疲れているのに「休みたい」と言えない、休んでいるのに仕事のことばかり考えてしまう……。真面目な人ほど、そんな悩みを抱えているのではないでしょうか。「頑張ることをやめられない」心理にはどんな背景があるのか、心療内科医の鈴木裕介先生にお話を伺いました。

鈴木裕介

内科医・心療内科医・公認心理師

鈴木裕介先生

日本医師会認定産業医。「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトに、秋葉原内科saveクリニックを開業。産業医としても活躍している。著書に『心療内科医が教える本当の休み方』(アスコム)『がんばることをやめられない コントロールできない感情と「トラウマ」の関係』(KADOKAWA)等。

「会社を休んでダラダラする」ことは「休養」ではない?

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──なかなか休むことができない心理やその背景についてお伺いしたいのですが、そもそも、「休む」とはどういう状態を指すのでしょうか? 

鈴木先生 実は、仕事や学業に勤しんでいない時間を過ごしたからといって、うまく休めているとは限りません。absent(欠席する)とrest(休憩・休養する)は日本語においては同じく「休む」と訳されますが、このふたつは実際には異なります。

仮に休んで家にいたとしても、常に頭のどこかで仕事のことを考えてしまうようなら、それは「休んでいる」とは言えない。休養とは、疲労を回復し、健康を取り戻すために、一定の時間を使っておこなわれる行為のことを指します。

──漫然と休むだけでは、「疲労を回復している」ことにはならないんですね。仕事や学業にどれほどやりがいや楽しさを感じていても、休養はやはり必要なんでしょうか?

鈴木先生 はい。前提として人間は動物ですから、活動性を高く維持したほうがいいときと落としたほうがいいときがどちらもあるんです。でも、現代社会においては活動的で生産性が高い状態が評価されることもあり、私たちはついずっとその状態でいたいと思ってしまう。

季節にも夏と冬があるように、私たちの体も低活動の状態に入る時期は必要不可欠で、それが自然な状態であるということをまず知っておいていただきたいです。

頑張ることをやめられない心理状態を生み出す「過剰適応」

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 ──では、「休むと心が落ち着かない」と感じる人がいるのはなぜなのでしょうか? 

鈴木先生 
「過剰適応」という状態に陥っていることが考えられます。これは簡単に言えば、自分自身のニーズに応えることは度外視で、周りのニーズに応え続けてしまうという行動パターンです。

たとえば働き始めたばかりの人など、新しい環境に馴染まなければいけない状況下にいる人は往々にして過剰適応になります。環境に適応するために、短期間ギアを上げて頑張るというのは誰しもおこなう正常なことです。でも、この状態がずっと続き、自分のHP(体力)が尽きかけてもそれをやめられないとなってくると、あまりヘルシーではない状態に陥っている可能性が高いです。

仕事を休みづらいと感じる理由としては、「上司がめったに休まないので自分も休みたいと言えない」など、職場環境に原因がある場合ももちろんあるとは思います。ただ、そういった環境ではないにも関わらず「頑張ることをやめたいのにどうしてもやめられない、休めない」という人は、本質的にはやはり過剰適応になっていると考えられます。 

幼少期の経験やトラウマの影響も

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──周りのニーズに応えようとし続けるあまり、ブレーキが利かなくなってしまっている状態なのですね。「頑張ることをやめられない」状況に陥りやすいのは、どんなタイプの人ですか?

鈴木先生 
性格面で言えば、責任感が強く、自己犠牲的で真面目な方ほど過剰適応的になりやすいというのは旧来から言われていることです。それに加えて、幼少期の経験やトラウマの影響を受けている人も多いように感じます。

──幼少期の経験が「頑張ることをやめられない」性格に影響しているということでしょうか?

鈴木先生 必ずしもではありませんが、そういった背景がある方は多いです。たとえば、ちょっとしたことでも機嫌を損ねてしまう気難しい親と一緒に暮らしていたなど、相手の機嫌によって自分の状況が左右されるような環境下にいたことのある人は、攻撃を避けるために、相手の要求に応えて機嫌をとり続けるという戦略をとりがちなんです。これは、心理学的には「フォーン反応」と呼ばれるトラウマ反応の一種です。

自分の身を守るためにこういった戦略をとりがちな方は、常に相手にとってのコミュニケーションの“正解”を探しているので、相手に好感を与え、失礼な振る舞いを見せないコミュニケーションの達人である場合も多いです。でも、その結果「悲しい」「しんどい」といった自分自身の気持ちは後回しにせざるを得ないので、結果的に自分がしんどくても休まずに頑張ろう、とアクセルを踏み続けてしまうわけです。

──なるほど……。思い当たる人も多そうです。そういった振る舞い方は、自分で「やめよう」と思ってすぐにやめられるものなのでしょうか?

鈴木先生 すぐに切り替えるのは難しいでしょうね。ただ、「この人は信頼に値するかどうか」「この上司の言うことを真に受けてもいいか」といった判断の軸を自分の中に持ち、その見極めをしていくのは、対人関係における一種のスキルです。だから、時間をかけてそのスキルをアップデートしていくこともできるんですよ。

たとえば、どんなときでも頑張りすぎてしまう、どんな相手の機嫌もとろうとしてしまうという人は、「Aさんは信頼できる人だからしっかり話を聞こう。でもBさんはちょっと信用できないところがあるし、たまにしか会わないから、まあ話半分くらいで聞いておくか」というように、アクセルの踏み方を段階的に変えてみる努力をしてみてもいいかもしれません。 

罪悪感を生み出す「厳しすぎる他者」の視点

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──「休んでいるときも人の目が気になってしまう」という場合も、同じような心理が働いているのでしょうか?

鈴木先生 
健康な人の場合は、単に慣れの問題もあると思います。たとえば、長期休暇をとったものの最初の数日はついソワソワしてメールチェックばかりしてしまう……といったことは誰しも経験があると思うのですが、大抵の人はその状態にも徐々に慣れてくるものです。 でも、どれだけ時間が経っても慣れない場合は、懲罰的な親や先生といった「厳しすぎる他者」の視点が自分の中にインストールされていて、まるでその人に監視されているかのように振る舞ってしまっているケースが多いでしょうね。

──誰にも見られていないのに、自分で自分を監視してしまうということでしょうか?

鈴木先生 
はい。誰にも見られていないにも関わらず「休んだことで迷惑をかけているんじゃないか」といった罪悪感が湧き続けてしまう人は、その厳しすぎる視点はいまの自分の環境にとって本当に合理的かどうか、一度考えてみてもいいかもしれません。もし合理的ではないと思ったなら、少しずつでいいので、その厳しさを手放そうとする努力をしていってほしいです。

イラスト/蔵元あかり 取材・文/生湯葉シホ 企画・編集/福井小夜子(yoi)