人生の先輩たちは、これまでどんなことに悩み、どうやって乗り越えてきたのか? 集英社の編集出身の女性役員が会社員人生を振り返り、ターニングポイントとなった時期を、そのときの自分に勧めたいマンガとともに語ります。今回話を聞いたのは、「non-no」「MAQUIA」「BAILA」の3誌で編集長を務めた湯田役員。20代・30代・40代の頃の自分を振り返りつつ、語ってくれました。
マンガを紹介するのは…湯田桂子 役員

集英社 役員待遇
1989年慶應義塾大学文学部卒業後、集英社に入社。最初に配属された「MORE」で美容担当に。その後、結婚出産を経て「non-no」へ異動。2004年「MAQUIA」創刊メンバー。副編集長を務め、2008年「non-no」副編集長、編集長。2014年「MAQUIA」編集長、2019年「BAILA」編集長、2020年ブランドビジネス部部長、2024年役員待遇に。マンガを読むのはライフワーク。生涯読み続けます。
湯田役員のおすすめ漫画①東村アキコ 著『銀太郎さんお頼み申す』/集英社

STORY
岩下さとりは、バイト先にきた着物女性・銀太郎の美しい姿に感動。京都で芸妓をしていた銀太郎に着物を教えてもらううちに、和の文化に魅了されていく。等身大着物ストーリー。
「私も何者かになれるでしょうか?」自信がなかった20代の私へ
私が仕事で一番悩んでいたのは、20代後半、入社から数年経った頃です。当時の私はまったく自分に自信が持てず、はたして自分はこの仕事に向いているんだろうかと日々思い悩んでいました。そんな当時の私に勧めたいのは、東村アキコさんの『銀太郎さんお頼み申す』です。
このマンガでは、20代の女の子のさとりちゃんが着物の美しさに魅せられて、少しずつ和の文化を学んでいきます。着物をはじめたばかりだから、まだ全然自信を持てる状況ではない。でもあるとき、憧れの師匠である銀太郎さんも最初から知識を持っていたわけじゃないんだ、とはっと気づいて、舞台を観ながら「私も何者かになれるでしょうか?」と思うシーンがあるんですね。


20代後半の私も、まさにそういう気持ちでした。本やマンガが好きで出版社に入社したものの、もともとファッションに詳しいわけでもなく……。センスがよくてすぐに実力を発揮できる人もいると思いますが、私はそうではなかった。自分にしかできない何かを見つけようとして、いつも理想と現実のギャップに苦しんでいました。
それに、当時は先輩や上司がめっぽう怖かった(笑)。でもね、思い返すと、先輩方をはじめ周囲の人たちはいつもすごくあたたかかったんです。その視線に当時気づいていたら、あんなにくよくよせずにすんだのかもしれません。
『銀太郎さん~』でも、銀太郎さんをはじめとする先達たちが、すごく楽しそうにさとりちゃんに着物の面白さを伝えていくんですね。銀太郎さんがさとりちゃんの頑張りを自慢するシーンがあって、今の私はそういうところにも共感します。若い人たちをかわいいと思ったり、誇らしく思ったり。だから若い皆さんも、そんな先輩方の視線を受け止めながら、のびのび自分らしく仕事をしてもらいたいと思います。
恋愛あり、ギャグあり、和文化あり、いろんな楽しみ方ができる素晴らしい作品ですが、違う世代を尊重し合う気持ちが感じられるところが特に好きですね。
湯田役員のおすすめマンガ②よしながふみ 著『環と周』/集英社

