コロナ禍がきっかけでマスクが一般化し、治療中の口もとが隠せることもあってか、10代~30代を中心に矯正歯科治療を行う人が増えています*1。その一方で、不適切な矯正歯科治療によるトラブルが増加していて、特に透明なマウスピース型矯正装置(アライナー矯正)によるトラブルが急増しています*2。従来から行われているワイヤーを使ったマルチブラケット装置による矯正治療とマウスピース型矯正治療では、どのように違うのでしょうか? 適切な歯科矯正治療の症例とNG矯正の症例を取材しました。
*1 「令和4年 歯科疾患実態調査結果の概要」厚生労働省
*2 公益社団法人 日本臨床矯正歯科医会 2021年データより

星隆夫(ほしたかお)先生

星歯科矯正院長

星隆夫(ほしたかお)先生

新潟大学歯学部卒業。新潟大学大学院修了博士(歯学)取得。新潟大学歯学部歯科矯正学教室研究生、医員、新潟大学歯学部附属病院矯正歯科助手、新潟大学医歯学総合病院矯正歯科診療室助手を経て、2006年より星歯科矯正院長。認定歯科矯正医(旧JBO認定歯科矯正専門医)・認定審査委員。日本矯正歯科学会認定医。

マウスピース型矯正で、食べ物が噛めなくなった!?

マウスピース矯正 歯科矯正

増田:従来から行われているワイヤーを使ったマルチブラケット装置の歯科矯正治療と、トラブルが多発しているマウスピース型矯正治療との違いは、どこにあるのでしょうか?

星先生:一般的な矯正歯科治療で使っているマルチブラケット装置は、精密検査(⇒詳しい検査資料についてはvol.87を参照)や診断を行なったうえで、1本1本の歯の表面に溝のあるブラケットという器具を貼りつけます。その溝にワイヤーを通して3次元的に歯を移動させる治療法です。ブラケットは金属やセラミックやプラスティックでできたものがあり、いずれも歯に装着すると自分では取りはずすことはできません。

一方、マウスピース型矯正装置(アライナー矯正)は、歯並びのシミュレーションを行って、形の異なるマウスピース型を複数製作します。そのマウスピース型矯正装置を1日20時間以上装着。1〜2週間ごとに形の異なるマウスピース型矯正装置を交換します。

マウスピース型矯正装置のメリットは、自分で装着するので、食事や歯磨きの際に取りはずすことができること、透明なので目立たないことなどです。

一方で、マウスピース型矯正装置で治るのは、軽い不正咬合の人に限られます。また、患者さん自身がいかに装着できるかの状況によって、治療結果が大きくゆだねられます。従来型のマルチブラケットを使った矯正治療に比べると、歯への荷重のしかたが緩いため、不正咬合の状態が中度以上の人、特に抜歯が必要になる人には、予想外の治療経過をたどることが報告されています。

一般的に、歯科矯正治療には、専門的なトレーニングや経験が求められますが、マウスピース型矯正装置を使った矯正治療は、歯科医師であれば誰でも材料会社にマウスピース型矯正装置の製作のオーダーができるため、矯正治療の経験の浅い歯科医師が行い、満足できる治療結果にならない場合があります。そのため、トラブルが増えているのです。

【マウスピース型矯正装置を使った症例】
⚫︎マウスピース型矯正装置での治療前
歯のデコボコが気になって矯正治療を希望した32歳の女性。

マウスピース型歯科矯正 治療前

⚫︎透明なマウスピース型矯正装置を装着後
マウスピース型矯正装置で治ると説明を受け、前歯上下に透明なマウスピース型矯正装置を装着。しかし、奥歯の上下に隙間ができてしまい、ものが噛めなくなってしまった。

