マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。第20回は『オール・ザ・マーブルズ!』作者の伊図 透さんにお話を聞かせていただきました。

漫画 オール・ザ・マーブルズ! 伊図透 女子野球

『オール・ザ・マーブルズ!』あらすじ
リトルリーグで男子に交じりエースを務めるほどの圧倒的な才能を持った草吹 恵と、パワーがあり守備にも秀でたスラッガー結城 愛。二人の“めぐみ”は、ともに大好きな白球を追って、青春のすべてをグラウンドに懸けることを誓う。その出逢いは、女性にとっての野球の未来を、世界を変えるほどの、大いなるストーリーの始まりだった…! 鬼才・伊図 透による、真っ向勝負のガールズ・ベースボール・ロマン。

スポーツできることが当たり前ではない「渇望」が女子野球にはある

──女子野球をテーマに選んだのはどうしてですか?

伊図さん 描き終わってみてわかったことなのですが、何かを好きだからこそ自らの存在を問い問われ、時にその足場の危うさに震え、時に打ち砕かれ、それでも前を見ようとする人々──がそこにいたから、でした。

当初は僕も女子野球について何も知りませんでした。きっかけは2013年~2014年頃の東京五輪誘致の報道と、野球の競技復帰活動の中での「一競技二種目」という案を知ったことです。ネームを起こしはじめた時点では、野球よりも女性差別を問う描写を含んだ「社会派マンガ」でした。

ですが、取材を通して少しずつ女子野球を、彼女たちの野球に取り組む姿を見ていくうちに、「自分は野球と関係ない社会的文脈に彼女たちを当てはめ、利用しているだけでは?」という疑念が拭えなくなりました。時間をかけて考えた結果、「ただ野球がやりたいだけ」と願う彼女たちに呼応した「普通の野球マンガ」として描くことにしました。

──第一話のタイトルはまさに今お話に出た「一競技二種目」です。2020年東京オリンピックでは、男子野球と女子ソフトボールを組み合わせた「一競技二種目」として開催されました。競技に加わることができなかった女子野球の選手たちは、悔しい思いを抱えながらも競技を続けている。そのことに、恥ずかしながらこのマンガを読んで初めて思い当たりました。 

漫画 オール・ザ・マーブルズ! 伊図透 女子野球-1

©︎伊図 透/KADOKAWA

伊図さん 「一競技二種目」というのは、野球が五輪競技からはずされたときに、女子競技者が多いソフトボールと合併した「一競技」として五輪の人権思想に合わせることで復帰を図ったアイディアなんですよね。そうしたときに女子野球をやっている人たちってどういう気持ちなんだろう?と。これは男子ソフトボールの選手たちにも言えることですが。

『野球狂の詩』『ドカベン』など水島新司さんのマンガでは、野球がやりたくても貧乏でできなかったことが繰り返し描かれていたり、『あしたのジョー』でもボクシングにたどり着くまですごく時間がかかったりしています。

スポーツできることが当たり前ではない「渇望」が、女子野球にはある。そこがむしろ論点として映りました。女子野球をする動機に経済(稼ぎ)がない分、動機の在りかに「問い」が生まれる。結城 愛はその問いの悩ましさを顕在化させたキャラでした。

──お金をたくさん稼げるわけではない。「それでもなぜ、私は野球を続けるのか?」という本質的な問いですね。スポーツを第一線で続けることは大変難しいことだと思いますが、「女子野球」であればなおさら。男子ではなく女子の野球を描く中で意識されたことはありますか。

伊図さん 「野球への情熱」というのは、男性だとプロ野球リーグがあるので経済とすんなり同期していますが、女性の場合その前提が違うのはおっしゃる通りで「環境の違い」は結構描きましたね。端的にはチラシ配りとか。

ただ、スポーツの原理自体は性別で変わるわけではないし、実際にプレイしている選手たちもきっと変えてほしくはないだろう…と思って、女性ということをあえて意識せず、フラットに描こうとはしたつもりです。それが当の選手たちに受け入れられるものになっているといいのですが。

