人生の先輩たちは、これまでどんなことに悩み、どうやって乗り越えてきたのか? 集英社の編集出身の女性役員が会社員人生を振り返りつつ、自分を励ましてくれたマンガとともに語ります。今回話を聞いたのは、モード誌「SPUR」の編集・編集長を合計24年間務めた内田秀美常務取締役。何度も読み返したいという、お守りのような3作品を教えてくれました。
マンガを紹介するのは…内田秀美 常務取締役

集英社 常務取締役
山梨県出身。早稲田大学を卒業し1986年入社。「non-no」編集部を経て、1989年から24年間「SPUR」一筋。2007年から2013年まで編集長。2015年「T JAPAN」を創刊し、編集長を務める。2020年取締役、2024年常務取締役。趣味はゴルフと湯治。好きな芸能人は坂口健太郎。
内田常務のおすすめ漫画①東村アキコ 著『かくかくしかじか』/集英社

STORY
「自分は絵がうまい」とうぬぼれていた宮崎の高校生・明子。美大入学を目指して入った絵画教室で、人生を変える恩師に出会う――。少女マンガ家を夢見たあの頃を描くドラマチック・メモリーズ!
入社式の日に見た桜と、あの日の初心を思い出す作品
※以下のインタビューは、作品のネタバレを含みます。
人生の中で何度も読み返す本って、私の場合、そんなにたくさんはないんです。今回紹介する3作は、時々本棚から取り出す特別なマンガばかり。落ち込んだり、仕事がしんどかったりするときにページを開くと、気持ちをフラットにしてくれる。私にとってのお守りのような存在です。
私の原風景は、山梨県の田舎で過ごした中高生時代なんですね。学校へ行って、授業に出て、お弁当を食べて、放課後があって、好きな先輩もいて……。あの頃は、ただ淡々とした日常を繰り返していました。それが自分の中にしみこんでいて、ずっとベースにある。だからなのかな、田舎と高校生を描いたマンガが好きです。
『かくかくしかじか』は、宮崎の高校生・明子が恩師である日高先生との出会いを経て、マンガ家になるまでを描いた東村アキコさんの自伝的作品。私はこのマンガが本当に好きで、本屋さんで全巻買っては「これは!」と思う方にプレゼントしています。笑えるし、前向きな力をくれるから、NHKの朝ドラにしてほしいくらい!(映画になりました!)
最終巻に、日高先生の口癖だった「描け」という言葉を生徒たちが思い出す名シーンがあるんですね。あれこれ考えすぎずに、無心にひたすら手を動かして「描け」って、すごく重要なメッセージですよね。編集の仕事も同じだと思うんです。自分の頭の中だけで悩んでいるより、まずは動いたほうがいい。

私、入社式の朝に見た市ヶ谷の土手の桜が忘れられないんですよ。夢のようにきれいで、まるでこれからの私を祝福してくれているみたいでした。あのとき、自分は何でもできるしどこへでも行けるんじゃないかという気がしました。もちろんそんなわけはなかったんですが(笑)、『かくかくしかじか』を読むと、あの日の桜が目に浮かびます。
失敗してもいいからとにかくやってみようという初心を思い出させてくれるマンガです。
内田常務のおすすめマンガ②吉田秋生 著『河よりも長くゆるやかに』/小学館

©吉田秋生/小学館
STORY
あくまでもマジメに、だけどホドホドに性少年。基地のある町で暮らす男子高校生トシ、深雪、秋男。トシとその姉には暗い過去が……。環境にめげず、明るくしたたかに生きる少年たちを描く青春ストーリー。
ゆったりと流れる日々のいとおしさを噛み締めて
30代の頃、年間90日間ほど海外出張をしていて、今では考えられないくらい忙しい日々を送っていました。深夜に作業をしていると、何か悲しいことがあったわけではないのに、涙がポロポロと流れてきたことがあったんです。しばらくして副編集長になってからは、出張などの現場仕事は減ったことで少し時間に余裕ができたからか、そういうことはなくなったのですが…。
その後、40代のときです。編集長として訪れたNYコレクションで、夜中に倒れました。救急車でERに運ばれたんですけど、体には異常がない。メンタルかもしれませんね、と言われて帰国後検査を受けたら、軽いパニック障害という診断でした。
まさか自分がそんなふうになるなんて、信じられませんでした。でも、主治医の先生がいい方で。「自分の心が弱いと思わなくていい」「風邪を引いたと思って、薬を飲んでください」と言われて、気が楽に。2年ほどで症状は治まり、今では何事もなかったかのように暮らしていますが、知らないうちに自分自身を追いつめてしまうことがあるんだと実感しました。平穏な日々の貴重さに気づかされたでき事でしたね。
『河よりも長くゆるやかに』は、80年代、米軍基地のある町で暮らす男子高生3人組を描いたマンガです。それぞれ家族の問題を抱えていたり、実はいろんなことがあるんだけど、他愛ない日常が描かれています。時代を感じる部分もありますが、読み返すと心が落ち着く作品です。

©吉田秋生/小学館
汚い河を見ながら上流はもっときれいだったはずなのになと言う友達に対して、「海に近くなると汚れはするけどさ 深くて広くてゆったりと流れるじゃないか」というセリフがあるんですけど、すごく沁みますよね。大したことがなくても、毎日がいとおしい特別な日々なんだと気づかせてくれます。
内田常務のおすすめマンガ③藤本タツキ 著『ルックバック』/集英社

STORY
自分の才能に絶対の自信を持つ藤野と、引きこもりの京本。田舎町に住む二人の少女を結びつけたのはマンガを描くことへのひたむきな思いだった。しかしある日、すべてを打ち砕く事件が起きる……。唯一無二の筆致で放つ青春長編読切。
継続と自信が、これからの自分をつくる
『ルックバック』は、好きなことをひたすら続けて仕事にしていく話でもありますよね。だからどこか、自分にも重ね合わせて読んでいます。
このマンガでは、藤野が部屋で描きつづけている後ろ姿が何度も繰り返し描かれて、時間や季節だけが変わっていくのがすごく印象的です。彼女が積み重ねた努力が伝わってくる。ああ、思い出すと泣いちゃいますね。


ライバルであり、友達でもある藤野と京本の関係も、学生時代ならではの熱さがあります。藤野は、本当のところどう思っているかはともかく、京本の前では自分の才能について自信たっぷりに振舞っている女の子。でも結構それってとても大事なことだと思うんですよね。
若手社員向けの研修などでもよく話しますが、若い皆さんには、自分を過大評価してほしいなって思うんです。例えば上司に褒められたら、謙遜したりしないで、自分でも「あれはすごくよかった!」と思うとか。そうしたら、次はもっと大きなことを考えられる。自信を持つと生きやすくなりますし、それに何より、自分を認めることは、とっても素敵なことだと思うんです。
取材・文/横井周子 企画・構成・イラスト/木村美紀(yoi)