数々のメディアで執筆するライターの今祥枝さん。本連載「映画というグレー」では、正解や不正解では語れない、多様な考えが込められた映画を読み解きます。第4回は、キム・ダミの主演でも話題の『ソウルメイト』。
輝くような少女時代には、必ず終わりがやってくる
小学生からの大親友、ミソとハウン。ドラマ『梨泰院クラス』のヒロイン、チョ・イソ役で大ブレイクしたキム・ダミと、ドラマ『ボーイフレンド』のチョン・ソニが好演! チェオルム洞窟や済州港を含む、特有の情緒を持つ済州島とソウルのロケーションも美しい。
女性同士の友情を描いた名作は、古今東西枚挙にいとまがない。『フォーエバー・フレンズ』や『マグノリアの花たち』といったハリウッド映画の定番から、韓国映画『子猫をお願い』や日本映画『花とアリス』など時代を超えて人気を誇る作品群は、いつ観ても色褪せることはない。
女性同士の友情に憧れる一方で、生涯にわたって友人であり続けることの難しさを実感している人も多いに違いない。だからこそ、他の人がどのような友人関係を築いているのだろうかと気になって、本やドラマ、映画などで追体験したくなるのかもしれない。
そういう意味では、デレク・ツァン監督の中国映画『ソウルメイト/七月と安生』(Hulu、U-NEXTなどで配信中)を韓国でリメイクした『ソウルメイト』は、30歳前後の友人関係に悩める人々にはもってこいの映画だろう。社会に出て環境が大きく変わり、結婚や出産などのライフステージが変わるごとに学生時代の友人たちとの距離感に悩む女性たちの“あるある”が、ぎゅっと詰まっているからだ。
ミソとハウンは、小学生からの大親友。二人は絵を描くという共通の趣味があるが、作風は違うし、生活も価値観も、育ってきた環境も性格も異なる。それでも、お互いがなくてはならない存在として、きらきらと輝くような少女時代をともに過ごす。
しかし、17歳の夏。ハウンにジヌという恋人ができたことで、ミソとの間に微妙な気持ちのずれが生じていくーー。
この後、学校を辞めて彼氏と一緒に済州島を離れ、ソウルで暮らしながら美術学校に通うミソ。一方、地元の大学に進学し、ジヌとの交際を続けるハウンは離れ離れになるが、二人の運命はアラサーになるまでに幾度も交差する。映画の冒頭で、現在の二人は疎遠になっているが、何か複雑な事情があったようだと提示される。そのため、回想形式でつづられる二人の友情の変遷は、ある種のミステリー仕立てにもなっており、エンターテインメントとしてドラマチックな作りで最後まで一気に見せる。
表向きは明るく自由奔放に振る舞っているが、複雑な家庭環境で育ったミソ。心の奥には深い悲しみを抱えている。観客をノスタルジックな世界観に引き込む小道具や美術にも注目。
両親から愛されて、比較的恵まれた環境で育ったハウン。穏やかでやさしい性格だが、親に逆らうことができず、自分の意志で人生における大きな決断をすることができない。俳優たちは実際に絵画教室に通い、鉛筆の持ち方やさまざまな道具の使いこなしについて学ぶことで、演じるキャラクターに落とし込んでいったという。
年齢を重ねるにつれて、価値観や生き方に対する考えは変わるもの
ハウンとつき合うことになるジヌを演じるのは、映画『20世紀のキミ』でも注目のピョン・ウソク。ハウンと結婚を見据えて交際を続けるが……。
ミソとハウンの、もしかしたら生涯で最も幸せだったのではないかと思える少女時代は、お互いのことを好きで好きでたまらないといった思いがあふれんばかりで、観ていて胸が苦しくなるほど。しかし、全身全霊をかけて相手に傾けていた情熱、愛情は、ジヌの登場で向かう先が分散していく。ここで問題をややこしくするのは、ジヌはハウンの恋人だが、ミソとジヌの間にも何かしらの特別な感情があるのだろうか否かという点だ。
落ち着いていてやさしく、親のいうことには逆らえないハウンと、家庭に恵まれず、孤独な心を抱えながら自由奔放で個性的なミソ。ミソ役はドラマ『梨泰院クラス』や映画『The Witch 魔女』のキム・ダミ、ハウン役はドラマ『ボーイフレンド』のチョン・ソニ。二人の好演もあいまって、対照的だがともに魅力的なキャラクターを作り上げている。だからこそ、ミソとハウンがひかれ合う気持ちも、ジヌがハウンとつき合いながらもミソに興味を持つことにも説得力がある。