※2009年、日本における女子プロ野球リーグ創設のため「日本女子プロ野球機構」が発足。4チームが誕生するも2021年に無期限の活動休止を発表。現在は3つの女子硬式野球チームが存在するが、いずれも「プロ野球選手」ではなく「アマチュア選手」として活動。選手たちは学業や仕事と並行して練習や試合に参加している。そうした現状の中でも、女子野球日本代表チームはWBSC女子野球ワールドカップでの7連覇を達成している。

漫画 オール・ザ・マーブルズ! 伊図透 女子野球-2

©︎伊図 透/KADOKAWA

ピッチャーは特別で孤独。だからこそ、仲間の言葉が沁みる

──強打者で、まっとうな常識人でもある結城 愛(ゆうき・めぐみ)。とてつもない才能と努力の両方を兼ね備えた天才ピッチャー、草吹 恵(くさぶき・めぐみ)。この二人のめぐみが本作の主人公です。それぞれ作者目線ではどんなキャラですか。

伊図さん 結城は、やりたいことに確信が持てないごく普通の人間の立場を代弁する人物。草吹はやりたいことに疑問を持っていないタイプです。草吹は我々凡人からすると理解しにくいので、結城が仲介役に。ちなみに結城がホームランを打ちたくて一本足に挑戦するくだりは、当時まだあった女子プロ野球リーグの高塚南海選手と被っていたりします。

※高校時代は女子硬式野球部に所属。卒業後は日本女子プロ野球リーグの「レイア」「兵庫ディオーネ」「京都フローラ」「埼玉アストライア」で計6年間プレー。2021年から「阪神タイガース Women」でプレーし、2022年11月に現役引退を発表。

──「変えるの世界を! ふたりで」(4巻)という草吹の強い思いも心に残っていますが、作者として二人の関係性をどのようにとらえていましたか。

伊図さん 普通に考えて、草吹のように「世界を変えよう」なんていうものすごい圧をチームメイトにかけてくる奴はいませんよね。どうかしてます。草吹的にはホームランと三振のことしか頭にないんでしょうが…。

何のジャンルでも、才能がある人物に対して「あの人すごいけど、同僚や友達にはなりたくないよな~」みたいに言う人がいますよね。結城の場合は、そういう嫉妬感情も「ぐぬぬ」と思う程度に収めて、相手の才能を素直に認められる。草吹はそういう結城の目立たぬ美点を、優れた嗅覚で感じ取っているんでしょう。犬みたいですよね(笑)。

草吹は結城の前でだけ無邪気にはしゃげる。そう、あの二人の関係は、大型犬がはしゃぎまくって飼い主が手に負えなくなる状態に近いですね。 

漫画 オール・ザ・マーブルズ! 伊図透 女子野球-3

©︎伊図 透/KADOKAWA

──たしかに二人を見ていると和みます(笑)。大好きな人の前ではワンコのようになってしまう草吹ですが、作中ではピッチャーというポジションの孤独についても触れられていましたね。

伊図さん ピッチャーっていうのは他の競技ではなかなか見ない独善的なポジションで、試合に及ぼす影響があれほど大きな立ち位置って他の団体球技ではそんなにないんですよね。

サッカーなどと違い時間に拘束されず、むしろ時間を主体的にある程度コントロールできるからこそ、ピンチのときにマウンドに野手(守備をする選手)が集まることができるし、そこでの会話は「静止」のできる野球というスポーツの醍醐味のひとつだなと。

ピッチャーだけがボールを握りバッターと対峙する主体だからこそ可能な集合で、特別な存在として構造的な孤独に対峙するからこそ仲間の言葉が沁みる。 

敗北の瞬間は、最も飛躍できるチャンスでもある

──のびやかな草吹のピッチングシーンは、本作の見どころのひとつです。

伊図さん フォームの「軌跡と力感」を現実の体の形態にとらわれず表現したい、と思っていました。動きそのものをフォルム化したい、と。1巻で草吹が頭の中で理想のフォームを夢想するところは僕自身にとっても印象的なシーンです。

