メールやSNSなどのテキスト(文・文章)コミュニケーションについて、言語学者の尾谷昌則さんにお話を伺うシリーズの第2弾。今回は、言葉の行き違いから誤解が生まれてしまう理由や背景にあるものを教えていただきました。

尾谷昌則

言語学者

尾谷昌則

法政大学文学部日本文学科教授。専門は言語学。特に若者言葉・新語・ネット語に代表されるような現代日本語の変化について、意味論・文法論・語用論の観点から多角的に研究している。日本言語学会評議員。日本語用論学会評議員。共著書に『構文ネットワークと文法』(研究社)、『対話表現はなぜ必要なのか —最新の理論で考える—』(朝倉書店)、『はじめて学ぶ認知言語学 ことばの世界をイメージする14章』(ミネルヴァ書房)など。

人間関係の“内外認知”のギャップが大きなリスクに

言語学 コミュニケーション SNS 短文2-1

──テキストでやりとりをする際、親しい人と、そうでない人とでは、誤解の生まれやすさにも違いはあるものでしょうか? 

尾谷さん コミュニケーションと言語の関係は、よく「氷山」に例えられます。言葉として表に出てくるのは氷山の一角でしかなくて、氷山の本体部分には、その人のバックボーンとなるさまざまな考えや感情があります。親しい相手というのは、その本体をある程度知っている人ですから、自分がどれくらいの氷山を抱えていて、いかにこの結論に至ったかの説明をしなくても済みますよね。けれど、そうでない相手には説明する必要が出てくるので、前提が大きく違うと思います。

──その前提を見誤ってしまうと誤解やSNSでの炎上といった要因につながりそうですね。

尾谷さん コミュニケーション論では人間関係を「内」と「外」にわけることを「内外(うちそと)認知」と言います。「内」というのは近しい人間、「外」はそれ以外の人たちを指し、それぞれに細かなグラデーションがあります。幼い頃はいちばん典型的な狭い「内」である家族とのコミュニケーションが中心ですが、成長するにつれて「外」の人間ともコミュニケーションを取るようになり、相手との親密さによって「内」と「外」のグラデーションが広がっていきます。同時に、先輩と後輩、生徒と教師といった関係性から少しずつ礼儀や敬語などを学んでいくわけです。

ところがSNSの場合、頭では「外」だとわかっていても、「外」の人たちの顔は見えないし、結局反応をくれるのはいつもの「内」の仲間であることが多いので、グラデーションの段階を踏むことが難しいんですよね。そのギャップに気づかないまま、親しい友達同士でリプライを送り合う濃密な「内」の世界から、いきなり世界中にリツイートされる可能性がある「外」の世界につながってしまう。

──それはとても危険なことですね。

尾谷さん 危険だと思います。以前、高校生が飲食店チェーンで調味料ボトルを舐める動画が炎上しましたが、あれも結局、「内」の人間に向けたウケ狙いでやっていたものが「外」に出てしまったケースです。特にSNSなどでは、「内」と「外」のギャップの自覚が足りないことが大きな要因になっていると思います。

スキル以前にコミュニケーションの“練度”が低下している

──発信についてのお話を伺いましたが、「誤読」や「マルハラ」といった受け手側の読み解く力にまつわる事象やその背景については、どのようにお考えですか。

尾谷さん さまざまな事例があるので、すべてを貫く背景を分析するのは難しいですね…。言葉の解釈能力や読解力が落ちたかどうかも単純に言えることではありませんが、氷山(バックボーン)を共有しない人とのコミュニケーションや、そういう相手からのメッセージの解釈力は、確実に練度が落ちているとは言えると思います。私の子ども時代と比べても、明らかに訓練の度合いが違いますから。

──訓練の度合いとは、コミュニケーションの経験値ということでしょうか?

尾谷さん そうですね。例えば、私が子どもの頃は日常的に近所のおじさん・おばさんと話したり、お盆や正月には親戚一同が集まったりと、世代もバックグラウンドもまったく違う人たちとコミュニケーションを取る機会が頻繁にありました。今はそういう機会も少なくなっているでしょうから、幼い頃からの経験による練度が落ちていくのは仕方のないことだと思います。それが事象としてわかりやすく現れたのがこの数年だったというだけで、今の社会はおそらく、いろいろなところで練度が落ちているのではないでしょうか。

伝える際のひと手間で、不要な誤解は避けられる

言語学 コミュニケーション SNS 短文2-2

──なるほど。そもそも練度が落ちているのであれば、「外」の人に伝えるために言葉を尽くすという発想にもつながりにくいかもしれませんね。

尾谷さん 氷山の共有情報が大きい「内」の人たちとのやりとりは、言葉が足りなくてもお互いに補い合って好意的に解釈しますし、マウントを取り合うことも意地を張ることもなく、非常にいいコミュニケーションができるだろうと思います。ところが、氷山が共有できていない相手に同じことをすると、「言葉が足りない」「わかりづらい」となってしまう。例えば職場の上司など、やりとりするのが面倒だと感じる相手には、つい短い言葉で済ませがちですが、短い言葉というのは素っ気なさにもつながってしまいます。

──短い言葉で済ませたくなるときほど、どんなことに気を付けたらいいのでしょうか。

尾谷さん ひと手間を惜しまないことが大切だと思います。数年前に、「大丈夫」という言葉の使い方が話題になりました。「大丈夫」は、もともと「自分には何も問題がない」という意味ですが、今は断り表現として使われるケースが増えていますよね。

例えば、コンビニで「お弁当を温めますか」と聞かれたときに「大丈夫です」と答えると、今はほとんど「NO」の意味で通じることが多いけれど、数年前は「Yes」か「No」なのかわからず、戸惑う人が多かった。でも、「大丈夫です」の前に「いいえ」と一言添えたり、「お願いします」と言い換えたりすれば済む話なんですよね。その手間を惜しんだ結果、誤解が生まれてしまう。言葉の誤解は、そのひと手間で回避できるものだと思います。

次回は、実際にテキストを書くときや読むときに意識しておきたいポイントについて伺います。

イラスト/三好愛 構成・取材・文/国分美由紀