マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。第5回は、『胚培養士ミズイロ』作者のおかざき真里さんにお話を聞かせていただきました。

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●『胚培養士ミズイロ』あらすじ●
自らの手で精子と卵子を受精させる胚培養士(はいばいようし)。アースクリニックで働く天才胚培養士・水沢歩は、“男性不妊”、“高齢出産”など、不妊治療にまつわるさまざまな問題に直面しながらも、子どもを欲する人々の強い想いに応えていく。

不妊治療のスペシャリストを描く、新しい医療ドラマ

──「14人にひとり。日本では体外受精で産まれている。」『胚培養士ミズイロ』の冒頭で語られているとおり、現代の日本では不妊治療が身近な医療となっています。今作でこのテーマを選んだきっかけはどのようなものでしたか?

最澄と空海を描いた前作『阿・吽』が終わりにさしかかった頃から、次は何を描こうかと考えていました。そんなときに担当になった編集者が理系出身で、大学の授業で知った「胚培養士」の企画をずっと温めていたんですね。私自身、妊娠・出産をしたときに夫婦間の温度差をすごく感じたんです。男女で子どもの頃から体感してきたものがあまりに違うので、夫とすり合わせる段階から大変でした。このテーマなら私も実感をもって描けるし、世の中に出す意義があると思って、お引き受けしました。

──監修の生殖医療専門医・石川智基さんによると、胚培養士は不妊治療の「縁の下の力持ち」。主人公が医師ではなく、胚培養士というところも新鮮ですね。

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©︎おかざき真里/小学館

受精のプロセスを担う胚培養士さんの存在は、私もこの企画で初めて知りました。医師を描くマンガはたくさんありますが、医療現場のブラックボックスのような部分は誰も描かれていないので、描きがいがあります。作品を描くにあたって、まず患者さんたちに取材をさせていただいて、それからレディースクリニックや産婦人科の不妊治療部門、大学病院などにそれぞれの特徴や業務フローなどのお話を聞きに行きました。多くの場合、胚培養士さんは培養室の中だけで仕事をされていますが、この作品のモデルにさせていただいたクリニックでは患者さんにさまざまな説明をする立場なんです。

──クリニックによってもかなり違いがあると聞きますが、こういう方がいたら頼りになりますね。

医師ではないので、診断も断言もできないけれど、患者さんから悩みを打ち明けられたり、相談されたり。その中で、主人公を通してどんな言葉を、どこまで届けたらいいのだろうかと、描きながら毎回悩みます。

──主人公の水沢はぶっきらぼうですが、言葉に真摯さが滲んでいるのではっとさせられます。

水沢は、菩薩的な人。菩薩様って女性的に見えたり、男性的に見えたり、見る人によって見え方が変わるようにつくられているんですね。もし私が患者だったらニュートラルな人に接してほしいだろうなと思って、そういうキャラクターを設定しました。

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患者の一人一人が抱える思いをメインに描きたい

──第一話、最後のモノローグは「世界で最も低い成功率の国で。」。日本の不妊治療は、そんなに成功率が低いのかと衝撃を受けました。

調べた事実をそのまま描くと、それだけでマンガとして成立します。すぐそばで起きているのに、まったく知らなかった事実がある。そのうえで、毎回のお話で何をクライマックスにもってくるかというと、それはもう患者さんの感情です。患者さんの数だけあるいろんな思いを、できるだけ掘り下げていきたいです。

──思いが画面からあふれ出すシーンの迫力に、毎回圧倒されます。

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©︎おかざき真里/小学館

取材していくと、結局本人および夫婦の“納得”についてすごく考えさせられるんです。それは誰にもジャッジできるものじゃないし、その人たちが思う幸せの形は何だろうってところに行き着いていく。

──俳優のミチルさんのエピソードでは、仕事と不妊治療をめぐる葛藤に「わかる」と膝を打ちました。

仕事との兼ね合いは本当に大変ですよね。やっぱり上司や同僚にある程度の理解がないと難しい。4巻に収録されるお話では、ちらっと会社の上司を描きました。子作りというプライベートな話を他人につまびらかにする必要はないと思います。ただ、不妊治療のスケジュールに関しては、本人さえも先がわからないという事実を、多くの人に知っていただけるといいかなと思いますね。どんな仕事をされているかによっても状況が変わるので、今後もいろんな職業の患者さんを取り上げていくつもりです。

