NYコレクションで鮮烈なデビューを果たした17歳、キャリアの途上で妊娠・出産を選んだ22歳、3年間の休業を決めた30代、そして自身で事務所を設立した40代。「自分の人生は自分でつくる」という覚悟のもと、27年のキャリアを築いてきた冨永愛さんに仕事への思い、そして人生について語っていただきました。〈yoi3周年スペシャルインタビュー vol.2 前編〉

冨永 愛

モデル

冨永 愛

17 歳でNYコレクションにてデビューし、一躍話題となる。以後、世界の第一線でトップモデルとして活躍。モデルのほか、テレビやラジオパーソナリティ、イベント、俳優などさまざまな分野にも精力的に挑戦。俳優としては、TBS日曜劇場『グランメゾン東京』(2019年)をはじめ、 2023年から放送された NHK ドラマ10『大奥』では徳川吉宗役として主演を務め話題となった。日本人として唯一無二のキャリアをもつスーパーモデルとして、チャリティ・社会貢献活動や日本の伝統文化を伝える活動など、その活躍の場をクリエイティブに広げている。2024年4月、全国の伝統文化を訪ねる番組『冨永愛の伝統to未来』(BS日テレ)がスタート。公益財団法人ジョイセフアンバサダー、消費者庁エシカルライフスタイルSDGsアンバサダー、ITOCHU SDGs STUDIO エバンジェリスト。著書に『冨永愛 美の法則』、『冨永愛 美をつくる食事』(ともにダイヤモンド社)、『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』(主婦の友社)など。

仕事で自分ができること、できないこと、そして“できないけれど頑張るべきこと”もわかってきた

冨永愛 インタビュー モデル 3周年-1

──モデルデビュー25周年を迎えた2023年に、表現者のセカンドキャリアをサポートする「Crossover」を設立されました。冨永さんの中で「仕事」との向き合い方は、どのように変化してきたのでしょうか。

冨永さん 10代から仕事をしてきましたが、最初はちょっとバイト感覚というか、あまりわかっていない部分が大きかったですね。「モデルとして生きていく」と決めたのは18〜19歳。それは、自分が生きていくうえで何を生業にしていくのか、人生における仕事というものを最初にじっくり考えるタイミングだったと思います。

30代はたくさんの人と出会い、いろいろなお仕事をさせていただく中で悩んだりすることもあったけれど、40代になると「まぁ、こんなもんかな」と。もちろん、いい意味でね。年齢を問わず誰にでも転職を考えることはつねにあるわけですが、私の場合はなんとなく自分のことがわかってきて、仕事についても定まってきた感じがありますね。

──冨永さんの中で、どんなふうに“定まってきた”のでしょう?

冨永さん 私は好奇心がすごく旺盛で、興味があることもつねに変化するタイプですが、その中でも自分ができること、できないこと、というのがなんとなくわかってきて。それに加えて、できないけれど頑張るべきところかどうかの区別もつけられるようになってきました。基本的にまじめな性格だから、全部ちゃんとやりたくて頑張りすぎちゃうんです。

若い頃は全然寝なくても平気だったし、いつでもニューヨークへ行けたけれど、20代と比べて体力も落ちてくるし、やりたいことがあっても全部に手を出すことは難しくなってくる。取捨選択をしないと体調など他のことにも影響が出てしまうので、考えるようになったという面もありますね。

──好奇心というお話でいうと、モデルだけでなく俳優や『冨永愛の伝統to未来』(BS日テレ)のナビゲーター、2011年からのジョイセフアンバサダーなど、幅広く活躍されています。冨永さんが今後さらに深く向き合っていきたいテーマについても伺えますか。

冨永さん 今まで関わってきたことでいうと、やっぱりモデルは続けていきたいですし、俳優ももう少し頑張らせてもらいたいなと思っています。俳優はまだデビューしたてのような状態だけど、それが面白い部分でもあるんですよね。知らないことが多いからこそ楽しいというか。

モデルをやり続けることは究極の挑戦。俳優のお仕事は全力で頑張ってやらせてもらうのみ

冨永愛 インタビュー モデル 3周年-2

──新しい分野の現場に立つとき、もちろんさまざまな準備をされると思いますが、焦りや不安などの感情とはどのように向き合われていますか?

