり、思わぬ解釈をされたりすることも。でも、それが面白いんです! 「内容はいいけど、音が字余りだな」なんて思うと、もっといい言葉を考えだして止まらなくなります。どんどんはまって、これはマンガでも描きたいと思うようになりました。

悔しさや「もっとうまくなりたい」という思いは、そのまんま私のもの

──『呪文よ世界を覆せ』は、こうしてスタートしたわけですね。

ニコさん 「短歌のマンガに興味ある人はいねがー!」と描かせてくれる媒体を探して、金子さんを引き込みました。

──マンガなまはげですね(笑)。ニコさんといえば東日本大震災で被災された経験をつづった『ナガサレール イエタテール』や家族の認知症を描いた『マンガ認知症』シリーズなど、エッセイマンガの名手でもあります。今回はストーリーものということで創作に戸惑いなどはありましたか。

ニコさん もともとエッセイのほうが絶対に得意だと思っていたんですよ。エッセイなら自分が感じたことをそのまま描けばいいけれど、ストーリーものはいろんなキャラクターの気持ちにならなきゃいけなくて難しいと思い込んでいました。

でも、主人公のトタをずっと追っていたら、結局どこかに自分のかけらがいるんだなと実感したんです。短歌でもお笑いでもマンガでも「下手くそだからもっとうまくなりたい」という気持ちは、そのまんま私のもの。今は主人公にライドしながら描いている感覚です。 

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©︎ニコ・ニコルソン/講談社

──トタは売れない芸人という設定です。

ニコさん 芸人さんの生きざまに興味があって、いろんなラジオやドキュメンタリーを見聞きしてきましたが、やっぱり売れない芸人さんにはすごく感情移入してしまうんですよね。私より年下のマンガ家さんでも、ものすごく才能があって売れている人がたくさんいる。しかもお会いすると人間的にも素敵な優しい人ばかりで、つい「クソッ、ちょっとぐらい性格悪くあってくれよ…!」と思っちゃったりするんです(苦笑)。そういう悔しさをどこかで感じているのはもしかしたら私だけじゃないのかもと思い、トタの設定に生かしました。

──まわりと比べて焦ったり悔しいと思ったりする気持ち、よくわかります。一方トタが恋する多悠多(たゆた)は、短歌を深く愛する女性です。

ニコさん トタに短歌を教えてくれる人はどんな人にしようかというところから、多悠多を考えていきました。ラブを描くのは得意じゃないので迷いましたが、「手をのべて〜」の河野さんの歌で私は短歌に出合い、そこでたった一人に向けた歌は美しいなと思っちゃったから。そうなると、やはり恋歌ですよね。トタが多悠多と短歌に運命的に出会う階段のシーンは、自分でも気に入っています。 

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©︎ニコ・ニコルソン/講談社

人生のどん底だと思っても、絶対に光があるはず。じゃなきゃおかしい。

──物語の展開上まだはっきりと明かされていない部分もありますが、トタと多悠多、多悠多の妹の焚子(たきこ)がそれぞれ挫折や苦難を経験したところから物語はスタートします。いわば“どん底”にいる人たちを描こうと思ったのはどうしてですか。

ニコさん これはやっぱり自分自身がそうだったからだと思います。人生は終わってみないとわからないから、あれが本当に底とは言い切れないけど…。まず被災して家がなくなって。建て直したら祖母が認知症になって。その一連の流れが本当にきつかった。

でも、そんな中でも、絶対に何か光があるはずだと思っていました。じゃなきゃおかしいだろう。これだけのはずないやんけ。というあのときの強い思いが、作品にも反映されている気がします。

──光と闇の表現は、トタと多悠多のシーンにたびたび出てきて、目を奪われます。

ニコさん ああ、気づいていただいたんですね。あの二人は片方が闇にいるときはもう片方が光になって…というような関係なので、明暗を意識的に描いています。私自身が抱えていた「これだけのはずないやんけ」という部分は、これからトタが証明してくれるんじゃないかな。 

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©︎ニコ・ニコルソン/講談社

──タイトル通り、きっと世界を覆しますね。57577の呪文で。

ニコさん 『呪文よ世界を覆せ』というタイトルは、穂村さんの『短歌という爆弾』の終章にあった言葉を、許可をいただいて使わせてもらいました。生きるのが下手だったり、周囲になじめなかったり。そういう感性が短歌だと逆に輝くんだと思ったら、私自身が救われたんですよね。マンガでも、言葉が世界の見え方をガラリとひっくりかえすところを描きたいです。

──トタや多悠多と同じように、光が見えづらい状況にある人に何かアドバイスをいただけますか。

ニコさん しんどかった時期、私の感情の逃がし場所は、結局マンガを描いてそれを誰かに読んでもらうことでした。マンガを描くのは少し難易度が高めですが、その点短歌はおすすめです。31文字に感情を込めることは気分転換にもなりますし。ハッシュタグを使ったりしてSNSで短歌を発表すれば、誰でも誰かに届けられます。

──自分の感情をアウトプットすると楽になる部分ってありますね。

ニコさん それがなかったら私は行きづまっただろうな。「ちょっとでも誰かにわかってほしい」という欲望ってすごく根源的ですよね。だからこそ、認知症の場合も「こんなにやってるのに、なんでわかってくれないの?」という部分がいちばんきついわけで。

あの頃、誰かがふっと思いを受け取ってくれると「うわ、こんなにうれしいんだ」と思っていました。何気ない感覚が伝わる喜びみたいなものを『呪文よ世界を覆せ』にも込められたらうれしいです。 

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©︎ニコ・ニコルソン/講談社

ニコ・ニコルソン

漫画家

ニコ・ニコルソン

にこ・にこるそん⚫︎短歌をテーマにした漫画『呪文よ世界を覆せ』(講談社)をWEBサイト「月マガ基地」にて連載中。ほか代表作に『古オタクの恋わずらい』『わたしのお婆ちゃん』(ともに講談社)、『ナガサレール イエタテール』(太田出版)、『マンガ認知症』シリーズ(筑摩書房)など。

横井周子

マンガライター

横井周子

マンガについての執筆活動を行う。ソニーの電子書籍ストア「Reader Store」公式noteにてコラム「真夜中のデトックス読書」連載中。2025年4月13日に茨城県土浦市民ギャラリーで行われる「え かく また あした マンガ作家山本美希展」にて、山本美希さんとのトークイベント開催予定。詳細はこちら
■公式サイト https://yokoishuko.tumblr.com/works

漫画 呪文よ世界を覆せ ニコ・ニコルソン

『呪文よ世界を覆せ』 ニコ・ニコルソン ¥759/講談社

画像デザイン/齋藤春香 取材・文/横井周子 構成/国分美由紀