マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。第6回は、『東大の三姉妹』作者の磯谷友紀さんにお話を聞かせていただきました。
●『東大の三姉妹』あらすじ●
坂咲家は4人きょうだい。東大出身・外資金融系企業に勤める長女・世利子(よりこ)、同じく東大出身・テレビ局でドラマのプロデューサーを務める次女・比成子(ひなこ)、現役東大生でカビの研究をしている三女・実地子(みちこ)、そして末っ子長男・一理(いちり)。高学歴女子の一筋縄ではいかない恋と仕事を、精鋭な感性で描く、4きょうだいの物語。
東大に進学する女性に注目したきっかけ
──『東大の三姉妹』の主人公となる世利子、比成子、実地子の三姉妹は、全員東大卒/東大在学中。そもそも、東大に進学する女性たちに磯谷さんが注目されたのはどうしてだったんですか。
以前から高学歴の女性に興味があって、きっかけのひとつは高校で進学校に通ったことでした。私自身はついていくのが大変だったのですが、まわりには成績優秀な子がたくさんいて、卒業後も彼女たちから高学歴ならではのいろんな苦労話を聞いていました。
私は漫画家になる前、小さな出版社に勤めていたのですが、東大卒の女性のインタビューに同行したことがあったんですね。その方が自分の優秀すぎないところを何度も強調してお話されていたことが、ずっと心にひっかかっていました。
©︎磯谷友紀/小学館
──本来、成績優秀というのも素敵なことのはずですよね。
日本には謙遜の文化があって、褒められて自信を持つべきところが長所になるどころか隠すべきものになったりしますよね。自分だけ浮いてしまうことへの恐れがあったり、謙遜しないと傲慢に見られることもある。社会学者・上野千鶴子さんの東京大学入学式の祝辞が話題になったときにも、何度も読み返しました。
──学問と女性を取り巻く性差別を指摘した祝辞ですね。「女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです」と仰っていました。
「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」というメッセージも素敵で、とても印象的でした。連載前、担当編集さんとどんなマンガを描こうかと長い間相談をしていたのですが、そのあたりから、高学歴の女性を描くならいっそ東大で描くのがいいのではという話になっていきました。
──1巻の帯には「努力した女の子にだけ見える世界がある」と書かれています。勉強だけでなく仕事や人間関係など日々を頑張る女の子たちが抱えている複雑な思いが、これからどんどん描かれていくのかなと楽しみにしています。
帯は、担当編集さんが考えてくださったんです。まさに帯そのままの世界を目指している作品なので、うれしかったです。『東大の三姉妹』というタイトルにするとき、「東大の話か。だったら私は関係ない」と多くの方に思われてしまうんじゃないかと少し迷ったんですね。でも東大っていうのはあくまで一例。三姉妹が抱えているもやもやした気持ちは、色んな方にわかってもらえるんじゃないかなと思っています。頑張る女の子たちが普通に認められる社会になってほしいので、作品の中にはエールも込めていきたいです。
©︎磯谷友紀/小学館
三姉妹それぞれの心模様と恋愛観
──磯谷さんのもうひとつの連載『ながたんと青と』(講談社)でも三兄弟が描かれていますが、本作の主人公は三姉妹です。
私の母が三姉妹の末っ子で、「姉二人と比べられて大変だった」とか色んな話を聞かされて育ったので(笑)、三姉妹の話はずっと描きたくてあたためていました。今回は実際に東大卒の女性の方たちに取材する中で伺ったお話もたくさん入っています。例えば仕事でも恋愛でも人生の目標を予定通りに実現できている(!)方のエピソードを、長女の世利ちゃんのキャラクター設定に取り入れたり。ただ、目標を立てるところは一緒でも、世利ちゃんの場合はちょっと不器用な人なんですが。
©︎磯谷友紀/小学館
──世利子は学校でも家でも、普段は自分の気持ちをどこか抑えているようにも見えます。
小学生のときから一番には手を挙げないようにしていたりね。これも取材で心に残ったエピソードでした。聡明であるがゆえに幼い頃から色々なことを悟ってしまっていて「目立ちすぎるのはよくない」「同級生や先生に嫌われたくない」と、周りの反応を見てから答えるようにしている子たちがいるんですよね。