冨永さん 新しいものにチャレンジするときの不安はないですね。私はむしろその逆だと思っていて。27年間モデルをやってきてトップまで行かせてもらったけれど、その頂に立っているほうが不安は大きいです。アスリートとは全然違いますが、もしわかりやすく例えるとしたら、金メダルを取ったあとに「次は銀メダルや銅メダルになるかもしれない」って考えると怖いじゃないですか。トップにいること、それを保つことは、やっぱり至難の業だと思う。だから、モデルをやり続けることが私にとっては究極の挑戦なんです。

その点、俳優のお仕事は全力で頑張ってやらせてもらうのみ。これで受け入れてもらえなかったらしょうがないと思えるだけの準備をして全力で挑むので、何も不安はないですね。もうこれが私のすべてです!って感じで吉宗(NHKドラマ10『大奥』の徳川吉宗役)もやらせてもらったし。

──キャリアを重ねた先に生まれる緊張感や不安は、より重いものかもしれませんね。20246月に刊行されたエッセイ『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』では、「言葉には魂があるから、やりたいことは必ず口にする」と書かれていましたが、最近、口にされていることはありますか?

冨永さん うーん、まだ口には出していないかも。自分のエネルギーというか気持ちが「7割いける」と思えるところまで満ちてこない限り、口には出しません。安易なことは言いたくないので。でも、その芽はいくつかあります。

自分の人生は自分でつくる。理不尽な世界での決意

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──「アジアを代表するトップモデル」と称されていた22歳で妊娠・出産、30代には3年間の休業という選択をされました。もちろん、たくさん悩まれたと思いますが、キャリアを着実に積み上げていた当時の大きな決断を支えたものは何だったのでしょう。

冨永さん 決めたら迷わないという性格が大きな要因かもしれません。それは浮き沈みが激しいファッションの業界に生きてきたこともあると思います。「モデルの賞味期限は3年」といわれるほど世代交代が激しく、とても理不尽な世界なので、「自分の人生は自分でつくる」ということは、若い頃から考えていました。でもそれは、「(仕事を)切られるかもしれない」という不安や恐れからくるものでもあったと思います。

キャスティング(オーディション)でひどい扱いを受けたり落とされたりして、悔しい思いをたくさんしてきた分、言葉は悪いけど、「私の人生の着地点は、あなたたちの好きにはさせない!」「そこだけは絶対に決断を下させない!」という思いはありましたね。

──トップで走り続けることへのプレッシャーも含めて、それはきっと自分の心を守るための判断でもあったのでしょうね。

冨永さん そういう本能はすごく強いです、私。人一倍強いと思う。ずっと海外でコレクション・サーキット(パリ、ミラノ、ニューヨーク、ロンドンの4都市で開催されるファッションコレクション)を経験してきたこともあって、相手にこれ以上は踏み込んでほしくないとか、これ以上いくと自分のメンタルがだめになるという境界線がわかるんですよ。子ども時代に幼稚園で2回、小学校で3回転校したことも影響しているかもしれません。

──走り続けながら、自分を守るための境界線を見つけてこられたのですね。エッセイには、「これまで自分がもらってきた運や恩を次は別の誰かに送りたい」という言葉もありました。次の世代に手渡したい未来のイメージはありますか?

冨永さん 頭の中にはいろいろありますが、年齢や性別、国籍などを問わず、日本で生まれ育った人や日本で暮らしている人が、日本で生きていることを誇れるような、この国が大好きって思える社会にしていきたい。「いきたい」って言っちゃったけど…うん、そうしていきたい。未来をよりよいものにしていきたいです。

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続く後編では、怒りや悲しみといった感情や「自分」との向き合い方について、じっくり語っていただきました。

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『冨永 愛 新・幸福論 生きたいように生きる』¥1760/主婦の友社
「生き方に正しいも間違いもない。生きたいように生きればいい」。冨永愛さんが自分で自分を幸せにするために心がけてきたことを綴った最新エッセイ。コンプレックスや苦しかった過去との向き合い方など、冨永さん自身の経験を踏まえたメッセージがそっと背中を押してくれる一冊。

トップス¥85800、スカート¥176000/KAKAN(080-4421-7800) サンダル¥231000/PAUL ANDREW(AMAN 03-6805-0527) リング(右手指先から)¥88000、¥242000、(左手中指)¥275000、(左手薬指)¥275000/Scrysta ベアトップとショーツ/スタイリスト私物

撮影/天日恵美子 ヘア&メイク/美舟(SIGNO) スタイリスト/秋島亜未 画像デザイン/前原悠花 構成・取材・文/国分美由紀