STORY
家族、恋、友情……さまざまな関係性で綴られる“好きのかたち”。江戸時代から現代まで、毎回異なる時代を舞台に、環と周という名前の二人を描く連作短編集。
育児と仕事の両立に悩んだ30代
20代ではあんなに悩んだくせに、雑誌の表紙を一年間まかせられたことをきっかけに少しずつ自信がついて、30代はノリノリで仕事をしていました。きっと読者と向き合う度胸がついたんですね。そんなタイミングで結婚し、33歳で息子を出産。本当に復帰できるのか、仕事をしながら子どもをちゃんと育てることができるのかと不安を抱えていました。
そんな産休中に同僚からもらったのが、よしながふみさんのマンガでした。以来よしながさんの大ファンになり、今も「cocohana」で連載中の『Talent-タレント-』を楽しみにしています。『環と周』は「このマンガがすごい!2025」オンナ編第1位にも選ばれた傑作オムニバスシリーズ。中でも私が当時の自分に贈りたいのは、第1話現代編。母である環さんの「子供なんて毎日元気で笑っててくれたらそれでいいじゃない ううん違う 生きててさえくれればいいの」というセリフです。

この作品は、時代を変えて輪っかのようにストーリーが紡がれていく。生きていること、出会えたこと自体が奇跡なんだよ、とさまざまな時代の環と周が教えてくれる、尊い「いのちの物語」なんです。子育てをしていると家事・育児の分担や仕事との両立などについ気持ちが行きがちですが、命への感謝、「生きててさえくれればいい」という思いがそのすべてを凌駕する。
子育てやワークライフバランスってそもそも解決が難しい問題だから、「これが正解」なんてない。そういう悩みには、もっと広く大きな視点からの“金言”のようなものが必要なんじゃないかと思うんです。新米の母親だった当時の私が、このセリフに出合ってしっかり受け止められていたら、と心から思います。
湯田役員のおすすめマンガ③いくえみ綾 著『ローズ ローズィ ローズフル バッド』/集英社

STORY
神原正子、40歳。職業・漫画家。夢はキラキラの少女マンガを描くことだが、ネームを描こうとしても胸キュンが足りない。そんなとき素敵な男性に出会い……。アラフォー漫画家、恋と仕事のゆくえは!?
“乗車率300%”だった編集長時代と、これからの未来
※以下のインタビューは、作品のネタバレを含みます。
40代半ばから編集長を務めて、そこからはまさしく全力疾走の10年間でした。特に「MAQUIA」の編集長時代は、寝ても覚めても雑誌のことばかり。もちろんワークとライフのバランスなどまるで取れずです。
そんな当時の私と重なるのが、いくえみ綾さんの『ローズ ローズィ ローズフル バッド』の主人公・アラフォー漫画家・神原正子さん。大好きな彼から突然プロポーズされた正子さんが「私…今 頭もからだも 乗車率300%くらいの電車なんです…」と返事をするシーンに、「これはあの頃の私だ」とはっとしました。
家に帰ってから「え? アタシプロポーズコトワッタ?」と気がついたりして。今思えば、編集長時代の自分もまさにその状態。常に“乗車率300%”でした。

40代は仕事も家庭もハイライトを迎える大事な時期だったと、あとから振り返ればわかります。全身全霊をかけて夢中になれる仕事に打ち込めたのは本当に幸せでしたが、なんせ“乗車率300%”。まわりが全然見えていませんでした。家族や周囲の人たちには寂しい思いをさせたり、傷つけたり。当時もっと自分を客観視できていたら、と思わずにはいられません。
『ローズ ローズィ ローズフル バッド』は現在「クッキー」で連載中で、正子さんは今、大変な状況の渦中にいます。「もしタイムマシンがあって過去に戻れても、私は変われない、私は私でしかない自信がある」と言いながらこの失恋に納得しようとしている。でも、きっとこれから彼女は変わっていくんじゃないかな、と続きを楽しみにしています。
私も後悔はあっても、当時乗車率300%を100%でやっていたらと考えることはやっぱりないんです。あの時代はそれが幸せだったわけですし。もっと大人になって賢い自分になれていたらと悔やむことはあるけれど、それよりこれからをどうしていくか。
だからyoi読者の皆さんには、今日できることを大事にしてほしいです。本当に大切なものなんてそうたくさんないはずだし、優先順位を決めて上からつかむしかない。そうやって、一日一日を積み重ねた結果が未来につながっていくんだと思います。「明日の自分」を作っていくのは「今日の自分」なのですから。
取材・文/横井周子 企画・構成・イラスト/木村美紀(yoi)