私たちの間に存在するさまざまな愛を描いた、よしながふみさんの最新作『環と周』。驚きの構成を通して、人生の妙が徐々に深く伝わってきます。創作過程やよしながさんが作品にこめた思いとは。
※後編では、作品の重要な部分に触れています。『環と周』をご一読いただいてからご覧ください。
『環と周』 ¥748/集英社 ©︎よしながふみ/集英社
仕事帰りの環はある日、娘の朱里が女の子とキスしているところを目撃してしまう。帰宅して夫に相談するが、夫は思うところがあるようで…。実は、夫も朱里と同じ中学3年生のときに同級生の男の子を好きになったことがあった──。誰かを愛しいと思い、幸せであってほしいと願う気持ち。私たちの間に存在する、さまざまな愛を描いた珠玉の短編連作シリーズ。
どこにいても、その人の幸せを願うのが愛なんじゃないか
――後編では作品の重要な部分に触れていきますので、読者の皆さんにはぜひ先にコミックスを読んでいただけたらと思いますが、第4話の舞台は終戦直後の東京です。帰還兵の環が部下の周を訪ねると、周は家族がいなくなった絶望から死のうとしている。そこを環に助けられ、二人はヤミ市で店を営んでいくのですが…。
ここでの環はね、すごい胡散臭い男なんですよ。何の仕事をしているのかもよくわからないけど、嘘ばっかりつきながら楽しげに生きている。
©︎よしながふみ/集英社
――怪しい(笑)。でも同時にやわらかさも感じます。この環と周の関係性にわかりやすい名前をつけるのはちょっと難しいですよね。ただ、お互いへの好意はずっとある。
そうですね。恋愛とかそういう話じゃ全然ないけれど、要するに、環は周に幸せになってほしいんですよ。
――江戸時代が舞台の第5話は、まさに直球のラブストーリーです。
1話くらい恋愛ものもいれたかったし、あだ討ちとか、幼なじみとか、時代劇のベタな要素を描きたくて。この話の環と周は大変容姿が美しい人たちで、お似合いで、みんなが「この人たちは夫婦になるだろう」と思っていたけど、そうならなかった二人です。
©︎よしながふみ/集英社
――武士だった環が幼なじみの周を想う気持ちの深さにぐっときます。
環は、若いときも「周がいいところへ嫁に行って幸せに暮らすんだったら、それでいい」と思っていたんですよね。究極的な愛情ってそういうことなんじゃないかと思うんです。相手を自分のものにすることじゃない。どこにいてもその人の幸せを願うのが、愛なんじゃないかなって。
全部読み終えると印象が変わるマンガを描きたかった
――第5話を読み終えたときに初めて『環と周』という作品の全体像が見えてきます。驚きとともに、もう一度最初から読み返したくなりますね。
読者の方には何も知らせず、一冊読み終わって「ああ、そうだったのか」とわかったときに見え方が変わると面白いんじゃないかなと思って描きました。最初にちょっとお話ししましたが、コミックスには描き下ろしのエピローグがあるんです。若干の“味変”というか、食事がちょっと進んだ頃にレモンをしぼっていただくと、またおいしく召し上がれます…みたいなつもりです。いい具合の、ちょっと爽やかな読み口になるかなあと思いますので、よかったら。
――早く読みたいです! その構成は最初から考えていたものですか?
はい。最後は江戸時代の話で「エピソード0」にしよう、と。『きのう何食べた?』だけはちょっと違うかもしれませんが、『西洋骨董洋菓子店』にしても『大奥』にしても、読み終わって「ああ、そうだったのか」っていうお話です。最後にちょっとした伏線が回収される話が好きなんでしょうね。
――着想はどんなところからだったんでしょう?
『愛がなくても喰ってゆけます。』(太田出版)が完結した後、次はどうしようかと担当編集者さんと話していて「生まれ変わりものをやりたい!」って盛り上がったんですよね。里中満智子先生の『海のオーロラ』みたいなマンガが描きたいって話をして(笑)。生まれ変わりって永遠のテーマですよね。いろいろな物語で繰り返し描かれているから、私もやりたくて。
©︎よしながふみ/集英社
――読者として感じた生まれ変わりものの魅力はどこにありましたか?
1話だけ読んだときと全編を通して読んだときとで、感触が変わるところでしょうか。悲劇にせよハッピーエンドにせよ印象が変わる。手塚治虫先生の『火の鳥』もひとつひとつ独立した話ではあるけれど、やっぱり全部通して読むとリインカーネーションのお話ですし。未来社会が極まって滅亡して、でもそこからまた新たな命が生まれて…っていう、ぐるっとめぐるお話ですが、必ず火の鳥や見覚えのあるキャラクターが出てきて。
――環と周という名前にも「ぐるっとめぐる」イメージがありますね。
性別を問わない名前をずっと考えていたんですが、環と周には輪廻のイメージが重なるのでいいかなって。時代の設定も、ちゃんと生まれ変わりになるように担当編集者さんが年表を作ってすごく考えてくださったんです。時代は変わっても、いつも環のほうが、周を見つける側なんです。あと、環のほうが料理が上手というすごくどうでもいい設定があったりもします(笑)。
©︎よしながふみ/集英社
人生って8割方ままならない。そう思うと、ちょっと楽になる
――ままならないこともたくさん起きるけれど、『環と周』には「そんな受け止め方ができるんだ」「そんなふうに考えられるのか」ということがたくさん描かれていて、元気が出ました。
ありがとうございます。うれしいです。以前、ネームを読んだ担当編集者さんに「元気が出ます」って言っていただいたことがあって。その話は全然ハッピーエンドじゃなかったんですけど、「あしたがんばって会社いこうかなって思いました」って仰ってくださって。『環と周』も、読んだ方にちょっとでもそんなふうに思っていただけたらうれしいです。あの、人生って8割方ままならないと思うんですよ。
――…すごくわかります。
そのことを腹落ちさせるとわりと平気になるというか。別に状況が変わるわけじゃないんですけど、ちょっと楽になるんですよね。この年になると、調子いいときが2割。体が思い通りにならないのが普通だから、逆にそんなもんだよねと納得して楽しく生きている。若いときにつらいのは、元気だからかもしれません。ある程度体力があるから、無理しがちにもなるし。皆さん、どうぞ無理しないでちゃんと食べて、たくさん寝てくださいね。
©︎よしながふみ/集英社
漫画家
1971 年東京都生まれ。1994 年『月とサンダル』(芳文社)でデビュー。以降『西洋骨董洋菓子店』(新書館)、『大奥』(白泉社)、現在連載中で TV ドラマ化や実写映画化もされた『きのう何食べた?』(講談社)など、さまざまなジャンルの漫画誌でヒット作を生みだす。『ココハナ』(集英社)でオムニバス連載『環と周』を完結。10月23日にコミックスを発売。2024年より芸能界を舞台とした新連載をスタート予定。
取材・文/横井周子 編集/国分美由紀