禅の世界や仏教の教えを内包した禅の言葉たちには、現代を生きる私たちの心を軽くしてくれるヒントが詰まったものがたくさん! 臨済宗龍雲寺住職・細川晋輔さんに、メンタルに効く“禅ワード”(禅語)について聞くシリーズ。今回は、「嫉妬」に効く“禅ワード”を教えてもらいました。

細川晋輔

龍雲寺住職

細川晋輔

1979年東京生まれ。東京都世田谷区、臨済宗龍雲寺住職。佛教大学卒業後、京都の臨済宗妙心寺の専門道場にて九年間の修行。2013年に龍雲寺住職に。著書に『禅の言葉とジブリ』(徳間書店)、『迷いが消える禅のひとこと』(サンマーク出版)等。

嫉妬に効く“禅ワード”(禅語)は…「牛飲水為乳、蛇飲水為毒(牛の飲む水は乳となり、蛇の飲む水は毒となる)」

“禅ワード”(禅語) 牛飲水為乳、蛇飲水為毒

「牛飲水為乳、蛇飲水為毒(牛の飲む水は乳となり、蛇の飲む水は毒となる)」の意味は?
同じ水でも、牛が飲めば乳となり、蛇が飲めば毒に変わる。
転じて、同じものでも使い方によっては薬にも毒にもなるということ。

感情を薬にするか毒にするかは自分次第

臨済宗龍雲寺住職・細川晋輔さん “禅ワード”(禅語)牛飲水為乳、蛇飲水為毒

細川さん「同じものでも使い方によってはよくも悪くもなる」。これは結構どんなものにでも当てはまるのではないか、と思います。例えば、人間だって水を飲みすぎれば水中毒になります。よくテレビドラマで殺人に使われるトリカブトも、少量だと薬になるそうです。

感情や欲望もそうです。例えばよいものとされている「愛」も、溺れてしまえばよくない方向にとらわれてしまいます。何事も、すべては「コントロールする」ことです。

仏教ではこのコントロールのことを「滅する」と言います。

つまり、仏教でよく言われる「欲望を滅せよ」とは、「欲望をなくせ」ではありません。「ちゃんとコントロールして、よい使い方をしなさい」という意味なんです。

「牛飲水為乳、蛇飲水為毒」という言葉は、「滅する」を思い出させてくれると思いませんか? まさに字を見るだけで立ち止まれる言葉です。「どんな感情も欲望も上手くコントロールして、自分の薬にしていこう」と思える、そんな“禅ワード”だと思います。

嫉妬は「自分に足りないものの確認」と「モチベーションUP」に使う

臨済宗龍雲寺住職・細川晋輔さん “禅ワード”(禅語)牛飲水為乳、蛇飲水為毒 2

細川さん:嫉妬は人と比べることで生まれます。世の中ではよく「人と比べないこと」なんて言いますが、はたしてそんなことが可能でしょうか。

私は「隣のレジは早い」という言葉が好きです。並び具合、前の人のカゴの中身、レジ打ちをしているスタッフの熟練度などを見て、「こっちのほうがきっと早い!」と判断して並んだレジより、何故か隣のレジのほうが早い。そして「もう!」と思ってしまう。そんな経験、ありますよね。

「レジの速さ」なんて些細なことも比べてしまうのに、他のことを比べないなんて難しいと思いませんか? どうしても比べてしまうのが人間。まず「比べてしまうことは当然だ」と受け入れてみてください。

私も比べることを受け入れています。なので、誰かに対して羨ましいなと感じることもよくあるんです。例えば、京都の和尚様が何かやっていると、「京都はいいよなあ」、と思ってしまったりとか(笑)。

羨ましいと感じることは、嫉妬につながります。でも、それって本当によくないことなんでしょうか。

ここで「牛飲水為乳、蛇飲水為毒」を思い出してほしいのです。「嫉妬」を毒にするのか薬にするのか、それは飲み干す自分次第。

「嫉妬」も使いよう。コントロールして前向きに使い、人生を豊かにしていけばいいのです。「嫉妬してはダメだ」なんて思わなくてOKです。

私は誰かを「羨ましいな」と感じたときは、その気持ちを「今の自分に足りないもの」を探す手がかりにします。みなさんも、嫉妬を強く感じてつらいときは、「何故こんなに妬ましく思えるんだろう」と考えてみてください。

そうすると、自分が欲しいものがわかるかもしれません。努力すべきことがわかるかもしれません。そして、その妬ましいと言う気持ちを「絶対あんなふうになってやる」という日々のモチベーションやエネルギーに変える。心を貧しくする「毒」ではなく、心を豊かにする「薬」にするのです。

たとえ今、嫉妬で苦しんでいるとしても、「薬」に変えられれば、上を向いて進んでいけるはず。「嫉妬も捨てたもんじゃないな」なんて思えるかもしれませんよ。

撮影/干田哲平 画像デザイン/前原悠花 取材・文/東美希 企画・構成/木村美紀(yoi)