気分が落ち込む、うつっぽい、不安、イライラする、眠れない…。精神科や心療内科はハードルが高いと思う方は、まずは漢方の医師に診てもらって治療する方法もあります。メンタル不調は漢方の得意分野のひとつです。日本の漢方医学の第一人者で、漢方を専門に診察する渡辺賢治先生に心の不調に効く漢方について取材しました。

修琴堂大塚医院 院長
横浜薬科大学学長補佐。慶應義塾大学医学部卒業、同大医学部内科学教室、米国スタンフォード大学遺伝学教室で免疫学を学ぶ。帰国後、漢方を大塚恭男先生に学ぶ。慶應義塾大学医学部漢方医学センター長、慶應義塾大学教授を経て2019年より現職。新刊に『メンタル漢方 体にやさしい心の治し方』(朝日新聞出版)ほか多数。
漢方は心と体の両方を診てアプローチします

増田美加(以下、増田):漢方薬がメンタルの不調に効くのは、なぜなのでしょうか?
渡辺賢治先生(以下、渡辺先生):漢方の基本的な考え方のひとつに「心身一如(しんしんいちにょ)」という言葉があります。心と体は一体、という意味ですが、心の不調が体の不調を引き起こすこともあり、その逆に体の不調が心の不調を引き起こすことがあるとも考えます。
漢方は、心も体もすべて診る、という立場ですので、心と体どちらか一方の表面的な症状を診るのではなく、心身ともに改善することを目標にします。だからこそ、漢方では根本的な治療が可能なのです。
例えば、心の不調が引き起こす体の病気には、心身症やパニック障害があります。また、体の不調が引き起こす心の病気には、過敏性腸症候群からの不安神経症、不整脈からの不安症などがあります。
増田:西洋医学でメンタルの不調を治すのと、漢方では何が違いますか? メンタルの不調を漢方で治療するメリットは、どんなところにあるのでしょうか?
渡辺先生:心の不調を精神科や心療内科で診る場合、脳にアプローチする治療が基本になります。例えば、うつは、セロトニンなどの脳内の神経伝達物質が減るために、無気力、憂うつが起こると考えられています。そのため、治療ではセロトニンの働きを増やす抗うつ薬が処方されます。
一方で、漢方の治療で最も大事にしていることは不調の原因を探ることです。漢方の治療では、患者さんの話をよく聞いて、不調の原因にたどり着き、そこにアプローチすることで根本的な改善を目指します。「病ではなく、人を診る」が漢方の神髄です。
例えば、不安が強い人が雨の日に頭痛がある場合、水の巡りをよくしてむくみをなくす漢方薬を処方すると、頭痛が治り不安が解消していく、ということがあります。
また、体が冷えている人は、冷えが精神活動に影響しますので、気分も落ち込みがちになります。そこで体を温めて冷えを解消する漢方薬を処方します。すると、冷えが改善され同時に気分の落ち込みもなくなっていく…ということがあるのです。
漢方は、心と体の両方を診て、どちらからでもアプローチできるというところもメリットです。
【漢方で心の不調を治すメリット】
メリット1
漢方は、体全体を診て治します。体から心、心から体、どちらもあり得ます。漢方薬は、一人一人の症状と原因、体質に合わせて薬を決めるので、同じ病気、症状でも、一人一人漢方薬が異なります。漢方の強みは、病気に対してでなく、個々の人に合った治療を選択できることです。
メリット2
漢方薬は、薬効が複数あります。ひとつの漢方薬で、冷え、むくみがとれ、頭痛がとれ、気持ちが楽になる、というように、さまざまな効果があります。
精神科や心療内科の薬とも併用できます

