アーティストとのコラボやアプリの開発など、現代的な幅広いアプローチで禅の思想を伝える活動をされている京都・両足院の副住職、伊藤東凌さんに、2024年に取り入れたい「禅」の考え方について聞くインタビュー。そもそも「禅」や「坐禅」にはどのような意味があるのかうかがった前編に続き、後編では、私たちが日常生活の中に取り入れることができる具体的な禅の考え方、実践法を教えていただきました。

僧侶・伊藤東凌 京都・両足院 禅

僧侶

伊藤東凌

臨済宗建仁寺派 両足院副住職。1980年生まれ。建仁寺派専門道場にて修行後、15年にわたり両足院での坐禅や写経体験などの指導を行なう。いち早く寺院にヨガや美術のイベントを取り入れ、自ら田畑を耕し、食生活や暮らしに禅を取り入れるプロジェクトの実践など、禅の教えを広く積極的に発信。現代における仏教やお寺のあり方を問い続けている。アメリカFacebook本社での禅セミナーの開催やフランス、ドイツ、デンマークでの禅指導など、インターナショナルな活動も。禅を暮らしに取り入れるアプリ「InTrip」をリリース。著書に『忘我思考 一生ものの問う技術』(日経BP)など。

自分がコントロールできる範囲とできない範囲を分ける

——前編では、自分自身で「調える(ととのえる)」ということの大切を教えていただきました。ただ、なかなか日常生活の中で、しかも一人で坐禅をするのは難しいように思います。日々の生活の中にも「禅」を取り入れられる、手軽な方法はありますか?

東凌さんストレスなどの「負荷」を減らすためには、まずは自分で選択する、ということが重要だと考えています。「強制された」ではなく、「自分で選んだ」を増やすこと。とはいえ、仕事があったりさまざまな人間関係があったりする中で、必ずしもすべてを自分でコントロールできるわけではないでしょう。

そのため、まずは自分でコントロールできることとできないことを分けて考えてみるとよいかもしれません。そのうえで、起床時間・歩数・10分瞑想の3つの「自分でコントロールできること」を、実践してみてください。

1.朝早く起きて、自分に集中する時間をつくる

東凌さん:例えば、自分と向き合うために「自分の時間を持ちましょう」と口で言うことは簡単ですが、常時オンラインに接続されているこの時代に、難しいですよね。趣味の読書をしている今この瞬間に、ピロンとメッセージ通知が来たら、一瞬気が取られてしまう。そのメッセージが重要なものだったりすると、そこで気持ちも瞬時にオンモードに切り替わってしまったりする。

コロナ禍以降、リモートでどこでも仕事ができるようになった人も多いでしょうから、強制的に切り替えることが何かと難しくなった分、それをどうにかしたいと考えてまたストレスを重ねるよりも、「常時対応しなければならないのはもう仕方がない」とあきらめて、その中でも自分で時間の使い方を選べてコントロールが利きやすいのはどこか、と考えるほうがよいと思うのです。それが、自分の場合は朝です。

仕事中はもちろん、仕事が終わった夜の時間帯も、なんだかんだ作業がどこまで続くかわからなかったり、家族のいる人だったら家族からのリクエストや家庭内のトラブルにも対応しなければならなかったりする。でも朝だけは、早起きするのはつらいかもしれないけれど、自分で起きる時間を選べるし、早朝からたたみ掛けるように連絡してくる人はそうそういません。朝、自分のために早起きして、自分のためにしたいことをする。その時間を自分でコントロールできた、というだけでもその1日は変わるはずです。

2.歩く歩数は選べる。1駅分歩いてみるのもいい

東凌さん毎日は難しいかもしれませんが、1駅分の距離を電車に乗るか、それとも歩いてみるか、という選択肢ができたときに、ぜひ歩いてみてほしいと思います。歩くことで、それまで気づかなかったような発見があったり、時間帯によって日光を浴びて体内のリズムが整ったり、軽い運動になって睡眠導入に効果的に作用したりします。「今日は何歩歩く」といった目標があれば、その達成感で心地よさを得られますし、途中、自身で選択的に寄り道してみることも充実感につながります。