しかし、ここでミソがソウルへ旅立つことで、誤解もありハウンの中にジヌとミソをめぐる複雑な思いがわだかまり続けることになる。二人の最初の決定的なすれ違いは、この別れのときだろう。
次のすれ違いは、高校卒業後の別れから手紙のやりとりだけをしていた二人が再会する5年後。喜び合って一緒に旅に出るが、やがて5年のブランクが思った以上に大きかったということを二人は実感していく。そもそも育った環境が違うため、ミソの金銭感覚と比較的恵まれて育ったハウンの経済的な価値観の差は最初からあったわけだが、ここに至ってそのことが露見する。社会に出た後の生活スタイルや仕事の状況の違いなどからも、男女を問わず他者との金銭感覚の違いに悩んだことのある人は多いのではないだろうか。
一般的には、社会に出てから5年目あたりが友情の第一の大きなハードルかもしれない。そこを乗り越えて30歳前後になっても、結婚、出産、キャリアアップや転職など、年齢を重ねるごとに友情が試される機会は訪れる。ミソとハウンの場合は、かなりドラマチックな展開ではあるのだが、学生時代のような気楽さが失われていく中で曖昧なままにはしておけない問題が、その時々で浮上することは想像に難くない。
そして、ミソとハウンはその後も再会するたびに、それぞれの本音を口にせざるを得ない状況に陥り、お互いを傷つけ合ってしまう。
一度離れてしまったとしても、友人関係は復活できるのか?
青春時代をともに過ごし、すれ違いと別れを繰り返しながらも、引き合う運命のミソとハウン。16年にわたる友情の軌跡は、果たしてどんな結末を迎えるのか……?
長年の友達に対してずれが生じてきたときに、本音を口にしてしまうことにはリスクがある。しかし、人の価値観や生き方は変わりゆくものという前提に立つならば、無理をして友達に合わせ続けることには限界があるだろう。同時に、相手の変化を受け入れるまでにはお互いに時間が必要な場合もあるかもしれない。だから、一旦少し距離を置くという方法が有効なこともあるはずだ。
かつての日々の輝きは戻ってこなくとも、年齢とともにいい形のつき合い方、距離感というものが見つかるのかもしれない。一方で、これも割合としては結構いると思うのだが、二人のように心底傷つけ合うぐらいなら、いっそ距離を置いたままフェイドアウトする道を選んだとしても、個人的には共感する。美しい思い出を美しいままにしておきたいという気持ちもまた、大事にしていいと思う。
あくまでもこの映画に関して言うならば、一度ならずも何度別離を繰り返したとしても、友達は戻ってくる可能性があるし自分から戻ってもいいのだ。ミソとハウンの物語は、そう信じる気持を後押ししてくれるはずだ。
ところで、ソウルメイトの定義とは何だろうか? soul(魂)とmate(伴侶、仲間)を組み合わせた英語の造語で、一般的には魂の伴侶のことをいう。共通の価値観や好みといった深い親和性のある相手や運命的なロマンスの相手を指すこともあるだろう。あるいは転生説を信じる人が、過去世から何らかの縁があると考える相手、または同じ魂のグループ(類魂)に属すると考える相手をソウルメイトと呼ぶこともある。
中国映画『ソウルメイト/七月と安生』に比べると、韓国版『ソウルメイト』は、よりミソとハウンの関係によりフォーカスしている。中国版は男女の三角関係も割とはっきりしているが、韓国版ではジヌをめぐる物語以上に、ミソとハウンの“この世界に存在するのは二人だけ”といった親密さのほうがはるかに印象に残る。監督がクィアの視点をどれほど意識したかはわからないが、二人にはまた別の未来、人生があったのだろうかと想像する余地もある映画だと思う。
しかし、そもそも二人の関係性を、親友、恋人etc.といった言葉でカテゴライズしようとすること自体が意味のないことだろう。ソウルメイトはソウルメイトであって、世の中のすべての人間関係に名前をつける必要もないのだから。
余計なことは何も考えずに、ただ毎日一緒に遊んで、笑って、同じ時を過ごした子供時代。懐かしくも微笑ましくもあるが、後にミソとハウンがたどった人生を知ってから思い出すとき、さまざまな感情があふれ出てきて胸がいっぱいになる。子供たちが描いているのは、「母さん」という名前で登場するミソとハウンの特別な友達、猫のマル。ミン・ヨングン監督が実際に飼っている猫で、存在感&愛嬌もたっぷり!