作家の山内マリコさんが2013年に現在のパートナーと交際を始め、同棲、結婚とステップを踏む中でどのように「家庭内男女平等」を獲得していったのか——。その様子を描いたエッセイ、『結婚とわたし』が、2024年2月にちくま文庫として発売されました。「彼氏が欲しくて死にそうだ」と焦ってパートナーを探しはじめた当時の心情、結婚に踏み切った経緯、フェミニストである山内さんにとってのパートナーシップのあり方、などについて伺いました。

山内マリコ 結婚とわたし 結婚 パートナー

山内マリコ

作家

山内マリコ

1980年富山県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。2008年「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞し、 2012年『ここは退屈迎えに来て』 でデビュー。 著書に、『あのこは貴族』(集英社)、『選んだ孤独はよい孤独』(河出書房新社)などがあげられる。そのほか、新刊小説『マリリン・トールド・ミー』が、河出書房新書から5月下旬発売予定。

結婚とわたし 山内マリコ ちくま文庫

結婚とわたし/山内マリコ(筑摩書房)

20代最後の年に、内側からあふれ出た“雑音”

──エッセイ『結婚とわたし』は、「彼氏が欲しくて死にそうだ」という内なる声や、20代最後の年への焦りから始まります。当時の焦りや渇望感は、いったいどこから生まれたものだったのでしょうか。

山内さん 知らず知らずのうちに、社会からの“結婚プレッシャー”みたいなものを内面化していたんだと思います。それまでは遮断できていたはずの雑音が、自分の中からブワーッと濁流みたいにあふれ出てきた感じでした。

そもそもは、自分は「結婚したがる女の子」ではなく、結婚願望というものを持ったことがなかったんです。10代の頃からサブカル至上主義で…人とはちょっと違うところで価値観を確立させたいと思っていました。20代はずっと、自分の好きなことを、どう自己実現につなげるかしか考えていませんでした。

ところが20代も後半になると、若さという“価値”が下がっていく感覚があって、どんどん自信や勢いをなくして、弱っていきました。小説家になりたいという夢を追いかけているだけで、社会的立場はゼロでしたし。そういう状況も、結婚すれば解決される気がして、結婚に逃げ込みたい心境に流れていったわけです。それで、まずは彼氏をつくらなければと、身も蓋もなく焦るようになりました。

──年齢によって価値が下がることなんてないはずなのに、30代を目前にした途端、パンドラの箱を開けたかのように、年齢や結婚、出産にまつわる悩みが溢れ出してきてしまうケースは身近でもよく見聞きします。

山内さん
 例えば、“29歳までに結婚したい”とか、“子どもを産むなら35歳までに”みたいな、年齢で区切った、脅しみたいな言い回しがありますよね。そういうクリシェというか紋切り型の言葉が耳から入り続けるうちに、それを“一般常識”として吸収してしまい、その考え方がいつの間にか自分の中に棲みついてしまっていて。

私の場合、20代前半まではそういった考え方を、「愚かだな」と高みの見物で否定していたけれど、それは若さが強さになっていたから。20代最後の年になると自分が弱体化してきて、大慌てで世間一般の価値基準に迎合しようと、一気に焦りが爆発した感じでした。

──もともと「自分は結婚したがるような女の子じゃない」と考えていた山内さんにとって、当時のご自身の心境の変化に、戸惑いを感じることもあったのではないでしょうか?

山内さん 完全にパニック状態でしたね。なぜ自分がこんなふうになっているのか分析しきれなくて。その頃、よく昔の日本映画を観ていて、そこからなにかを学び取ろうとしていました。昭和30 年代の女性には人生の選択肢がほぼ結婚しかないので、結婚をテーマにした作品が多いんです。

例えば『婚期』という映画の、結婚についてのセリフが秀逸でした。家事労働の面でも、セックスの面でも、それを職業にしていたらお金がもらえるけど、結婚していたら何をやっても無給であると指摘したうえで、「基本的人権からいったってそんな踏みつけた話ってないでしょう」と言う。ノートに書き留めて、「ほんとだよなぁ」と考えました。

「結婚したい!」という内圧に振り回されながら、しかし「結婚って何なんだろう?」と猜疑心もいっぱいで。悶々と考える中でたどり着いたのが、フェミニズムの本。読むことで「女性」であることの意味を初めて理解できていきました。