マウスピース型矯正 装着後

⚫︎歯科矯正専門の医師のもとに転院してマルチブラケット装置で再治療を開始

歯科矯正 マルチブラケット装置

⚫︎治療終了(治療期間約1年)
奥歯でものが噛めるようになり、噛み合わせも整った。歯のガタガタもきれいになる。

歯列矯正 終了後

【マウスピース型矯正装置を用いた矯正歯科治療の問題点】
● 1日20時間以上の装着が必要で、治療の効果は装着時間によって大きく異なる。
●中重度の出っ歯やガタガタの(乱ぐい)歯には向かないため、治る症例が限られる。
● 歯への力のかかり方が緩いため、治療期間が長くかかることがある。
● 診断時のシミュレーション画像に、歯の根っこ部分についての情報がないため、骨の中の歯根まで考慮した治療ができない。経験が少ない歯科医師は診断時の画像で専門的な歯科矯正治療の適否の判断ができない。
● 歯科医師であれば誰でも材料作製会社にマウスピース型矯正装置をオーダーして治療が可能。
● マウスピース型矯正装置は、噛み合わせ面を覆う装置のため、噛み合わせの高さが上がり、顎関節に負担がかかる。噛みしめる力が強いと奥歯が歯の根の方向に沈むことがある。

【マウスピース型矯正治療が行える可能性のある例】
● 歯を抜かない治療ができる軽度の症例で、
・軽度の隙間がある
・軽度のガタガタ歯で歯並びを広げることで噛み合わせが改善できる
・大きく歯を移動させずに済む
● 矯正治療終了後の後戻りを整える
● 金属アレルギーのある人やフルートなどの吹奏楽器を演奏する人など

必ずしも歯を抜かない治療がいい治療ではない

増田:マウスピース型矯正治療は、抜歯をしないで済むため、選ぶ人もいると思います。健康な歯を抜くことに、抵抗がある人は少なくないと思いますが、抜歯はどうしても必要なのでしょうか?

星先生:「矯正治療に抜歯は必要なのかどうか?」を、歯科矯正を専門にした歯科医師に臨床経験をもとに回答してもらった調査結果があります。「すべての患者さんに非抜歯(歯を抜かず)で治療が可能ですか?」との質問にすべての矯正専門医が「いいえ」と答えています。

また、「永久歯列期の患者さんに対して矯正治療を開始するにあたり、抜歯が必要と診断した患者さんの割合はどのくらいか ? 」と聞くと、8割以上の医師が「来院した患者さんのうち6割以上の人に抜歯治療をしています」と答えています*3
*3 一般社団法人日本歯科矯正専門医学会(JSO)会員 2010年

一般的には、歯を抜かないで治療する歯科医師は、歯並びを広げる傾向が多くなります。無理をして歯を抜かない治療を行うと、奥歯が外側に傾き、噛み合わせが悪くなったり、前歯が飛び出してしまい、口が閉じられなくなることがあります。

逆に、美しい口もととそれに合った歯並びを優先すれば、抜歯治療をすることになります。抜かずにいい状態に改善できるなら抜歯する必要はありませんが、すべての患者さんに対して歯を抜かない治療をすることは、現実的に不可能です。

歯科矯正治療の抜歯・非抜歯は、目指す状態(目標)があって、それにふさわしい治療内容によって決定するべきものです。きちんとした検査を受けて、ご自身に合った治療を受けてください。

増田:患者さんを診る前から「歯を抜かない治療」「マウスピース型矯正で治る」と謳っている歯科医師は、注意しなければいけませんね。

星先生:適切な検査と診断を行い、抜歯して従来のマルチブラケット装置をつけて治療した症例を紹介します。

【抜歯してマルチブラケット装置を使った矯正治療の症例】
⚫︎治療前 
歯が前に出ており、噛み合わせが悪く、きちんと噛めていなかった。

マルチブラケット矯正 歯列矯正 治療前

⚫︎治療中 
上下4本の小臼歯に加え、前歯の出っ張りを改善するために上あごの大臼歯を2本抜歯してマルチブラケット装置を装着。(上顎第三大臼歯を配列したので大臼歯の本数は減っていません。)

マルチブラケット矯正 治療中

⚫︎治療終了
前歯の出っ張りが改善され、しっかり噛めるようになった。横顔のシルエットも変わった。

マルチブラケット矯正 治療後

マルチブラケット矯正 治療後 口腔内

⚫︎ビフォー&アフターの横顔
治療前に比べて、ほうれい線がなくなり、あごのラインがすっきりとし、鼻に高さが出た。

マルチブラケット矯正 ビフォーアフター

歯科矯正の治療期間や費用は?

