フリーの編集者・ライターとしてジェンダーに関する記事や書籍に携わる福田フクスケさんが、毎回ゲストをお迎えしてジェンダーの問題についてトークしていく連載「やわらかジェンダー塾」。第4回のトークテーマは「男性はなぜ強がってしまうのか」について。小説『たてがみを捨てたライオンたち』、『プリテンド・ファーザー』など、男らしさをめぐる問題をテーマにした作品を多数発表している小説家の白岩玄さんとともに、男性の「強がる」コミュニケーションについて深堀りしてみました。
共通の課題や目的がないと、なかなか仲良くなれない大人男性たち
——今回は、福田さんから「男性は特に、大人になってから友達をつくるのが難しいのではないか?」ということについて白岩さんとお話ししてみたいとご提案いただきました。yoi読者の女性たちからも友達づくりについてのお悩みは多数寄せられますが、男性であるお二人が新しい友達を作りづらいと感じる理由とは?
福田さん:僕はあまり友達をつくるのが得意ではなくて……。仕事で出会った方と「今度プライベートでも飲みに行きましょう」と盛り上がっても、なぜか遠慮してしまうんですよね。もともと幹事やリーダーをするタイプでもないので、「誘われ待ち」をしているうちに、うやむやになって実現しないことが多い。
白岩さん:僕も友達作りはあまり得意ではないですね。別に仕事でもプライベートな話をしていいはずなのに、そのプライベートをどこから喋っていいかわからない。子どもがいれば子どもの話はしやすいですけど……そこからなかなか深まらない。
福田さん:自分に興味を持ってくれているのはあくまで仕事の役割があるからで、それを越えて出しゃばっていいのか?と考えてしまうせいかもしれません。
そのせいか、今の友達はそのような意識が芽生える前に出会った人……つまり地元や学生時代の頃からの関係ばかりです。
白岩さん:僕は地元から離れた場所に長く住んでいるので、昔からの友人はすっかり減ってしまいました。連絡を取り合うような人は、片手で数えられるくらいしか残っていない。あとはパパ友くらいかな。
福田さん:パパ友! 新しい友人関係ですよね。
白岩さん:数年前に『パパ友がいない』という連載をしたこともあったんですが、最近は少し状況が変わって何人かパパ友ができました。小学一年生の息子が『ポケモン』のアーケードゲームをやるんですけど、それについてきたパパ同士で仲良くなれたんですよ。ついこのあいだも、そこで親しくなったパパ友の一人がワンオペだったときに、お互いの子どもを連れて遊びに行きました。
でもこれは、自分と相手が同じ「パパ」だからこそできた関係ですね。僕個人で友達をつくれたかというと、難しかっただろうなと思います。
福田さん:「パパ」もそうですが、共通の目的や課題があると仲良くなりやすいですよね。僕は子どもがいないし、酒やスポーツもやらないのでなおさら新しいコミュニティには入りにくいのかなと感じています。本当は、目的や課題なんかなくても、お互いの話をして仲良くなれればいいんですけど。
でも、僕の事実婚の妻は、新しく仕事で知り合った人とも友達になって食事に行ったりしているんですよ。性格の差ももちろんあるのでしょうが、男女のコミュニケーションスタイルの差もあるのかな、なんて考えてしまいます。
「強さの毛布」で弱さをくるんでコミュニケーションする男性
——友達のつくりやすさに性別は関係あるのでしょうか? お二人はどのように感じていますか?
白岩さん:友達作りの得手不得手は性格的な要素がとても大きいと思う一方で、育てられ方にも原因があるんじゃないかと感じますね。僕個人のことで言えば、男の子として育っていく中で「強がる」というコミュニケーション方法を覚えてしまったことが、人との関わり方に大きな影響を及ぼしていると思います。そこに男女差がどれくらいあるのかはっきりとはわかりませんが、自分が育った時代を振り返ると、男子のほうが強さを求められる機会が多かった、という印象は実感としてあるんですよね。
そして、強がりを覚えた結果どうなったかというと、自分の弱さをなかなか他人に見せられない人間になってしまった。これは悩みを相談しあえるような信頼できる友達をつくりづらい要因になっていると思います。
福田さん:育てられ方もそうですし、友人関係でもそうですよね。いじられる弱い男子より、いじる強い男子のほうが上だというコミュニケーションスタイルとか。
白岩さん:そうですね。僕が育ってきた時代は、男の子が弱いところを見せると、大人にたしなめられたり、友達に笑われたり……。本当は感じているはずのナイーブな感情を、ないことにしなければならなかった。そんな中でできる話といえば、バカ話やエロ話のような「自分は男性的な強さの中にいる」と錯覚できるような話ばかりで。
福田さん:そんな感じでしたね。ただ40代になった今は、ごく少数の居心地のよい友人たちの間だけですが、そのコミュニケーションスタイルは弱まってきていますね。
とはいっても、お互いの弱さについて具体的に話すかというと、それもない。例えば相手が精神的に落ち込んでいたり、休職をしたりするタイミングにも居合わせてはいるはずなのに。男のコミュニティの中では、相手の弱さを知った側は、それをあえて茶化して笑いにしてあげることがマナーで、それで「たいしたことじゃないよな」とスルーしてあげるのが優しさ、みたいな雰囲気もありますよね。