こうした心的・肉体的な心地よさと適度な疲労感によって睡眠がスムーズになれば、朝の時間を確保するために起きること自体の負荷も減るはずです。

3.自分の悪い流れは自分で断ち切る。そのための10分瞑想

東凌さん:なぜか朝から失敗が続いて、上司との関係がギクシャクしたり、自分もイライラしてしまったり、悪い流れが生まれてしまう日ってありますよね。そんなとき、「自分の悪い流れは自分で断ち切ることができる」と知っておくことも、大切だと思います。

例えば、10分間だけ、ただ目を瞑って瞑想するのもいい。その時間だけ、いろんな思いから離れて、聞こえてくる音や香りに意識を向けて過ごしてみる。10分後に目を開けたときには、きっと少し切り替わっているはずです。

もちろん、人によって相性もあると思いますが、深呼吸する、瞑想する、コーヒーを飲む、なんでもいいので、「自分はこうしたら気持ちが切り替えることができる」という技を持っておくことが重要です。

私から見ると、皆さんリセットにコストをかけすぎてしまっている人が多いと思うんです。1日2日かけて旅行に行くとか、ヨガを1時間するとか、2時間映画を見るとか…もちろん、時間がある時には「非日常」に身を置き、じっくり気持ちを切り替えるのもいいでしょう。ただ、忙しい日常の中で、今もやっとした、この数時間の流れが悪い、といったときに、すぐに実践できることがあってもいいと思うのです。「自分で自分を変えられる」というほうが、禅的な発想といえると思います。

僧侶・伊藤東凌 京都・両足院 禅 紅葉

嫌な感情と向き合うイメージテクニックとは?

東凌さん:もうひとつ、イメージテクニックも教えましょう。例えば嫌な「負の感情」を背負ってしまったなと思ったとき、その感情とどう向き合うか、というテクニックです。あなたがこの人のことすごく嫌いだな、嫌だなという感情に支配されそうになったとしましょう。そのとき、自分の頭の中で、すごくダサかったり、ボロボロで汚かったりする服をイメージしてください。その汚れた服が、あなたの負の感情です。

一度はその服を頭の中で着てみてほしいのです。その服を着た状態の自分を想像したとき、その服を着続けるのか、脱ぐのか…もしかしたら、その嫌な相手に対して「攻撃してやる」「反撃してやる」といった、「傷つけたい」と思うほどの強い憎悪を抱いているとしたら、ゴツゴツのこん棒のようなものも手にしているかもしれません。

あなたはその汚い身なりのまま、そのこん棒を振り下ろしたいのか。きっと冷静にその姿を見ることができれば、服は気持ち悪いし、こん棒は重いし、そもそもそれで誰かを傷つけたいわけでもない、「私は武装を解除します」と選択できるはずです。

このとき大事なのは、一度抱いたその負の感情を、自分で背負ったうえで脱いだし、手放したんだということです。

「自分はそんな汚い感情を持つ人間ではない」と思っていても、余裕がなくなるほど忙しいときに嫌なこと言われたりしたら、誰だって憎しみを持ったりするものです。ただ、それを受け入れたうえで、その感情を身に纏ったままの自分でいたいかどうか。自分でその感情との折り合いをつけるということが大切だと考えています。

そうして一度着た負の感情を自らの意志で脱ぐことができた人は、それを自信にしてほしい。また同じようなことがきっとこの先の人生でも起きるけど、そのときは同じように、自分は脱ぐことができる、という成功体験にしてほしいのです。

物理的には難しいことでも、精神的にならイメージの中で体験することができます。この精神的な成功体験を過小評価してはいけません。自分の中で戦って、自分の意志で勝つことができた、捨てることができた、という積み重ねを、もっともっと大切にしていってほしいと思います。

坐禅も「セルフケア」のひとつとして取り入れる

——今回お話を聞いて、お寺で坐禅をしたり、日常の中に瞑想を取り入れたりすることは、例えばマッサージに行ったり、サウナに行ったり、美容室やネイルサロンに行ったりして、セルフケアするという行為と同じなのかもしれないなと感じました。

東凌さん:おっしゃるとおりです。私は、「修行」として坐禅をしてください、とは思っていません。それがひとつの旅行の目的になったとか、たまたま興味を持って体験してみたというだけでもいい。もしかしたら立ち止まって自分で自分のための坐禅を時間をつくったという体験が、その先の日常にも役立つことがあるかもしれません。

もっと気軽に、立ち寄っていただけたらうれしいですね。

京都・両足院の副住職 伊藤東凌 禅

撮影/コイケマコト 取材・文/千吉良美樹 企画・構成/木村美紀(yoi)