完結を迎えたマンガ『恋じゃねえから』をめぐる渡辺ペコさんと信田さよ子さんとの対談。丁寧に紡がれていく対話のテーマは、母と娘を含めた家族の問題からDVを取り巻く日本の現状、そして頼れる場所を持つことの重要性へ。
※本記事では作品ストーリーのほか、性加害やDVなどの暴力について触れています。

信田さよ子

公認心理師・臨床心理士

信田さよ子

1995年に原宿カウンセリングセンター(HCC)を設立。アルコール依存症、摂食障害、ドメスティック・バイオレンス(DV)、子どもの虐待などの問題に取り組む。2022年より日本公認心理師協会会長。『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(KADOKAWA)、『アダルト・チルドレン 自己責任の罠を抜け出し、私の人生を取り戻す』(学芸みらい社)、『タフラブ 絆を手放す生き方』(dZERO)『家族と厄災』(生きのびるブックス)、『暴力とアディクション』(青土社)、『母は不幸しか語らない 母・娘・祖母の共存』(朝日新聞出版)など著書多数。

渡辺ペコ

漫画家

渡辺ペコ

北海道生まれ。『YOUNG YOU COLORS』(集英社)にて『透明少女』で漫画家としてデビュー。『ラウンダバウト』(集英社)が第13回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選ばれる。2020年に完結した『1122(いいふうふ)』(講談社)は紙+電子累計210万部を突破し、実写ドラマも話題となった。その他の著書に『にこたま』(講談社)、『ボーダー』(集英社)、『おふろどうぞ』(太田出版)などがある。『モーニング・ツー』(講談社)での連載『恋じゃねえから』完結巻が2月21日に発売。

『恋じゃねえから』あらすじ
40歳の主婦・茜は、ある日、中学時代に通った学習塾の講師・今井が彫刻家になったことを知る。彼が発表した「少女像」は、かつての親友・紫(ゆかり)の姿によく似ていた。蘇る26年前の記憶、封印していた1枚の写真。そして私の犯した罪と願い。過去をひもとく現在の3人の運命が動き出す──。『1122(いいふうふ)』の渡辺ペコが描く、創作と性加害をめぐる問題作。

母との関係に悩む人は、勇気を持って離れることも必要

恋じゃねえから 渡辺ペコ 信田さよ子2-1

──『恋じゃねえから』では、作品の根底にある大きなテーマのひとつとして、それぞれの家族の問題も描かれています。

渡辺 性暴力に限らず、加害と被害などの問題って家族関係ともかかわりが深いんじゃないかと思うんです。子どもの頃に自分のホームである「家族」という場所が安全でないと、心が不安定なまま生きていかなきゃいけなくなるような気がしていて。そうすると誰かに頼りたくなって、自分に関心を持ってくれた人に引き寄せられてしまう。紫(ゆかり)の場合は思わず年上の先生との性的な関係に寄りかかってしまって傷ついたわけですが、もし母親が家族の中で彼女の味方になって受け止めてくれていたら、大分違ったんじゃないかと思うんですよね。

──紫の家では強権的な父親が家族に暴力をふるっています。母は父に従い、兄は男性ということで特別扱い。紫は家の中で孤立しているという設定でしたね。

渡辺 私自身が育った家族の構造とちょっと似ているんです。だから紫の両親のように、夫婦が一体になってしまっていると私はつらく感じるというか。

信田 母親の場合、「家族の犠牲者」という要素も入ってくるから難しいんですよね。言葉のボディーブローで娘を痛めつけながら、「かわいそうな自分」を見せたりするんですよ。「パパとの生活はこれからも続くのよね…」なんてため息をついたりして。そうすると子どもは「母を救えるのは私しかいない」と思っちゃうから、泥沼の中にとどまり続けてしまうんです。

──「言葉のボディーブロー」を含めて母親との関係性に悩む読者の方もいると思うので、ぜひ信田さんからアドバイスをいただけますか。

信田 娘を傷つけるタイプの母親にとって、自分のひと言で娘が動揺したり表情を変えることは、「私はこの子への影響力を持っている」という有力感につながります。そこには、娘が成長して幸せになることへの嫉妬もあると思います。そう考えると、やっぱり離れるしかないですよね。勇気を持って離れる。まずは会う頻度を減らすでもいいと思います。

渡辺 この作品ではいろんな母娘を描きましたが、そういう意味では紅子の母親は描きやすかったですね。

信田 リッチなママね。

渡辺 そうです。娘である紅子に対する態度はひどいと言われるかもしれませんが、私は紅子もその母親も好きなんです。ちゃんと「私」を主語にしている人たちなので、勝手さも情のなさも、責任をちゃんとその人自身に帰結できる。「夫がこういう人だから」という関係性の部分に逃げないところがいいなと。 