白岩さん:「強さの毛布」で弱さをくるんでしまうんですよね。弱さをむき出しのまま差し出すことも受け取ることもできないから、茶化したり軽く扱ったりするような形でやりとりをしてしまう。
福田さん:「強さの毛布」って表現は面白いですね。「強さ」というと盾や鎧をイメージしがちですが、そうではなく毛布。毛布はどちらかというと、強さではなく弱さのイメージがありますから。
白岩さん:そうですね。「ブランケット症候群」じゃないですけど、それがないと不安になるという「手放せなさ」も含めて毛布だという感じがします。でも、さっきの茶化して笑いにしてあげるというのもそうですけど、「強さの毛布」でくるむことは、自衛手段であるとともに、男性同士にとっては相手に対する配慮であったりもするんですよね。それでくるむことによって、気まずさが緩和されるだろうという「気遣い」として使われている部分があると思います。
女性のコミュニケーションでは、相手を気遣って「自分の弱さ」を見せることが多い
——「強さの毛布」にくるまず、ナイーブな感情をそのまま話すようにすることは難しいのでしょうか。
福田さん:まず、自分の弱さを男性に伝えたときに、そのまま受け止めてくれるという期待ができないんですよ。僕が弱みを見せる相手はどうしても妻ばかりになってしまう。それは悪いことではないと思いますが、男性同士の「強がる」コミュニケーションの反動で、女性であるパートナーにしわ寄せがいっているのかもしれない、と考えることはありますね。
白岩さん:弱みを見せられるのが妻だけというのは、僕も同じですね。女性のコミュニケーションでは、開示や共感が重要視されているような気がするんですよ。男性と違って、ナイーブな感情でも割とそのまま話せるし、受け止めてもらえるというか、「強さの毛布」でいちいちくるむ必要がない。だから同性を相手にしたときよりも、弱みを見せやすいのかもしれません。
——女性同士で話していると、相手を気遣うために、あえて自分の弱さを見せる、ということも多い気がします。そうすることで共感の意を示したり、相手も自分の悩みを話しやすくなるんじゃないかなと。「強さの毛布」にくるむのか、「弱さを見せる」のか、話す相手によって違うけれど、相手を気遣うという根本の構造は、実は同じなのかもしれませんね。
福田さん:女性は「弱い」に合わせることで、男性は「強い」に合わせることでお互いをケアすることが多い、ということですね。
ただ、これは妻が言っていたんですけど……。「男性は女性が相手だと、無意識に女性が下手に出てくれることを期待している気がする。こちらが下手に出ないで対等に接すると、ギョッとしたりムッとしたりされることが多い」と。特に自分が強くいられない状態のとき、この状態になっている気がします。僕たち男性は、女性の「弱さの毛布」を当てにしすぎているのかもしれない。
白岩さん: 無意識に女性が下手に出てくれることを期待しているっていうのは、本当にそのとおりだという感じがしますね。同性同士でなかなか強さを手放せない男性は、特に弱っているタイミングでは、男性同士の「強がり」に合わせるのがしんどくなる。そうすると感情の行き場がなくなって、自分が弱いままでも受け止めてくれる女性とのコミュニケーションを求めてしまう、ということなのかも。本当は、ナイーブな感情について男性同士でも明かし合えたほうがいいと思うんですけど。
福田さん:せめて、いきなり男性同士で弱さを見せ合うのが難しくても、自分たちのコミュニケーションにあるのは「強さ」ではなく「強さの毛布」であるということに意識的でいたいです。男性社会には「弱さ」を感じないように、麻痺させてくる仕組みがたくさんありますから。
白岩さん:「強さの毛布」で「弱さ」をくるんでやりとりしていることを自覚するのは重要かもしれませんね。でも、僕も毛布がないと未だに不安にはなるんですよ。弱さを剥き出しで扱うことに慣れてないし、男社会の中で不用意に弱さを見せると、相手を気まずくしたり、つき合いづらい印象を持たれることも多いから。だから尚更、目を背けたくなるというか。
福田さん:社会で生きていくうえでは、不利になることに自覚なんてせずに、麻痺させておくほうが都合がいいですもんね。そこに気づいて抜け出そうとすることが第一歩とは思いつつ、自分ができているかというと難しい……。
白岩さん:弱いままの自分でいることができたら、本当はもっとラクに生きられるのかもしれませんね。他人とのコミュニケーションにも、もう少し幅が出てくるかもしれないし。息子を見てると、まだ子どもだからというのもあるんですが、強がりながらも弱さをたくさん持っていて、あれくらいのバランスになれたらいいのにな、とうらやましくなるんですよ。ナイーブな感情をそのまま話せる心の強さを自分も身につけたいなと思います。
福田さん:いじったり茶化したりするコミュニケーションに救われることも確かにあるので、それが一概に悪いものと言えない側面もあると思います。でも、それはあえての「強がり」だという自覚は必要ですよね。「強さ」と「弱さ」のバランスを取れるように、女性に「弱さ」のコミュニケーションを押し付けるのではなく、まずは男性同士で「弱さ」の開示を受け止められるようにしたいと思いました。
白岩さんプロフィール写真撮影/山田秀隆 イラスト/CONYA 取材・文/東美希 企画・構成/木村美紀(yoi)