『顔に取り憑かれた脳』の著者である中野珠実さん曰く、自分の「顔」にまつわる心の動きには、脳のメカニズムが深く関係しているのだそう。私たちの心と顔の関係について伺うインタビューの第2回は、脳が自分の「顔」をVIP扱いする仕組みなどについて伺いました。
大阪大学大学院情報科学研究科教授
情報通信研究機構(NICT)・脳情報通信融合研究センター(CiNet)主任研究員。身体・脳・社会の相互作用から生まれる心の仕組みに関する研究を行っている。著書に『顔に取り憑かれた脳』(講談社現代新書)。
自分の「顔」をVIP扱いする脳
──中野さんの著書『顔に取り憑かれた脳』に、「脳は自分の顔の情報をVIP扱いする」というお話がありましたが、その仕組みについて伺えますか。
中野 自分の顔と見知らぬ人の顔写真に対する脳の活動を調べたところ、脳幹の上部にある「腹側被蓋野(VTA)」と呼ばれる領域が、自分の顔に対して強い活動を示しました。「報酬」をもらえたとき、あるいはもらえそうなときに、このVTAからドーパミンが分泌されます。
何を「報酬」とするかは個々の価値観によって異なりますが、いずれにしても報酬=自分にとって価値のある手に入れたいものです。それを手に入れるためのモチベーション(やる気)を引き起こしているのがドーパミンなのです。VTAからドーパミンが放出されると、「その情報にもっと注意を払って」「その情報をもっと収集して」というメッセージが他の脳の領域に伝わります。
──自分の顔を見たときにドーパミンが放出されるシチュエーションは他にもあるのでしょうか?
中野 自分の顔写真に美加工を加えたときに、脳の「側坐核」という場所が強く活動することがわかっています。側坐核というのは、人間をやる気や夢中の状態にさせる重要な場所で、先ほどお話ししたVTAとドーパミンを介してつながっています。
VTAと側坐核を通る神経経路は「ドーパミン報酬系」と呼ばれていて、他者の顔写真が加工で美しくなっても活動しませんが、自分の顔が加工によってより美しく変化したときに反応していました。
ドーパミン報酬系は、目標に向けて頑張るモチベーションをつくり出し、長期的な損得をもとに最適な行動を選べるようにするシステムですが、一方で依存とも深く関係しています。つまり、働き方次第でポジティブにもネガティブにもなるのです。
──そのドーパミン報酬系の働きによって、私たちは自分の顔写真をつい加工してしまうのですね。
中野 そうですね。ただ、私は加工が一概に悪いことだとは思いません。流行に合わせて見た目を変えることは、古代からつねに行われてきた人間の文化のひとつであり、自己表現する楽しみでもありますから。
顔写真の盛りすぎにブレーキをかける「不気味の谷」
──顔写真を加工したときにドーパミン報酬系が反応するのであれば、さらなる報酬を求めて加工もどんどん極端になってしまう可能性があるのでしょうか。
中野 可能性はありますが、極端に加工された顔写真を見ているときの脳の活動を調べたところ、脳の中でも不安や恐怖の感情と関係する「扁桃体」が強く反応していました。「不気味の谷」という言葉を聞いたことはありますか?
──初めて聞く言葉です。
中野 ロボット工学者の森政弘さんが提唱した言葉で、ロボットの見た目が人間に似れば似るほど、そのわずかな違いがかえって不気味な印象を与えてしまうというものです。写真の加工も度がすぎると「人間の顔はこういうものだ」という概念から少し外れるため、扁桃体が活動して不安や恐怖といった反応を生み出し、側坐核の活動にブレーキをかけているのだと考えられます。
──なるほど、極端な加工を見たときに感じる違和感は、扁桃体の反応から生まれていたのですね。
中野 ただ、同じ写真加工でも他者の顔と自分の顔とで比較した場合、最も魅力的だと感じる加工レベルに差があることもわかりました。30人の大学生の顔写真を撮影し、レタッチアプリで目を大きく&下顎を細くする加工を8段階にわけて行ったのが下の写真です。
これらを自分の顔写真も含めてランダムに見てもらい、それぞれの写真がどのくらい魅力的に見えるかを評価してもらいました。
さまざまな度合いで美加工を加えた顔写真(『顔に取り憑かれた脳』より引用)。
すると、最も魅力的だと感じる加工レベルについて、自分の顔は「4.3」、他者の顔は「3.5」という回答になったのです。どうやら、自分の顔に対してだけは、加工を強化してしまう作用が働いているようです。
──前回のお話も含めて考えると、自分の顔について悩んだり、顔写真を加工したりするのは、自分自身の満足というより、社会的な自己イメージを高めるためという側面が強そうですね。
中野 そうですね。しかもリアルな社会ではなく、自分の中で想像した社会から見た自己評価を想定したものです。私たちは、かなり早い段階から他者や社会の視点を内在化しているので、「自分」をとらえるときに他者目線を切り離すことが難しくなっています。
他者の目を気にすることなく、自分が心地いいかどうかで考えられるといいのですが、結局そこまで割り切れないんですよね。特に女性は幼い頃から、かわいい女の子が王子様に見初められてお姫様になるといった物語に触れているので、「かわいい女の子のほうが得」という社会構造的な刷り込みも根深いと思います。
「他者の目線」から自分を解放するには?
──自分の中の他者目線や社会的な刷り込みをゼロにするのは難しいとしても、できるだけ自分にとっての心地よさを選んでいくためには、どんなことを意識していけばいいのでしょう?
中野 本来、自分にとっての心地よさは、その時々に表れる快・不快の感情で判断できるものです。それが「これなら褒められるんじゃないか」「みんながいいと思う自分になれるんじゃないか」といったように、その基準が他者ベースになりがちなんですよね。
しかも、不特定多数の他者は変化するし不透明だから、正解を模索し続けなければいけない。自分にとっての心地よさと、他者や社会から見た自分の評価のバランスが崩れることで、不安やプレッシャーに押しつぶされそうになってしまうのだと思います。
──何かを選択するときに、例えば「あの人はどう思うかな」といったふうに思ってしまう自分がいたら、バランスを見直すきっかけにしてもいいのかもしれませんね。
中野 そうですね。とかく私たちは、自己意識や自己評価に他者を取り込んでしまいますが、実はそれに敏感な人ほどソーシャビリティ(社会性に関する能力)が高いといえます。自分を他者目線からとらえられるというのは、コミュニケーションの能力の高さでもありますから。
でも、逆にその想像力の豊かさゆえに「この人はこう思うかもしれない」と他者の目線に翻弄されてしまうわけです。だから自分が心地よくいられるバランスを取りながら、自分を他者の目線から解放してあげなきゃいけない部分はあるだろうと思います。
▶︎次の記事では、SNSなどのメディアによる負のループや、「顔」への執着から自由になるためのヒントについて伺います。
イラスト/原裕菜 画像デザイン/坪本瑞希 取材・文・構成/国分美由紀