歯科矯正 費用 期間

増田:マウスピース型矯正治療のほうが短期間で治療できて、費用も安価だと謳っているクリニックもあるようですが、この点はどうでしょうか?

星先生抜歯をしてマルチブラケット装置を使った歯科矯正治療の治療期間は、大人の場合、2年~3年程度です。マウスピース型矯正治療の場合、どの状態をゴールにするかが定かではないので、一概に比べられませんが、1年半~3年としていることが多いようです。しかし、マウスピース型矯正ではきちんと治らず、マルチブラケット装置を使った治療を追加することも少なくないので、マルチブラケット装置を使った歯科矯正に比べて、治療期間は決して短いとは言えないでしょう。

歯科矯正治療の費用に関して、現在は唇顎口蓋裂などの先天性疾患に起因する咬合異常や外科手術を必要とする顎変形症の場合を除いては、健康保険を適用することができません。そのため、歯科矯正治療は基本的に自由診療になります。

マウスピース型矯正装置だけで治療を行っているクリニックでは、1回いくら、月いくらという費用設定をしているところをよく見かけます。あらかじめ総費用を提示せず、通院回数が増えると費用がかさむ仕組みです。

しかしながら、通常は、治療方針が決定すれば、治療開始前に今後かかる治療費用の全額が提示できます。治療費用の総額を治療開始前に提示できない歯科医師は、治療方針や治療の目標が明確になっていない可能性がありますので、注意してください。支払い方法は、各医院で異なりますので、事前に詳しく説明を受けることが大切です。

具体的な費用ですが、治療の難易度、治療期間、治療方法によって異なります。また、歯科医院がある地域によっても異なり、一般的に地価やテナント料が高い都市部のほうが高額になる傾向があります。


参考までですが、永久歯列になってからの矯正治療は約70万~150万円。子どものころの矯正治療(乳歯と永久歯が混在するころ)は約30万~60万円くらいでしょう。

歯科矯正のゴールは、整った歯並びと正しい噛み合わせ、患者が望む口もとの形

増田:歯科矯正治療は特に、どの歯科医師に治療してもらうかがとても重要だということがよくわかりました。歯科医師選びの方法や歯科医師リストは、前回紹介しましたので、そちらをご確認ください(⇒こんなマウスピース歯科矯正に要注意!学会からの注意喚起も【増田美加のドクタートーク Vol.87】)。きちんとした矯正治療を受ければ、整った歯並びが得られることは大きなメリットだと思います。最後に、私たちが歯科矯正治療を受けることで得られるメリットを教えてください。

星先生きれいに整った歯並び、あごと調和したきちんとした噛み合わせ、そして患者さんが望んでいる口もとの形、この3点が揃って矯正治療のゴールと言えます。

病気やけがをして、“治った”ということは、もとの健康な状態に戻るということですが、歯並びや噛み合わせの不正は、遺伝的、先天的な生まれつきの状態であることがほとんどです。はっきりと原因がわかっている不正な噛み合わせは5%しかありません。そのため、歯科矯正治療は、その原因を取り除いてもとに戻す“復元・回復の医療”ではなく、もともと不都合な状態を、望ましい形に創り変える“創造の医療”です。

もとに戻す手本がないことから、どのような状態に変えるか、正しい目標設定が非常に重要です。ですから、矯正治療を始める前には、必ず、どのような状態を目標にするかを歯科医師から納得いくまで説明を受けていただきたいと思います。そうすれば、歯並び、噛み合わせ、望む口もとの形を手に入れることができます。

増田美加

女性医療ジャーナリスト

増田美加

35年にわたり、女性の医療、ヘルスケアを取材。エビデンスに基づいた健康情報&患者視点に立った医療情報について執筆、講演を行う。著書に『医者に手抜きされて死なないための患者力』『もう我慢しない! おしもの悩み 40代からの女の選択』ほか

取材・文/増田美加 イラスト/大内郁美 企画・編集/木村美紀(yoi)