たまに取り繕わず素直に話して聞ける。友達ってそのくらいでもいい

恋じゃねえから 渡辺ペコ 信田さよ子2-2

──茜と紫は40歳。性暴力を受けたのは14歳の頃なので、長い時間をかけた物語になっています。

信田 この二人も、茜が「自分は紫を裏切ったんじゃないか」という罪悪感を持ちながらつながっている友達関係ですよね。そういう意味では、自分の加害性を、その後の関係性の中でお互いに承認し合っていくというか、この二人の関係性の再生の物語でもあるんじゃないかな。

渡辺 ありがとうございます。もともとハッピーエンドを目指すつもりはなかったのですが、たとえ時間がかかっても、茜と紫が自分を取り戻す可能性は残しておきたかったんですよね。一度失敗してもリカバリーはできる、と私自身が信じたくて。 

恋じゃねえから 渡辺ペコ 信田さよ子2-3

©︎渡辺ペコ/講談社

──紫もそうでしたが、自分が被害者であることを自覚するには時間がかかるケースが多いですよね。そうしたとき、まわりの人に何かできることはあるものでしょうか。

信田 現実に被害を自覚するのには、どうしても時間がかかるんですよ。日本で性暴力や加害・被害なんていう話がちゃんとできるようになってきたのは、21世紀になってから。法律でDVと虐待の防止法ができたのは2001年ですから、たかだか20数年の歴史しかないんですね。つまり、性暴力やDVについて「あんなの普通だよ」「生意気な女だから仕方ないよね」というドミナント(多数派)の常識がまだ強い。そうすると、「これは性被害かもしれない」と感じていても、「私が悪かったんだ」と思って生きるほうが社会に適応しやすいんです。なぜなら力関係で圧倒されてしまうから。

そこで大事なのが、仲間の存在です。自分と同じような経験をした人とか、「それはおかしいと思う」「相談に行ってみたら」と言ってくれる人。そうやって誰かと話をすることで、だんだん腑に落ちてくる。

──紫と茜のように、家族以外にかかわりがあることってすごく大事だと感じますね。

信田 大事ですよ。それもいくつかあったほうがいいです。「みんなにいい顔をして」と批判される可能性もあるけど、そこは「絶対に間違ってない」という自信を持っていろんな仲間を持ったほうがいい。頼れる場所はいくつあってもいいので、ひとつなくしても大丈夫なようにリスクは分散して、広く浅く。もちろん深くなってもいいけどね。

渡辺 信頼できる場所を意識的に複数もっておくって大事だし、信田さんがおっしゃるとおり浅い関係でもいいんですよね。若い頃は「親友」って、自分のすべてを知っていてくれて、連絡を密に取り合うような相手なのかなと想像していたんです。私はそういうのが苦手でうまくできなかったから、コンプレックスでもあったのですが、大人になるにつれて頻度や密度じゃなく、ただ大事に思う気持ちがあればいいんだと思うようになりました。たまに取り繕わず素直に話して、素直に聞ける。そのくらいでもいいのかなって。

なんでもかんでも恋じゃなくていい

恋じゃねえから 渡辺ペコ 信田さよ子2-4

信田 『恋じゃねえから』には、男女だけれど、セクシュアルなものと関係のない地元の友達が出てきますよね。あの設定はすごくいいと思いました。

渡辺 なんでもかんでも恋にしなくていいじゃん、って思うんですよね。何かに失望したり絶望したりしたわけでもないんですが、私の中で恋愛に対する期待値が、どんどん下がっていて。

信田 それは健全ですね。

渡辺 よかった〜お墨付きをいただけて(笑)。これまで多くのフィクションでは、恋愛がスペシャルなもの、至上の関係性であるかのように扱われ続けてきたと思うんです。もちろん、そう信じる人がいてもいいんだけれど、あまりにも偏っている気がします。

信田 そうですよね。私の世代が青春時代を送った1960年代〜70年代は、まさに「ロマンチック・ラブ・イデオロギー(愛と性と生殖が三位一体だという考え=恋愛で結ばれた男女が結婚し子どもをもうけるのが至上という価値観)」の時代でした。お互いを好きになれば恋愛で、結婚する。そこで初めてセックスをして、妊娠・出産する。それが至高のものだと思っていたのです。 

でもいまや一部をのぞいて、ほぼ崩れているんじゃないかと思います。カウンセリングをしていても、セックスレスの夫婦ほど仲がいいの。それでいいじゃないと私は思います。性的な関係ってやっぱりどこか暴力性がありますよね。

渡辺 まさにそんなお話を『1122』という作品で描きました。信田さんや上野千鶴子さんの著作でロマンチック・ラブ・イデオロギーを学んで「ああ、なるほど」と思ったことがたくさんあります。その影響は、描いてきたマンガの中にもスピリットとして生きているのかもしれません。

もっといろんな関係性があっていいし、恋愛も趣味のひとつぐらいになるといいなと思ったりします。そこにいろんな濃淡の友達がいたら、ふわっと世界が広がりますよね。恋じゃなくていい。実感としても、大事なことだと思っています。

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©︎渡辺ペコ/講談社

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『恋じゃねえから』 渡辺ペコ ¥759/講談社

撮影/山本あゆみ 画像デザイン/前原悠花 取材・文/横井周子 構成/国分美由紀