友達や同僚との関係の中で、小さなストレスを受ける「マウンティング」問題。論文『マウンティングエピソードの収集とその分類』が話題となった、臨床心理学者の森裕子さんとともに「マウンティング」について考えていきます。インタビューの第2弾は、マウンティングの定義の難しさや、マウンティングの「三すくみ」と社会との関係についてお話を聞きました。

<マウンティングとは?>
主に女性同士の関係性の中で「自分の方が立場が上」であると思いたいために、言葉や態度で自分の優位性を誇示してしまう現象を指し、近年注目されている。(『マウンティングエピソードの収集とその分類:隠蔽された格付け争いと女性の傷つき』より)

森裕子

臨床心理学者

森裕子

1996年生まれ。2018年3月奈良女子大学文学部人間科学科心理学コース卒業。2020年3月お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科人間発達科学専攻発達臨床心理学コース博士前期課程卒業、修士号(人文科学)取得。2020年4月お茶の水女子大学人間文化創成科学研究科人間発達科学専攻発達臨床心理学講座博士後期課程入学、現在在籍中。大学の相談センターなどでカウンセリングを行いながら、女性のあいだでマウンティングが発生するメカニズムや、その解消法について研究を行っている。

「マウンティングをする人」は研究できない

――マウンティングでの傷つきには、多くの女性が共感できるのではないかと思いましたが、マウンティングの体験には、人によってばらつきがあるのでは、とも思います。「マウンティングをしがちな人」、逆に「されやすい人」には、何か共通点や性格の特徴はあるのでしょうか。

森さん
:まず、「マウンティングをする人」の研究は難しいということをお伝えしたいです。Part.1でマウンティングの定義を紹介しましたが、そのひとつである「マウンティングをした側に加害意識がない、あるいは加害意識がなさそうに見える」というのがポイントです。

本人に「マウンティングをした」という明確な加害意識があるパターンが少ないんですよね。自覚がないので「マウンティングをした人」を集めることがまず難しい。つまり、そもそもサンプルを集めることができないので、共通点を探す方法がないんです

そしてもうひとつの理由は、これもまたマウンティングの定義の「相手の言動を受けて、自分の方が立場が下であると感じ、不快な気持ちになる」ということの曖昧さです。同じ言葉を受けても「これはマウンティングだ」と感じる・感じないに大きな個人差がある。多数の人にとって「マウンティングではない」と感じる言葉であっても、受け手が「マウンティングだ」と感じていれば、その人にとってはストレスになりますし、その受け止め方を否定することもできません。

発した側も少し張り合いたくなった程度の場合や、それが相手にとってマウンティングになるとは思わず嬉しい報告をしただけの場合も多いんです。なので、「ここからがマウンティング」とこちらで明確な線を引きづらく、そのことが「マウンティングをしやすい人」を定義することの難しさにも繋がります。

私は、自分が下に見られていると感じて不快な気持ちになったのなら、受けた側はマウンティングとしてとらえてよいと考えていますが、学問として「ここからマウンティングだ」と線引きすることは非常に難しいと考えています。定義や状態が曖昧なものがマウンティングというものの本質かなとも思いますが、もう少し定義を精緻化していきたくもありますね。

同じ会話をしても、マウンティングと感じる人と、そうでない人がいる

マウンティング 反応の違い

――なるほど…。例えば「新築の家を買った」という言葉を受けても、マウンティングだと感じる人もいれば、相手の嬉しい報告だと受け取る人もいるように感じます。自覚がないというお話を聞いて、「嬉しい報告のつもりで、相手にとってはマウンティングであり傷つく言葉を言ってしまっているのではないか」と心配になってきました…。

森さん:論文の感想を送ってくださった中にも同じような心配をされている方がたくさんいました。論文の中で挙げているマウンティング例を見て、「私も同じようなことを言っているかも…」と思う方もいらっしゃると思います。でもそこも曖昧なんですよね。

