『ベルサイユのばら』『オルフェウスの窓』といった歴史大作ロマンを描きながら、社会問題を掬い取り、深い読後感を残す短編を数多発表してきた池田理代子先生。インタビューの中編では、短編作品への思いや、脚本・演出・衣装デザインを担当された来年6月公演の舞台『女王卑弥呼』についてお伺いしていきます。引き続き、元マンガ誌編集者で、京都精華大学新世代マンガコース非常勤講師も務めるライターの山脇麻生さんが聞き手となってお話を伺います。〈yoi3周年スペシャルインタビュー vol.4 中編〉
マンガ家・声楽家
1947年生まれ。1967年にマンガ家デビュー。1972年に『週刊マーガレット』にて連載を開始した『ベルサイユのばら』が空前の大ヒットに。そのほか、代表作に『オルフェウスの窓』『おにいさまへ…』『栄光のナポレオン エロイカ』などがある。45歳で音大受験を決意し、1995年に東京音楽大学声楽科に入学。現在も声楽家として活躍している。また、歌人としても活動しており、2020年に第一歌集『寂しき骨』(集英社)を発表。
池田理代子先生が描く、“早すぎた”短編作品
——先生は多くの長編を手がけてこられましたが、『ベルばら』以前に、原爆症を題材にした『真理子』や、児童虐待を描いた『生きててよかった!』など、社会問題を扱った短編も数多描かれています。今回はそういった作品についても伺いたいと思っています。
池田先生:そういう作品も好きなんですけど、あまり日が当たらなくて。『ベルばら』ばっかりというのが残念なんです。
——そうだったんですね。先生のデビューは1967年ですが、80年代に入ってからは読者年齢の高い雑誌でもお描きになってみたいということで、当時、各社から創刊されたレディースコミックにも作品発表の場を広げていらっしゃいますよね。短編『秋の華』は、男性の心理描写の解像度の高さに驚きました。
『秋の華』story
観光地にある土産物屋の若旦那・大崎康彦のもとに、昔、恋焦がれていた年上の容子から、「久しぶりに会いたいので岬ホテルで待つ」と連絡が入る。逡巡していたタイミングで岬ホテルから土産物の注文が入り、康彦はホテルを訪れるが、バーのカウンターに座る容子の後ろ姿に時の流れを感じ、声をかけずにその場を去る。
池田先生:確か、「YOU」が初めて出たときに描いた作品。未来の自分の姿を予見して(笑)。
——はい。創刊号ですよね。同誌に描かれた女性の悲しさと気高さを描いた『ウェディング・ドレス』も印象に残っています。ウエディングドレス作りの仕事をしている30代の女性が主人公で、自分自身は憧れている結婚が叶わず寂しさを感じるものの、培ってきたキャリアに救われて自信を取り戻すというストーリーに、共感する読者は今でも多いのではと思います。
池田先生:私も割と好きなんですよ、そういう短編が。ふと読みたくなったときにたまたま手元になくて、以前、編集さんにコピーを送っていただいたぐらい。
——トランスジェンダーの主人公を描いた『クローディーヌ…!』は、LGBTQ+を扱った作品としても早かった印象です。この作品を描かれたきっかけもお伺いしたいです。
『クローディーヌ…!』story
母親に連れられ、パリに住む精神科医のもとに訪れた少女クローディーヌ・ド・モンテスは「自分は男である」と語る。15歳になったクローディーヌは、小間使いのモーラという女性に生まれて初めての恋をする。しかし大人たちはだれもそれを認めてはくれないのだった。クローディーヌはその美しい人生の中で幾度となく「不完全」な性と愛に翻弄されることになる──。トランスジェンダーを題材にした、今こそ読んでほしい短編作品。
池田先生:これは、フランスの医師が出している本の中に、そういう記述があったんです。女の子に生まれたんだけど自分は男の子だと思っている患者が、お母さんに連れられて自分の元にやってきたと。その医師は、彼女のことを興味深いと思い、長きにわたってカウンセラーを続けるんですね。そのエピソードにとても興味を惹かれて、作品にしたんです。
結局、彼女は愛した人に裏切られてしまうのですが…。この短編、好きなんですよね。今では扱われることも増えた題材ですが、ちょっと早すぎたかもしれませんね。
今いちばん興味があるのは環境問題。ペンネームを変えて『進撃の巨人』的作品を!?
——確かに、「トランスセクシアル」という言葉は、この作品で初めて見たような。ところで、東京教育大学(現・筑波大学)哲学科に在籍されていた当時は学生運動が盛んで、学生同士で政治や社会について話すのが日常だったそうですね。いま興味関心がある社会問題と言うと、どんなことになりますか?
池田先生:やはり環境問題でしょうか。地球がもちこたえられる人間の人数には限りがあると思うのですが、ちょっとそれ以上に人間が増えすぎたのではないかと…感じることもあります。アフリカの子どもたちを見ていると、食糧不足から栄養失調になったり、餓死したり…。性教育が行き届いていないことや、避妊に協力しない男性がいることも問題ですよね。
それに、国単位で考えると、みんな経済のことしか考えていないでしょう。だけど地球単位で考えたときに、このままでいいのだろうかというのは私のテーマです。
——確かに、気候変動の問題は近年注目が高まっていますね。
池田先生:そうですね。そういったテーマでもし作品を作るとしたら…私が名前を変えて、『進撃の巨人』みたいなマンガを描いたら面白いかな?と思ったりします。私は読んでいないのですが、家族に「『進撃の巨人』ってどういうマンガなの?」と聞いたら、「人類が増えすぎてしまうことはよいのか」といったテーマも描いているマンガだよと教えてくれて。
——先生が描く『進撃の巨人』的作品…!ぜひ読んでみたいです。社会問題のお話で言うと、2020年に出された歌集『寂しき骨』に、1996年にカンボジアを旅されたときのことを書かれていましたよね。「歴史は時に身の毛のよだつような怪物を支配者として生み出す。それを生み出す者の正体は何か私はいつも考えざるをえない」とのことですが、人間の奥に潜むものにもずっとご興味があるのでしょうか?
