『ぼくの名前はズッキーニ』
デジタル配信中 DVD¥4,180、Blu-ray¥5,170/発売元・販売元: ポニーキャニオン
©RITA PRODUCTIONS / BLUE SPIRIT PRODUCTIONS / GEBEKA FILMS / KNM / RTS SSR / FRANCE 3 CINEMA / RHONES-ALPES CINEMA / HELIUM FILMS / 2016
孤独を知る仲間との出会いが変えたもの
色とりどりの粘土で作られたような、可愛らしい子どもたちの顔。だけどそこには、べったりとした暗い影が貼りつき、彼らを孤独の中へと押し込もうとしている。
クロード・バラス監督の『ぼくの名前はズッキーニ』は、フランス郊外の児童施設で暮らす子どもたちを描いた、ストップモーション・アニメ映画。『燃ゆる女の肖像』、『秘密の森の、その向こう』のセリーヌ・シアマ監督が脚本を手がけた本作は、一見無邪気で楽しい子ども映画のよう。でも随所に見える残酷な現実が、これが子ども向けのアニメという枠には収まらないことを感じさせる。
9歳の少年「イカール」、通称「ズッキーニ」は、大好きなママと二人暮らし。ズッキーニの楽しみは、屋根裏部屋で大事な凧に絵を描き、ママが飲んだビールの空き缶で遊ぶこと。だがある日不慮の事故でママが亡くなり、ズッキーニは郊外の児童施設「フォンテーヌ園」に送られることに。
ママを慕うズッキーニは、施設での生活なんて嫌だと落ち込むが、親子二人の暮らしに多くの問題があったことは、誰もがすぐにわかる。部屋で朝から晩までビールを飲む母親の顔は決して画面に映らない。テレビを相手に愚痴を言い続け、ときに息子を怒鳴り散らす声が時おり聞こえてきただけ。そもそも自分の息子を野菜の名前で呼ぶこと自体、どこかおかしい。けれど少年は、本名ではなくママがつけてくれた愛称で呼んでほしいと主張し続ける。彼にとっては、このちょっとおかしな名前こそが親子の絆の証しなのだ。
フォンテーヌ園には、個性豊かな子どもたちが暮らしている。皆、諸事情から家族と離れ、ここに連れられてきた子ばかり。ひどい虐待を受けた子もいれば、親が犯罪をおかしたり強制送還されたりして、ひとりっきりになってしまった子もいる。彼らは、独特の表現で、自分が見てきた現実を描写する。その言葉からわかるのは、子どもたちが、大人が思う以上に現実を鋭く捉え、自分の孤独を理解しているということ。その事実が胸をつく。
園での暮らしに順応できずにいるズッキーニのもとに、ある日、新しい仲間がやってくる。彼より少しだけ年上で、両親を亡くした少女「カミーユ」。いじめっ子の「シモン」をやりこめたり、年下の子たちの面倒を見たりするしっかりものの彼女に、ズッキーニは惹かれていく。だがカミーユにもまた、心に秘めた陰惨な過去があった。そして彼女の過去は、フォンテーヌ園全体を巻き込んだ、ある騒動へと発展する。
だんだんと園の仲間たちとの交流を深めていくズッキーニとカミーユ。そして子どもたちが楽しみにしていたハロウィンパーティの日、カミーユは、ためらいがちにこう語る。〈皆と一緒なのがステキだと思いもしなかった〉
大人に傷つけられ、自分の殻に閉じこもっていたカミーユが〈皆と一緒なのがステキだ〉と素直に思えたこと。それは、あたりまえのようで、奇跡のようなできごとだ。子どもたちの心の傷が完全に癒えるのは、簡単なことではないだろう。それでも彼らは自分以外の誰かを信用し、ときに相手を助け、助けられ、一緒に生きていくことの大切さを理解する。仲間との出会いが、残酷な世界を生き抜く術を教えてくれることもある。
ハロウィンの仮装で、刑事の帽子を被ったシモンは、ヒーローの扮装をしたズッキーニと抱き合い、照れたように笑う。そこでシモンが言う言葉がまたいい。「デカ(刑事)とヒーローのハグかよ。ヘンテコだな」。ここにいるのは、ちょっと風変わりで、ヘンテコな組み合わせの子どもたち。今日も明日も、皆は一緒に生きていく。
文/月永理絵 編集/国分美由紀