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──経営者や管理職についている方々にも読んでほしいなと思います。知識といえば、学校での性教育の回も印象的でした。「少子化とかどうでもいいです。望んだ時に、望んだ相手と、望んだ形で。そのために知識が生きると嬉しいです。」という水沢のセリフに、こういう授業を受けたことがあっただろうかと思いました。

日本では性教育が主に避妊の方向で進められてきたそうなんです。でもライフプランとしてのセックスや生殖についての知識をもっと若いうちから知っていれば、さらに人生の選択肢が広がりますよね。

──無精子症などの男性不妊についても物語の初期から描かれています。

青年誌での連載ですし、やっぱり男性にも身近に感じてもらいたくて。不妊の原因の半数は男性側にもあるので、これからも繰り返し描くことになると思います。

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©︎おかざき真里/小学館

人生のかたわらにエンターテインメントが寄り添えたら

──胚培養士は命を扱う仕事ですが、描きながら難しさを感じることはありますか?

倫理観も正しさも、刻一刻と変わっていくので、どうすれば心に刺さったり、あるいはアウトだと思われなかったりするだろう、とすごく考えます。私と同世代で体外受精をされた方にお話を伺ったら、当時はご夫婦で「周囲には秘密にしよう」と決めていたそうなんですね。体外受精で生まれた赤ちゃんが「試験管ベビー」とセンセーショナルに報道されていた時代でした。でも時の流れとともに社会の空気は大きく変わりましたよね。そういう変化を見ていると、古くなっても伝わるように描けないだろうかとはずっと考えていますね。難しいですけれど。

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──不妊治療の技術や制度もどんどん変わりますが、倫理観は作品世界の根本に関わるので、読者にとっても、描く側にとっても難しい問題ですね。

特に現代では、「誰も傷つかない」ことが、エンターテイメント全体に課せられた課題になっているので。私はもともと広告の仕事をしていたんですが、広告ってまさにそういう世界なんですね。クライアントや消費者が不快にならない表現を常に求められます。

90年代サブカルの「人を驚かせれば何でもあり」っていう強烈な表現にひかれてきた人間からすると、マンガが広告のようになってしまったら物足りない。だからやっぱり、刺さる表現について何かできないかとも考えるわけですが。エンタメは時代を反映するものなので、長く仕事をしていると社会の変化にも「なるほど」と思うことがあります。

──yoiの読者には、仕事や妊娠・出産など、今まさにライフプランと向き合う世代の方も多いのですが、メッセージをいただけますか?

20代から30代ってまだ本当に過渡期だし、選択肢がたくさんあるからこそ悩むことが多いですよね。『胚培養士ミズイロ』で描いていることにもつながりますが、結局は自分が納得することしか選べないし、それが一番後悔には結びつかないんじゃないかと思うんです。

だからまずは、自分で自分を信用してあげることが大切なんじゃないでしょうか。「あのときは全力だった」って思えれば、きっとどんな結果でも納得できるはずだから。そのかたわらにエンターテイメントが、気持ちとして寄り添えればうれしいです。

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©︎おかざき真里/小学館

おかざき真里

漫画家

おかざき真里

おかざき・まり●長野県出身。高校在学中からイラストや漫画を描き始め、多摩美術大学卒業後は広告代理店に入社。デザイナーやCMプランナーとして働きながら、1994年に『ぶ〜け』(集英社)で漫画家デビュー。以来、『サプリ』(祥伝社)、『阿・吽』(小学館)など数多くの作品を発表。現在は『週刊スピリッツ』(小学館)で『胚培養士ミズイロ』を、『FEEL YOUNG』(祥伝社)で『かしましめし』を連載中。酒と麻雀と南の島、3人の子どもを愛する毎日。

横井周子

マンガライター

横井周子

マンガについての執筆活動を行う。ソニーの電子書籍ストア「Reader Store」公式noteにてコラム「真夜中のデトックス読書」連載中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works

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取材・文/横井周子  構成/国分美由紀