数々のメディアで執筆するライターの今祥枝さん。本連載「映画というグレー」では、正解や不正解では語れない、多様な考えが込められた映画を読み解きます。第5回は、人工妊娠中絶が違法であった時代の女性たちを描いた『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』です。

今 祥枝

映画・海外ドラマ 著述業 ライター・編集者

今 祥枝

『BAILA』『クーリエ・ジャポン』『日経エンタテインメント!』ほかで、映画・ドラマのレビューやコラムを執筆。米ゴールデン・グローブ賞国際投票者。著書に『海外ドラマ10年史』(日経BP)。イラスト/itabamoe

人工妊娠中絶が法律的に許されていなかった時代の女性たちの苦難

映画 コール・ジェーン 隣家の友人とくつろぐ主人公ジョイの写真

裕福な家の専業主婦として、平穏な暮らしを送っていたジョイ。夫を若くして亡くした隣家のシングルマザー、ラナとは深い絆で結ばれているが……。女性同士の関係性をさり気なくも密に描いているのも、本作の見どころのひとつ。ジョイを熱演するのは、『スパイダーマン』シリーズや『ハンガー・ゲーム』シリーズに出演する俳優で、『ピッチ・パーフェクト2』や『チャーリーズ・エンジェル』の監督としても活躍するエリザベス・バンクス。ラナ役は、『ファンタスティック・フォー』やドラマ『ハウス・オブ・カード 野望の階段』のケイト・マーラ。

『コール・ジェーン ー女性たちの秘密の電話ー』は、女性の権利である人工妊娠中絶が法律的に許されていなかった時代の物語。1960年代のアメリカ・シカゴで、2人目の子供を妊娠した主人公ジョイ(エリザベス・バンクス)は、弁護士の夫ウィル(クリス・メッシーナ)と高校生の娘シャーロットら愛する家族とともに、専業主婦として何不自由ない暮らしを送っていた。

ところが、妊娠により心臓の病気が悪化し、医師に唯一の治療は妊娠をやめることだと診断される。中絶するためには病院での倫理審議が必要となるが、地元の病院の責任者も医師も男性ばかり。母体が妊娠したまま助かる確率が50パーセントだといっても、「半々なら子供を守るべき」とでも言わんばかりの男性陣にあっさり人工妊娠中絶を拒否されてしまう。

そこから、ジョイは自力で中絶手術を受ける方法を模索しはじめ、正規ルートではなく違法だが安全な中絶手術を提供する女性主導の活動団体「ジェーン」にたどり着く──。

実在した団体「ジェーン」の活動をめぐる本作は、実際に1969年〜1973年のアメリカであった話がベースだ。女性たちは自ら中絶処置を学び、すべての女性を総称するコードネーム「ジェーン」としてグループを形成。推定12,000人の女性たちの中絶を手助けしたとされている。そして、この活動が女性の人工妊娠中絶権は合憲だとする1973年の「ロー対ウェイド判決」へとつながっていく。

映画は、本来ならこのようなアンダーグラウンドな活動に関わるようなタイプではなかったジョイが、「ジェーン」の活動を始めたフェミニストのバージニア(シガーニー・ウィーバー)をメンターとして、女性の権利を守ることの意味を考え、自ら行動し、成長する姿を描く。

映画 コール・ジェーン 違法の中絶手術を受けに行くジョイの写真 2

自分の命を守る唯一の治療である人工妊娠中絶の手術を受けるためにジョイがたどる過程は、まるでスパイ映画でもあるかのよう。多大な労力とリスクを強いられながら、ジョイは正規ルートではないが安全な中絶手術を提供する活動団体「ジェーン」にたどり着く。

楽観的で明るい雰囲気に貫かれた“娯楽”としての親しみやすさ

映画 コール・ジェーン 人工妊娠中絶手術を自ら学ぶジョイの写真 3

自身の体験を通して、「ジェーン」の活動にのめり込んでいくジョイ。自ら人工妊娠中絶の手術を学んでいく。

実際には中絶が必要な女性たちを救う「ジェーン」の活動とジョイが経験したことは、もっと重くつらい話も多かったはずだ。しかし、映画は最初から最後まで、楽観的で明るい雰囲気に貫かれた“娯楽”としての親しみやすさが好ましい。

その明るさの大きな理由のひとつは、この映画そのものが、女性が自分の体に関することを自分自身で決められる権利である「SRHR(セクシアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)」を一点のくもりもなく支持している点にあるだろう。