フェミニズムと出会い、見えてきた世の中の仕組み

山内マリコ 結婚とわたし 同棲 パートナー

──本の冒頭には、「このエッセイを書いていた当時、私は三十代中盤。ライフステージが変化する真っ只中にあり、『女性』であることの当事者性が高まる年齢・立場を生きていました」という一文もありました。

山内さん そもそも、自分が差別される側だとまったく気づいていませんでした。家庭でも学校でも、女性であることがマイナスになると感じたことはなくて。だけどそれって、若いうちは女性差別を免除されていただけなんですね。自分が「普通」だと思っていたのは、期間限定の自由だった。

2010年に刊行された上野千鶴子さんの『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(紀伊國屋書店)を読んで、完全にフェミニズムのチャクラが開きました(笑)。不可解だった世の中の仕組みがよくわかったし、それまで視力0.1くらいのぼんやりした状態から、いきなり視力5.0になった感じでした。そのくらいインパクトのある読書体験だったし、そこからすべてが変わった気がします。

先日、ようやく上野さんに直接お目にかかる機会があって、その話をしたら「じゃあ、あなたは20代後半になるまで幸せだったのね」と言われました。女性は幸せだったらフェミニズムのことなんて一切気にしないし、考えもしない。不幸になって初めて、「この不幸の原因は何だろう?」と考え、気づくものだと。さすがのお言葉でした。

──不幸になって初めて気づく…切ないけれどその通りですね。フェミニズムに開眼する直前の29歳から交際を始めたパートナーについて、ご著書の中では「基本的になにもしない」「そのわりに口は挟んでくる」「感謝の言葉が足りない」と記されています。それでも交際を続けられたのはなぜでしょうか。

山内さん 彼氏のいない枯渇状態が3年続いたあと、欲しい欲しいと神仏に祈った果てにできた彼氏なので、貴重だったんです(笑)。じゃなかったら3日でお別れしていたなというくらい、ペースが違う人でした。“のんき大将”と呼びたくなるほどのんきで…。せっかちな私はやきもきイライラしてしまい、「もっと合う人いないかな〜」と考えることも。

でも、ここで別れてまた彼氏がいない人生に戻るのはつらすぎる、などなど、いろんな邪念に押しとどめられて、初期の危機を乗り越えました。

──当時はかなり追い詰められていたのですね…。

山内さん それはもう。20代前半までの恋愛は、自分からアプローチして、別れたくなったら切り出してと、全部の主導権を自分が握っている感覚でした。だけどアラサーになり、“結婚”をゴールに見据えた交際になった途端、立場が逆転して主導権を失い、受け身になってしまう。

なので、ちょっと「合わない」と思うことがあっても、こちらから別れを切り出すことはせず、粘るようになりました。意見の衝突やケンカを億劫がらず、真正面からぶつかって、わだかまりを解消させる。「この人と仲良くするしかない」という基本スタンスは、のちのち吉と出ることになります。

友達とのコミュニケーションの中で、心の開き方を知った

山内マリコ 結婚とわたし パートナーシップ 関係

──山内さんはパートナーとのケンカを「フェミニズム教育&バトル(春闘)」と称して話し合いをされていますが、本の中では言葉が届かないことや、相手が耳と心を閉じてしまう場面もありました。もちろん自分のためでもあるとは思いますが、モヤモヤすることにひとつずつ、粘り強く向き合い続けられる原動力はどこにあるのでしょう?

山内さん
 それはたぶん、親友との関係から学んだことが大きいです。本にも登場する親友の「あもちゃん」や「きのこ」との関係性がベースにあるというか。本当に親しくしている相手とのベストな状態を知っているから、そうありたいという欲求が強いんだと思います。

彼女たちとのつき合いを通じて、私は心の開き方を知ったし、腹を割って話すことで会話がどんどんドライブしていく楽しさや、関係性が深まっていくことの素晴らしさに目覚めました。そうやっていつの間にか身についたコミュニケーション・スキルを、応用していたんですね。

正面から本音をぶつけて、ケンカして、仲直りしてを繰り返すうちに、夫と親友になれたというか、夫が親友ポジションに座っていた、という感じです。

──そういうときの言葉の届け方など、パートナーとのやり取りで磨かれたスキルはありますか?