──子どもの頃から完全に素でいられないのはしんどいですよね。一方恋愛においては、内面と行動のギャップがあって面白いです(笑)。
1巻では世利ちゃんがどんどん暴走して、正直、すごく描きやすかったです(笑)。次女でテレビ局のプロデューサーをしている比成ちゃんや一理は、読者目線で共感できる人。私自身にもどこか近いキャラなんですけど、仕事でも苦労しているし、コンプレックスもあって。
©︎磯谷友紀/小学館
──一理から世利子への「東大に行ったら、幸せになれるの?」というシーンと、比成子が「東大とか出ててもほんと仕事できないな!」と言われるシーンは刺さりました。高学歴ゆえのレッテルの重さが可視化される瞬間というか。
「東大に行ったら幸せになれるの?」というセリフは、打ち合わせの初期段階からありました。世利ちゃんの足もとが揺らぐ言葉として出てきたんですけど、こういう自問自答が、彼女の心の中にはわりとあるのかな。比成ちゃんのエピソードについては、東大卒のテレビプロデューサーの佐野亜裕美さん(※代表作にドラマ「カルテット」など)に伺った話をわりとそのまま使わせていただいているのですが、同期の女性監督の存在は完全な創作で、ああいう友達がいたらいいなっていう願望から。私も会社員時代に同期の存在に支えられたので、女性同士の助け合いは絶対に入れたかったんです。
©︎磯谷友紀/小学館
──三女の実地子はどんなキャラクターですか?
実っちゃんは、今のところつかみどころがない現代っ子という感じですが、彼女は研究者で、独特の価値観を持って進んでいく女性です。このマンガでは三姉妹それぞれの恋愛も描くつもりですが、実っちゃんを通して恋愛に興味がない人のことも描いていけたらと考えています。
行動の背景にある人間の多面性を描きたい
──『東大の三姉妹』を描くうえで、磯谷さんが一番大事にされていることを教えていただけますか?
『東大の三姉妹』だけじゃないかもしれないんですけど…、人が何か行動を起こすときって、ひとつの感情でそこに至るわけじゃなくて、背後にいろんな感情がありますよね。私はそういう部分が大切だと思っています。キャラとしては矛盾が出てきちゃうこともあるんですけど、やっぱりみんな、二面性はありますよね。二面性どころか多面性かも。私はそこを大事に描きたいです。
──その複雑怪奇さこそが人間の魅力ですね。
そうなんです。『東大の三姉妹』でいうと、三姉妹の弟の一理の軸がブレブレなところとか、私は結構共感します(笑)。できるお姉ちゃんたちと一緒に暮らしたくないって一話では言ってるんですけど、やっぱり大好きだから。
──ちなみに1巻で、ご自身の中で心に残っているシーンはどこですか?
まわりから「こういう人、いるー!」とすごく反響をもらって、自分でも面白かったのは、比成ちゃんの彼氏のバーテンダーが出てくるシーンですね(笑)。彼の中には比成ちゃんに対する嫉妬心もあって、新しい文学作品について「読んだ?」とプレッシャーをかけたり、「ものを知らないんだよ」とマウントを仕掛けてくる。彼女は「持っている」から多少傷つけてもいいという対象にされてしまっているというか。
©︎磯谷友紀/小学館
──言語化しづらい違和感が高解像度で描かれたシーンですよね。プレッシャーといえば、三姉妹のお母さんの存在も気になります。
私は母をわりと早くに亡くしているんですが、やっぱり存在としてはすごく大きくて。いまだに母の死以前/以後みたいに物事をとらえてしまうんです。仲は悪くなかったんですけど、今生きていたらきっとすごくモメただろうなと思っていて、そんな想像をしながら三姉妹のお母さんを描いています。設定としてはお母さんも東大を出ていて、強い人です。世利ちゃんとの確執にもつながるんですけど、できない人の気持ちがよくわからない人なのかも。今のところまったく存在感のないお父さんについても、いずれ描くつもりです。
──誰もが感じたことがある戸惑いや違和感が作品の中にちりばめられつつも、きょうだい仲がよくてほのぼのする三姉妹と一理。これからどうなっていくのか、続きが楽しみです。ありがとうございました。
©︎磯谷友紀/小学館
マンガライター
マンガについての執筆活動を行う。ソニーの電子書籍ストア「Reader Store」公式noteにてコラム「真夜中のデトックス読書」連載中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works
取材・文/横井周子 構成/国分美由紀