著者の石田夏穂さん(左)と長田杏奈さん(右)
今、文学界を“筋肉”でにぎわせている小説があるのを知っていますか? 去る第166回芥川賞候補作に名を連ね、第45回すばる文学賞佳作を受賞した、『我が友、スミス』。主人公である会社員の女性・U野が、ジム通いをするうちにボディ・ビルの大会出場を目指すこととなり、本番の日を迎えるまでの奮闘する過程がユーモラスに描かれています。ところが、大会を目指すうちに彼女が直面したのは、ハードなトレーニングだけではなく、画一的に求められる「女性らしさ」や「美しさ」といった価値観との葛藤でした。
テンポよく楽しめる文体ながら、ルッキズムやジェンダーロールなどの社会的テーマが盛り込まれた読み応えが反響を呼び、今年の1月19日に発売されてすでに重版も決定している話題作。今回は、会社勤めをしながら本作を執筆した著者の石田夏穂さんと、yoi peopleとしてもおなじみの長田杏奈さんとの対談が実現。ジェンダーやルッキズムに精通しているだけでなく、“筋肉に魅了されている”という共通点も持つお二人が繰り広げるトークをお届けします。
「女らしさ」という価値観に、いつの間にかからめとられてしまう
長田さん 主人公がボディ・ビルの大会を目指す過程で、本来は自分の世界でストイックに鍛錬していく人なのに、はき慣れないヒールで歩く練習をしたり、日サロや脱毛に通ったり、「世間的な美しさ」や「女らしさ」という価値観にからめとられていく姿が意外でした。ボディビルディングはそういうものとは関係ない世界だと思っていたんです。
石田さん 私もまったく同じで、ボディ・ビルって体を鍛えれば評価されるのかなと思っていたんですが、大会の動画や写真を見ているとそれだけではない要素がたくさんあるという気づきがありました。
長田さん 私は女子プロレスが好きなのですが、「女子プロレス界の横綱」と言われる里村明衣子選手率いる仙台ガールズプロレスリングの選手たちがボディ・ビルにチャレンジしていて。みんな本当にムキムキに鍛えられていたんですが、今思えば確かにすごい高いヒールを履いてたなって。石田さんは、誰か追いかけているアスリートはいますか?
石田さん もともとボディ・ビルの大会を観るのが好きで、YouTubeにもたくさん上がっているのでよく観ています。なかやまきんに君が優勝した大会はライブ配信を観ていましたが、優勝した瞬間、「よかった…!」と感激しました。
長田さん 私は韓国の女性ボディ・ビル選手、ヨンウ・チさんのインスタグラムをフォローしているんです。体のムキムキ具合とすました顔立ちのギャップにひかれちゃう!
石田さん その方、知ってます! 筋トレの魅力って、誰かの鍛え上げられた筋肉を「すごいな〜」と観る感動もあるし、自分でトレーニングしただけ筋肉がついていく、成果物としてのわかりやすさもありますよね。
長田さん 成果物(笑)。筋トレ経験があると、誰かの筋肉を見ても、この筋肉をつくるにはどれだけの鍛錬と努力が必要かがわかるから余計にリスペクトが大きいんですよね。
言葉通りに受け取られない、女性の“強くなりたい願望”
―――物語中、主人公が筋トレをすることで“純粋に生き物として強くなりたい”という願望が、まわりには、女性がジムに通う=ダイエットのため、彼氏の影響、などと解釈されてしまうシーンがありました。お二人は“強くなりたい願望”はありますか?
石田さん 女性が“強くなりたい”と言うと、メンタル的なことにとらえられがちですよね。私は約2年前からジムに通いはじめたんですが、動機は「運動不足だから」とかそのレベル。はっきりと“強くなりたい”とは思っていなかったですが、やっぱりトレーニングしているうちに成果として筋肉がつくとうれしくて。前より強くなれたなって実感がありましたね。周囲にもっと明確な目的を持ってトレーニングに取り組んでいる方がいるのを見て、今回の作品の着想を得ました。
長田さん 私は子どもの頃、戦いごっこが好きで、そこそこケンカが強かったんです。小学生のとき、男子が友達のスカートめくりするところに走っていって飛び蹴りしたり、わんぱくなところがあったんですけど、中学生になったら腕力で勝てなくなって。私の“キックが強い”というアイデンティティはそこで崩壊しました。
石田さん (笑)
長田さん でも最近、もう一回「あ、私、強くなれる」と思ったことがあって。ゾンビを倒すオンラインゲームで、私は日本人ギルドの提督をやっているんです。久しぶりに、いけすかない相手をとっちめる腕力みたいなものがバーチャルで手に入り、ものすごく気持ちよかったんです。女とか男とかジェンダー関係なく、純粋にパワー対パワーの世界。
石田さん スカっとしますよね。
長田さん 石田さんの作中では、主人公が筋トレをする動機として「そうだ、私は、別の生き物になりたかったのだ」っていう言葉がありましたが、普段の暮らしのなかで「別の生き物になりたい」って石田さんご自身も考えたりすることはありますか?