もともと連載前に投球シーンとしてイメージしていたものをそのまま使っています。もっとできたはず、と思う部分もあるんですが…。でも、実際のピッチングって本当に美しいんですよね。

漫画 オール・ザ・マーブルズ! 伊図透 女子野球-4

©︎伊図 透/KADOKAWA

──私は最終巻の「#34 ボールの行方」のピッチングがすごく好きなんです。男性選手にホームランを打たれてしまった後、草吹がついに封印していた彼女本来のフォームでボールを投げるシーン。未来への投球のようで、涙が出ます。

伊図さん スポーツを観ていると何度も美しき敗北に遭遇します。スポーツにとって、いかに敗北を受け止めるか、というのは不可避なテーゼで、どんなスポーツでも必ず敗けるときはくるわけです。言い換えれば敗北の瞬間は、最もキャラクターが飛躍する「機会」なんですよね。

草吹がホームランを打たれるくだりは、その後の「再生」展開ありきではありますが、スポーツの本質を凝縮したシーンだと思っていました。草吹が打たれる展開に、編集さんは当初反対されたんです。

フィクションにおける男女の対決で女性が負けるという視点からそう判断されたのでしょうが、スポーツとして見ればあれはとても重要な「機会」なんですよね。打たれた後、次のバッターに振りかぶって投げる一連の流れはその後の「再生」を意識して描いたつもりです。

現実の生活には明らかな勝敗がつく瞬間というのはなかなかないじゃないですか。スポーツにはそれがあり、しかも一回負けたとしても、必ず「次」もある。これがスポーツが社会に対して持っている役割だと思うんです。失敗しても、次がある。そのことをちゃんと見せてくれるんですね。

漫画 オール・ザ・マーブルズ! 伊図透 女子野球-5

©︎伊図 透/KADOKAWA

──戦中戦後に女子野球選手として活躍した晶子叔母さんから、草吹・結城、そしてこれから野球を始める少女たちへ──。あの投球が、過去、そして未来の女子野球選手へと希望をつないでいるようにも感じました。

伊図さん なるほど、そうですね…。そう考えると、草吹 恵は実在可能性があるかというよりも、皆の希望をつないでできた虹のようなものなのかもしれませんね。 

今、高校女子野球の人口は増え続けています。女子野球代表のエースである里 綾実選手はカナダで男子に混じってプレーを始めました。そして2026年、アメリカで女子プロ野球リーグが始まります。スポーツの発展は競技人口と観客数、それに尽きます。いつか「この球場に行けば女子野球が見られる」という自前の球場を持てる日が来てほしい、と思います。

※大学3年時に女子野球日本代表に選出。2013年~2019年、女子プロ野球リーグに所属し、数々のタイトルを受賞。2020年から「埼玉西武ライオンズ・レディース」に所属し、2025年にカナダ・独立リーグのチームと契約。 

漫画 オール・ザ・マーブルズ! 伊図透 女子野球-6

©︎伊図 透/KADOKAWA

伊図 透

マンガ家

伊図 透

いず・とおる⚫︎2006年、第49回ちばてつや賞の一般部門にて大賞を受賞。2015年より『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で『銃座のウルナ』の連載を開始。 同作品にて、2018年に第21回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で優秀賞を受賞する。2024年9月には、女子野球を描く『オール・ザ・マーブルズ!』(全6巻)完結。

横井周子

マンガライター

横井周子

マンガについての執筆活動を行う。2025年春より、東北芸術工科大学准教授。
■公式サイト https://yokoishuko.tumblr.com/works

漫画 オール・ザ・マーブルズ! 伊図透 女子野球-7

『オール・ザ・マーブルズ!』 伊図 透 ¥836/KADOKAWA

画像デザイン/齋藤春香 取材・文/横井周子 構成/国分美由紀