増田:精神科や心療内科に通院して抗うつ薬を飲んでいても、漢方薬は使えますか?
渡辺先生:はい。日本の漢方を専門とする医師は、西洋医学の医師でもあります。これは日本独自の医療です。そのため、日本の漢方の医師は、漢方薬と西洋薬を併用して処方することもあります。
西洋医学のクリニックの医師も、通常の診療で普通に漢方薬を処方します。また、精神科のクリニックと連携して、漢方クリニックで漢方薬を処方することもあります。
漢方薬と抗うつ薬を併用している場合は、症状が軽快してきたら抗うつ薬を徐々に減量して、漢方薬だけにしていき、やがては漢方薬もやめる、というのが理想です。
また、漢方のクリニックを受診して、大うつ病や統合失調症のような西洋医学の薬が必要な状態で精神科の受診が不可欠と漢方の医師が判断したら、精神科受診を優先するように、精神科を紹介することもあります。
気分が落ち込む人への漢方薬
増田:心の不調に処方される漢方薬の実例を教えてください。まず、すぐに気分が落ち込んでしまう女性にはどのような漢方薬がいいでしょうか?
渡辺先生:気分が落ち込む人のためのおすすめの漢方薬は、いくつかありますので紹介します。
「香蘇散(こうそさん)」
風邪薬の初期に使われる漢方薬ですが、気分が沈んで、やる気が出ない人にも処方します。気を巡らせる作用が強い漢方薬です。紫蘇の葉が入っていて、紫蘇は香りがあるのでアロマセラピー効果も期待できます。
「抑肝散加陳皮半夏(よくかんさんかちんぴはんげ)」
気持ちを落ち着かせる作用があります。同時に胃腸の働きをよくします。陳皮はみかんの皮で胃腸に効きます。
「桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)」
体が疲れきっていて、心だけが昂って眠りが浅く、意欲が出ない人に。自律神経をよくしてくれる薬です。
「加味帰脾湯(かみきひとう)」
落ち込みがあって、胃腸の具合が悪く、眠りの質が悪い人に。
イライラが抑えられない人への漢方薬
増田:すぐイライラしてしまい、抑えられない女性にはどのような漢方薬がいいでしょうか?
渡辺先生:イライラしがちな女性に処方する代表的な漢方薬を挙げます。
「抑肝散(よくかんさん)」
イライラして攻撃してしまう症状の人に使いますし、人と衝突した結果、うつうつとしてしまう場合などにも使います。
「加味逍遥散(かみしょうようさん)」
20代、30代女性のイライラの緩和におすすめの漢方薬です。PMS(月経前症候群)や更年期症状の不安や不眠にも使います。
メンタルと関連する腹痛などで、仕事に支障がある人に
増田:月曜になるとお腹が痛くなって、仕事に行きたくなくなるという女性には、どうでしょうか?
渡辺先生:体の不調から始まって、それによって心の不調が出てしまうタイプの人ですね。心身一如なので、体調不良から心の不調が出てくることはよくあります。
こういう方は、お腹の痛みが取れると、仕事に行けるようになることが多いので、まず腹痛の心配を取り除いてあげる漢方薬を処方します。
「小建中湯(しょうけんちゅうとう)」
冷えが強くてお腹が痛んで疲れやすい人に。お腹を温める作用がある薬です。
「大建中湯(だいけんちゅうとう)」
お腹を温めながら腹痛を取る薬です。お腹の音が鳴る人やガスが出やすい人に。胃腸が冷えている人によく効きます。
夜眠れない人に
増田:なかなか眠れない、眠りが浅いなど、睡眠の不調がある人には、どんな漢方薬がいいでしょうか?
渡辺先生:女性の睡眠の不調によく使われる漢方薬を紹介します。
「加味帰脾湯(かみきひとう)」
冷えていて、寝つきが悪く、貧血気味で元気がない人に。胃腸に効く生薬がベースになっています。
「桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)」
疲れ切っているのに神経が昂って眠れない人に。竜骨牡蛎には、昂ぶりの原因である交感神経の興奮を抑える働きがあります。
「抑肝散(よくかんさん)」
仕事とプライベートの切り替えができずに眠れない人は、寝る前に飲むと即効性があります。子どもの夜泣きにも使います。
増田:逆に、朝起きられないという悩みを持っている人もいますが、スカッと起きられるいい漢方薬はありますか? どうしたらいいのでしょうか?
渡辺先生:朝起きられない人は、漢方薬を飲む前に、まず眠りのサイクルを整えましょう。
朝起きたらすぐに朝日を浴びて、体内時計を整えることも大事です。また、低血圧 の可能性もあるかもしれません。痩せすぎ(BMI:18.5以下)ではありませんか? 標準体重を目指して血圧を上げ、貧血があったら貧血を改善すると、生活リズムも自然と整 ってきます。
今の20代~40代は、働きすぎて元気がなく、心と体の不調で倒れてしまう人も少なくありません。こうした場合は自律神経の乱れが顕著な場合が多いです。体力があれば「柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)」を処方します。
虚弱で体力以上に頑張ってしまう人には「桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)」を処方します。
自律神経を整えるには、ゆっくりとした腹式呼吸がおすすめですので、試してみてください。日々の養生も大切です。生活の中で気をつける心のための漢方養生法を以下にまとめました。
【心のための養生法】

1 生活リズムを大切に
体だけでなく、心のためにも生活リズムを整えることが大切です。体内時計は太陽と同期していますが、多少の時間のずれがあります。このずれを是正するためには、朝起きる時間を決めて、朝日を浴びます。そして起床後1時間以内に食事をとることも大切。これらの習慣で体内時計が整います。朝食ではタンパク質をとることを忘れずに。アミノ酸のトリプトファンから幸せホルモンの一つであるセロトニンが生成されます。セロトニンは夜になると、眠りの脳内ホルモンであるメラトニンに変わります。朝食のタンパク質が夜の睡眠スイッチになるわけです。まずは規則正しい生活が健康のための1丁目1番地です。
2 体を冷やさない
体が冷えていると、気持ちも沈みます。心まで冷やさないように、体は常に温かくしておきましょう。冷えない体のためには、食事の内容も大切です。温かいものを食べて、氷の入った冷たいものを飲み過ぎないようにしましょう。冷たいアイスクリームを食べたら、温かい飲み物を飲む、などで工夫してください。
3 ストレスマネージメント
仕事や生活が忙しくて息がつけない、人間関係に悩むなどで、ストレス過多になってしまいがちです。ストレスを発散する引き出しをたくさん持つことが重要です。簡単なことでいいのです。例えば、公園を歩いて季節のうつろいを眺める、お気に入りのカフェで好きな音楽を聴く、時間があるときには温泉(銭湯)に行くのもいいでしょう。自分の好きなことの引き出しをメモに書き出してみて、時間の有無に応じて選べるようにしてはどうでしょう。
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イラスト/大内郁美 企画・構成・取材・文/増田美加