「望まない妊娠をした女性が中絶をすること」は当然の権利であるとする作り手の意思を反映して、「ジェーン」にコンタクトを取ってきた女性たちが、どんな理由や事情があるのかといった詳細を問われるシーンに重きを置いていない。実際には活動家にせよ中絶手術に来る女性たちにせよ、それぞれに理由や葛藤、逡巡する思いがあるはずだが、そこはあえて軽めの描写になっている。

生活困窮者、性犯罪の被害者、恋人とのセックスや一夜限りの関係で妊娠した、あるいはキャリアのためなど、それが世間一般の尺度で「妥当な理由か否か」といったジャッジをすることはしないところに潔さがある。なぜなら、妥当性が焦点なのではなく、本作は望まない妊娠の人工中絶という守られるべき女性の権利についての物語だからだ。

そもそも、アメリカでは1960年に避妊ピルが初めて認可され、1965年に夫婦が避妊薬・用具を購入・使用することが合憲だとする連邦最高裁判所の判決が下されたことを考えれば、ジョイのように予期せぬ妊娠を含めて、いかに女性が自分の体を守る手段も知識も不十分だったことが想像できる。

ただし、手術を受けられる人数には限界があるので、どのような状況にいる女性を優先するべきか、人種か経済状況か理由なのかといった議論が紛糾するくだりはある。ジョイもまた、自分の体を守るために中絶を選択することへの逡巡は比較的さらりと描かれる。もちろん、その胸の内にはさまざまな感情があるのだろうが、それは当然観客の想像の範囲だろう。

監督・脚本を手がけたフィリス・ナジーは劇作家としてキャリアをスタート。批評家に高く評価された、トッド・ヘインズ監督の『キャロル』の脚本などを担当し、本作で長編映画デビューを飾った。女性たちの選択を100%肯定的に描くというナジーとプロデューサーたちの選択は、その思い切りのよさが、広く一般に問題提起することと同時に、女性をエンパワーメントするメッセージをわかりやすく伝えることにつながっている。

今の時代に、改めて「女性の権利」は守られているのかを問う

映画 コール・ジェーン フェミニストのバージニアと絆を深めるジョイの写真

「ジェーン」の創設メンバーでフェミニストのバージニアとの出会いが、ジョイの人生を大きく変えていく。タフで強い信念を持つバージニアを演じるのは、『エイリアン』シリーズや『ゴースト・バスターズ』シリーズなど、長いキャリアを誇るシガニー・ウィーバー。

「私の体は私のもの」として語られるSRHRについては、ひと昔前に比べれば格段に一般にも認識されるようになっている。一方で、現実を考えたときに、その権利は守られているのかといえば、セックスや妊娠・出産をめぐる問題を筆頭に、まだまだ現実的には本人の意思とは異なる要素に左右される(決断を社会通念や他者に強いられる)ことも多いのではないだろうか。

人工妊娠中絶の権利は認められているはずの先進国でも、今また議論が再燃・激化している。例えばアメリカでは宗教と大きく関係しているが、プロライフ(人工妊娠中絶の合法化に反対すること)とプロチョイス(人工中絶権利擁護派)に二分されており、フェミニズム活動においても最も重要な争点のひとつだ。この問題を考える上で欠かせない拠りどころとなっているのが、アメリカで長年、女性の人工妊娠中絶権は合憲だとしてきた1973年のロー対ウェイド判決である。

しかし、2022年6月に、米連邦最高裁はこの判決を覆す判断を示した。これによって、アメリカでは女性の中絶権が合衆国憲法で保障されなくなるという衝撃的なものであるからこそ、危機感は高まっているのだ。

『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』を観れば、ロー対ウェイド判決へ至る道のりの一端とその意義が、いかほどのものであるのかについて思いを馳せることができるだろう。もちろん各国や地域によって状況は異なるが、この映画を入り口として、今の時代を生きる私たちが当然だと考える権利について、改めて考えるきっかけになるはず。それこそが、ナジーたちが本作に込めた思いであり、この映画の最大の意義でもあるだろう。

映画 コール・ジェーン ロー対ウェイド判決に喜ぶバージニアたちの写真

多くの人々の長年の壮絶な闘いによって、ついに1973年に女性の人工妊娠中絶権は合憲だとするロー対ウェイド判決に歓喜する女性たち。しかし、2022年に米連邦最高裁はこの判決を覆す判断を示したことで、近年、人工妊娠中絶をめぐる議論は激化している。

『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』3月22日(金)新宿ピカデリー他全国公開

監督・脚本:フィリス・ナジー
出演:エリザベス・バンクス、シガニー・ウィーバーほか
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取材•文/今 祥枝