山内さん
 ケンカのときは基本的に、夫の心は完全に閉じています。没交渉というか、何を言ってもレスポンスがない状態。なんとか隙間にバールをねじ込んで、大量の言葉を流し込んで、開けてもらうところまでが第一関門ですね。そこからは現場検証のように、火種になった出来事を振り返っていくターンになります。

人づき合いの基本ですが、こちらが正直な気持ちをストレートに打ち明けて、自己開示して初めて、相手も同じように本音を返してくれる。話し合いができれば、相手には相手の言い分があり、どちらが正しい・悪いではないことがわかってきます。

──白黒つけるのではなく、納得できそうな落としどころを見つける。

山内さん
 ジブリ映画のラストシーンのように「あはは〜」とわだかまりなく笑えるところがゴールです。ケンカは、対等な関係であるかを測るバロメーター。どちらかが遠慮している関係だと、モヤモヤした気持ちをのみ込んだり、見て見ぬふりをしたり、言い合いになる前に誤魔化したりしますから。

ケンカは全然悪いことではなく、お互いをよく知るきっかけだと思います。解決するまではめちゃくちゃストレスで、地獄みたいな空気ですが…。

──フェミニズムの本を通じて得た知識は、どんなふうにパートナーと共有されてきたのでしょうか。

山内さん
 「最近こんな面白い本を読んだ〜」という感じで、無邪気に内容を喋っていました。ジェンダーをめぐるディスカッションは面白いので、ケンカついでに議論をふっかけることも。そうするうちに、いつの間にか彼の中にフェミニズム素養が蓄積されていったようです。

本人に聞いたところ、もともとホモソーシャル的な男性集団に属してこなかったことも大きいと言っていました。趣味的にも初期の『クウネル』(マガジンハウスのライフスタイル誌)を愛読していたりと、男性性から逸脱している人でもあったんですよね。男だけど “男らしさ”と相性が悪い。そういう人だったから、私の言っていることがすんなり通じたんだな〜と思います。

人生のターニングポイントとなった彼の言葉

山内マリコ 結婚とわたし パートナー 関係

──あぁ、それはわかる気がします。それにしても、今まで結婚に憧れたことがなかったという山内さんが、同棲を経て結婚に至るまでには何かターニングポイントとなるような出来事があったのでしょうか。

山内さん 当時、私は小説新人賞を受賞したものの、担当編集さんとうまくいかず、作品がなかなか本にならない、“作家の卵”状態が何年も続いていました。同棲の1年後に作家デビューできて、さらに2年ほどたってようやく経済的にも自立できました。それで、「今なら大丈夫かな」という感じで結婚しました。

というのも、じつは29歳のとき、パートナーに「結婚しないの?」とせっついたことがありました。20代のうちに結婚したいという焦りがあって。そこで彼が名言を放ったんです。「きみの経済状況がよくならない限り、それは無理だろう」と。

──確かに名言ですね。

山内さん その言葉で、「まずは小説を頑張ろう」と思えました。文筆を仕事にして、経済的に自立するのが先決だぞ、と。もしあのときスルッと結婚できていたら、小説家になる夢はなし崩し的に諦めていたと思います。

さっきもお話ししたように、夫は「妻子を養ってこそ一人前」みたいな考えが毛頭なく、最初から「自分でどうにかして」というスタンス(笑)。結婚に逃げる道を絶ってくれたおかげで、私もモードを切り替えられました。

──相手に経済的に依存せず、自分一人でも立っていられる状況をつくることは、精神的にもとても大切な要素のひとつですよね。そして、男性役割の押し付けから開放されていたパートナーだからこその言葉だと思います。

山内さん ただ、現実問題として賃金の男女差は凄まじく、男性に経済的な依存をせず、結婚生活を送るのは至難の業。能力ではなく性差で賃金が決まっている世の中なので、女性がそのことで自分を卑下する必要はないです。私の場合は夫の言葉が発奮材料になり、結果的にプラスだったというだけで!

──山内さんが忙しくなり、家事負担の割合が変化したことで二人の関係性まで逆転したというエピソードでは、「男女の問題も突き詰めれば、立場の問題なのだなぁ」という言葉がとても印象的でした。

山内さん 私がおじさん化して、お父さんのポジションに座って、夫に忌み嫌われるようになりました(笑)。目の前にある洗濯物をたたまなかったり、たたんだとしても自分の分だけやって夫のパンツにはノータッチだったりすると、夫に「噓でしょ?」と驚かれるなど。

夫もフェミニズムを理解している分、このねじれ現象を共有できるし、面白がれているのはありがたいです。彼自身も、フェミニズムを通して、自分自身の解像度が上がったんじゃないかなと思います。

撮影/Marisa Suda 取材・文/国分美由紀 企画・構成/種谷美波(yoi)