池田先生:そのときは、アンコールワットの遺跡を訪ねることがメインの目的だったんですけど、1975年から1979年の間にポル・ポト政権によって行われた知識階級への組織的大虐殺の傷跡のほうが印象に残っています。大虐殺が終わってから16年たっていたにもかかわらず、頭蓋骨が山と積まれていて……。
どうも権力って、いったん握ってしまうと私たちには想像もつかないような魅力があるみたいですね。とにかく手放したくなくなる。そして、人間生きていればいつかは死がくるものですけど、不老不死まで求めはじめてしまう。そういった人たちの犠牲になるのはいつも人民ですから、やはり関心があります。
20年越しに叶った『女王卑弥呼』の舞台化
——2025年の6月には、先生が脚本を書かれたオペラ『女王卑弥呼』が上演されるそうですね。こちらについてもお伺いしたいと思います。脚本のほか、演出や衣装デザインも担当されているとか。
池田先生:はい。衣装デザインに関しては、実際に作るのは私の秘書なのですが。
——そうなんですね! ところで、卑弥呼を題材に選ばれた経緯をお聞かせください。
池田先生:歌舞伎の中村福助さんがまだ児太郎だった時代に、「俳優祭」で『ベルばら』のオスカルを演じてくださったことがあるんです。それは美しいオスカルだと評判で。そこから親しくしているんですけど、あるとき電話がきて、「理代子さん、卑弥呼(の脚本を)書いてくれない?」と仰るんです。自分が卑弥呼を演じて、オペラ歌手が歌を歌う、そういう舞台をやりたいって。
それが20年前のことで、ダーッと一気に脚本を書いたのですが、残念ながら予算の都合がつかず舞台化されなかったんですね。その台本があるものですから、死ぬ前になんとか舞台化しようと思っていたら、お話が決まって。
——なるほど。それでチラシに「中村福助発案」とあるんですね。20年前に書いた台本が一気に動き出したきっかけはあるのでしょうか?
池田先生:世界的なコンクールで優勝されている薮田翔一さんという素晴らしい作曲家がいらっしゃるんですね。ところがまだ、オペラを手がけたことがないということで、「何かいいオペラの台本はないですか?」と聞かれて、「ありますよ」と卑弥呼を差し出した次第です。
——脚本執筆にあたり、さまざまな本をお読みになったということですが、卑弥呼となると資料本を集めるだけでも大変だったのではないでしょうか?
池田先生:結構大変でしたね。いろんな本を読んで思ったのが、天照大神やその弟の素戔嗚(スサノオ)といった神話に出てくる人たちって、実は神話が後で、モデルがいるんじゃないかということ。私、卑弥呼が天照大神のモデルで、その弟が素戔嗚だったんじゃないかな…と思っているんです。
——それは興味深い説ですね。
池田先生:まだ邪馬台国がどこにあったかもはっきりしていないでしょう。松本清張先生が生きていらした時にNHKの番組でご一緒させていただいて、邪馬台国は実際どこにあったんだろうねとかいろんなお話をさせていただいたことがあるんです。先生は九州説を取っていらっしゃいましたね。関西の方は畿内説を取る方が多いですし、畿内説の中でもさまざまな場所が「ここが邪馬台国だ」と言われています。ですから、どこのエリアにも当てはまるように脚本を書きました。
今回の舞台がうまくいったら、邪馬台国があるとされているいろんなエリアの方からお声がかりがあるかもしれないと思って(笑)。
——いいですね。公開できる範囲で、どんな内容か教えていただいてもいいですか?
池田先生:邪馬台国の卑弥呼は、13歳から巫女をやらされて、どんな男性も近づいてはなりませんでした。ところが、敵対している阿多(現在の鹿児島県本土部分)の君と知り合い、恋に落ちて、子どもができるんです。弟のスサノオがそれを隠すためにわざと乱暴を働き、どうしようもない人物だということで自分に注目を集め、民衆が卑弥呼を崇めるように立ち回る。
——おぉ! 卑弥呼の恋物語もあるのですね!
池田先生:結局、卑弥呼は子どもを産んだことで神の声を聴く力を失い、殺されてしまうんですね。『魏志倭人伝』に、卑弥呼の死後、男の王が立つんだけど再び国が乱れたので、13歳の宗女・台与(とよ)を女王に立てたら国が治まったという一節があります。そこで、卑弥呼の娘は台与ということにして。
——改めて思いますけど、女性が統治していて、平和が保たれていた時代があったんですね。
池田先生:そうですね。争いが絶え、とても繁栄した素晴らしい時代だったのではないかと思っています。ご興味がある方は、ぜひ舞台をご覧になってください。
撮影/森川英里 取材・文/山脇麻生 企画・構成/木村美紀(yoi)