石田さん 筋トレを頑張って腹筋を割りたい、とかはありますね。まったく割れてないんですけど(笑)。あとは、日常のなかで“女性だから○○”、“男性だから○○”っていうことに違和感を覚えると、別の生き物だったらよかったなーと思いますね。
長田さん うん、うん。あと、主人公が「女性は大変ですね」と職場の男性から言われた台詞を、折につけ思い返すシーンがあって。何度もリフレインされるのが印象的でした。
石田さん そうですね。巷によくある言葉だと思いますが、やっぱりちょっと言い方が上から目線のときがあるんだろうなと私は思っちゃうんです。同情に見せかけて、自分はそうじゃないってところに安心感を得ている場合もあるんじゃないかと。
長田さん ご自身も言われたことありますか?
石田さん はっきりと言われた覚えはないんですが、私も自分に「女って大変だな」と思ったりします。
長田さん こういう見た目でいるべきという圧とか、課金の勧誘に囲まれ過ぎですよね。電車内にあふれる脱毛広告とか見ると、なんだかなーってなります。
石田さん そうそう! すね毛一本も生えちゃいけないのか、みたいな。
長田さん 最近は自己啓発系のポエミーなコピーと脱毛がセットになってて、独特な光景になってますよね。そういえば、主人公が大会出場に向けて脱毛をするシーンでニードル脱毛が出てきましたよね。光やレーザーが主流の時代に、なぜ激痛のニードル!?
石田さん 私自身、眉毛のニードル脱毛をしたことがあって、光脱毛よりも痛みを感じたので、ニードルのほうが主人公が頑張った感を出せるかなと思いました。光脱毛でVIOも脱毛したことがあるんですが、そのときは「本当に毛がなくなる!」って面白かったです。最近では、介護されるときに毛がないほうが介護者が楽だからっていうニーズで「介護脱毛」があると聞きました。
長田さん それについては、少し気をつけなくちゃいけない点があるんです。自分が何歳まで生きて、誰かに介護されるというのは未定の人が多い。それなのに不確定な「誰かに迷惑をかける」を理由に、経済的負担のあるVIO脱毛をすすめるという、脅し文脈を、すんなり鵜呑みにしたくないなーって。介護の現場でも、毛があるかどうかはそんなに関係ないという介護者もいて個人差があるし。そもそも、大事なパーツを守るために生えている毛で、性器の保温と保湿に役立つそうです。将来の介護の迷惑とかじゃなくて、何が心地いいかとかしっくりくるかで決められたらいいですね。
―――「この日とりわけ私が憤慨したのは、何も生理中だからではなかった」など、生理の記述がさらりと入っていました。意識的に書いたのでしょうか?
石田さん 生理がくる体を持つ身として、あくまで自然なこととして書いたのがいちばんの理由ですが、女性がイライラしたりすると「生理中?」って揶揄されたりすることも往々にしてあるので、ちょっと先手を打つ感じで、やや意地悪な気持ちで入れました(笑)。私自身、自分がイライラしていると「生理中だからか?」と思ったりもします。
長田さん 全体を通して、そうやって先手を打つ感じがちりばめられているのが面白いです。
石田さん あと、ボディ・ビルのように体をしぼりすぎると生理が止まってしまうアスリートもいるという話を聞いたことがあったので、主人公はあくまで健康を維持した、という表現もしたくて入れました。
長田さん これまで、サポートや知識が不十分だったアスリートの生理についても、近年見直そうという動きがありますよね。
▶︎後編は、筋トレと美容の意外な共通点やジェンダーバイアスとの向き合い方について、お二人のトークはまだまだつづきます。ぜひつづけてお楽しみください。
1991年埼玉県出身。東京工業大学工学部卒。現在は会社に勤めながら執筆活動を行なっている。2021年「我が友、スミス」で第45回すばる文学賞佳作、第166回芥川賞候補作にノミネート。
撮影/花村克彦 企画・文/高戸映里奈