本当に嬉しい報告としてエピソードを話したとして、先程お話した通り、同じことを言われても傷つく人と傷つかない人がいる。単純に一緒に喜んでくれる人もたくさんいるでしょう。さらに、同じ人であっても、傷つく日と気にならない日があるかもしれません。「今、何が相手の傷つきになるか」を完璧に見極め、会話をコントロールするのは難しいと思うんです

――確かにそうですね。相手が抱えている問題や事情をすべて話してくれているとは限りませんし、こちらから「◯◯の話は避けよう」と気をつけるのには限界がある気がします。

だからこそ私は「マウンティングされる側」の方へのアプローチやケアを考えていきたいと思っています。女性同士のマウンティングは、それぞれ<伝統的な女性としての地位・能力><人間としての地位・能力><女性としての性的魅力>のどれかを誇示するものに振り分けられ、それらが三すくみになっていることを発見できたのは、「マウンティングをされたと感じる」エピソードを収集したからです。マウンティングを感じる側から研究したからこそできた発見であり、書けた論文なんです。

マウンティングは「社会から作られてしまった女性の価値」によって複雑化している?

マウンティング 年齢による違い

――マウンティングの3大カテゴリーとなるものは、どれも社会や周囲の目など様々な「外側からの力」によって作り出されたものではないか、という疑問も持ちました。「女性は結婚して子どもを産むのがスタンダードだ」とか、「いや、女性も働き出世し社会で活躍しなければならない」とか、方向は違うけれど、評価軸が「外から見た自分」になっているのではないかと。とすれば、マウンティングは社会構造と切っても切れない関係なのかなとも思えてきます。

森さん
:私は臨床心理学の観点から研究を進めているので、社会学的なことについてはあまり詳しくありませんが…。例えば「美しさ」のマウンティングは、世の中で「これが美しいよね」という世の中の共通認識によって起きているものだと考えると、確かに社会とは切っても切り離せないものであるとも感じています

論文の感想で「社会構造による影響があるのだとしたら、女性だけの問題と捉えず、もっと大きな視点からアプローチしていくことも大切だ」というようなご意見もたくさんいただきました。私も、三すくみには社会での関係性や構造によって影響を受けている部分があると感じています。

例えば、私は研究を始める少し前までは「メイクがうまいね」みたいなことにモヤモヤを感じていました。ですが、27歳になった今では「結婚・妊娠・出産」や「仕事・キャリア」などに対するマウンティングについてよく考えるようになりました。30歳前後ではこのあたりでマウンティングが起きやすい傾向があると考えています。

20代のころの「メイクがうまいね」については使うアイテムを変えたりすれば自分だけで動かすことができる問題ですが、「結婚・妊娠・出産」や「仕事・キャリア」については、自分だけではどうにもならないものです。つまり、対処や回避が自分だけではできない「マウンティング」が起きている。そう考えると、相手や周囲、または社会の変化が必要なところもあると思います。個人ではどうしようもないことなのに、マウンティングにより傷ついてしまう方がいることは、臨床心理学の観点から見ても問題だと感じます

社会による評価軸と距離を取ることが、メンタルケアの観点から見ても重要かもしれない

マウンティングに悩む女性

――確かにそうですね。マウンティングに傷ついてしまう人の中には、自分だけではどうしようもない人生の流れや選択を、社会で作られた評価軸によって、相手と自分を比較してしまい、落ち込んでしまう方もいらっしゃるように思います。

森さん:そうですね。社会による評価軸とある程度距離を取れることは、メンタルケアの観点から見てもとても重要かもしれません。マウンティングに苦しむ方々の中に、社会的な評価によって苦しめられている方もいる。その傷つきを減らすためには、社会へのアプローチによって、評価軸が見直されていくことも必要だと思います

ただ、それってとても時間がかかることなんです。今、現在傷ついている人の傷を癒やすことはできない。だから私は、臨床心理学を学ぶものとして「現在マウンティングで傷ついている人」の明日を少しでも楽にする方法を模索する道を選びました。女性の人間関係からくる小さなストレスを減らして、“今”、生きやすくなる人が増えてほしいなと考えています

イラスト/ふち 取材・文/東美希 企画・構成/木村美紀