マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。第8回は、『淡島百景』作者の志村貴子さんにお話を聞かせていただきました。

志村貴子 淡島百景 横井周子 マンガ 歌劇団 夢 舞台

●『淡島百景』あらすじ●
淡島(あわじま)歌劇学校合宿所──通称“寄宿舎”には、淡島歌劇団の舞台に立つことを夢見る少女たちが全国から集まってくる。周囲の視線を集める美しき特待生の岡部絵美。彼女に憧れながらも妬ましく思う伊吹桂子。透明感あふれる絵柄と繊細な心理描写で、かけがえのない季節を生きる少女たちを描く青春グラフィティ。

スポットライトの当たらない女の子たちを描きたい

──舞台を夢見る少女たちを描く『淡島百景』が、ついに最終回を迎えました。

完結まで足掛け14年、私の最長連載になっちゃいましたね、5巻までしかないのに(笑)。『放浪息子』(KADOKAWA)が10年くらい、『青い花』(太田出版)も9年の連載だったので。

──1話ごとでも楽しめるストーリーが徐々につながるオムニバス形式なので、そんなに時間がたった気がしないのですが、実は第1話が発表されたのは2011年。最初にこの物語を考え出したきっかけを教えていただけますか。

昔から美内すずえ先生の『ガラスの仮面』の大ファンなんです。主人公の「北島マヤ」は演劇の天才で、マヤのライバルの「姫川亜弓」さんもやっぱり別の形の天才で。だけど私は、脇役として出てきた「乙部のりえ」というキャラクターのことが忘れられないんです。『ガラスの仮面』が好きな皆さんは今ガタッって立ち上がったと思うんですけど(笑)。

──心拍数があがりました(笑)。乙部のりえは色んな嘘をついてマヤにつきまとい、役を奪うんですよね。でも結局、マヤや亜弓さんとの実力の違いを思い知り、表舞台から消えていきます。

乙部のりえは確かに卑劣な行為をしたんですが、私はどうしても彼女側の気持ちになってしまうんですよ。彼女は最後にちゃんと、「誰かの真似しかできない自分」という現実を理解するんです。やったことはよくなかったけれど、天才に打ちのめされる場面を読んでいると、怒りがどこかに飛んでいっちゃう。彼女のような「スポットライトを当てられない女の子たちを描きたい」という気持ちが『淡島百景』の始まりでした。

──主役にはならない女の子たちを主人公として描きながら、どんなことを感じましたか?

淡島を途中で退学する子や、淡島の受験自体を避けた子の話などを描きたくて始めたのですが、描いていくうちにどんどん「勝った人/負けた人」みたいに単純には分けられないし、それだけじゃないんだなと思うようになりましたね。「すごい」と言われる側の人の内側にも、コンプレックスや弱みはある。そこはちょっと描ききれなかった気がして残念なんですが。

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©︎志村貴子/太田出版

──少女歌劇団のモチーフは宝塚でしょうか。

モチーフのひとつにさせていただいたのですが、描きたかったのは、あくまで演劇学校に通う少女たちのほうでしたので、オリジナルで「淡島歌劇学校」の設定をつくりました。今思えば、女の子にこだわらなくてもよかったのかもしれません。帯を書かせていただいた町田粥さんの『吉祥寺少年歌劇』(祥伝社)を読んだときに、「ああ!男子のみの歌劇団!私も思いつきたかった〜!」ってすごくくやしかったんですよ(笑)。

ネガティブな感情の先にある、希望

──群像劇の『淡島百景』ですが、全体を貫くのは、誰もが羨む才能を持っていた「岡部絵美」と、彼女を妬んで退学に追い込んだ「伊吹桂子」という二人のキャラクターです。

いじめにあって淡島を退学した岡部絵美さんの話は、すごく反響もいただいたし、やっぱり自分でも印象的だったんですよね。その岡部さんと、いじめのリーダー格だった伊吹桂子さん。『淡島百景』は、この二人の話を回収して締めくくりたいと考えていました。

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©︎志村貴子/太田出版

──全編を読むと、年を重ねて亡くなるまで、彼女たちの人生がどのようなものだったかがわかる構成になっています。伊吹さんは、自分のしたことへの後悔をかかえながら歌劇学校の先生になって。

内面を掘り下げたかったので、いじめた側にもヒアリングをするような気持ちで向き合っていました。もちろん単純に語れることではないし、いじめをしてしまったこと自体は本当によくないのですが、伊吹さんを好きだと言ってくださる方もいてありがたかったです。岡部さんについても、ただかわいそうなだけの人じゃないってことを絶対に描きたいと思っていました。ちゃんと描けていればいいのですが。

──2023年に宝塚では痛ましい事件があり、さまざまな報道がなされました。そうした中で、最終回はどのように執筆されましたか。

つらかったですね。今このタイミングで描くべきなのかと迷いましたし、事件を消費するようなことにならないかと不安でした。一カ月以上何も描けなくて、作業を手伝ってくれるアシスタントさんに何度も延期の連絡をして。

だけど『淡島百景』をきちんとたたまない限り私自身が次に進めないというのはわかっていたので、私なりにすごく考えて描きました。スターに憧れて淡島に入学したけれど物書きになった「田畑若菜」さんが5巻で言っていることは、私の心の叫びかもしれません。

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©︎志村貴子/太田出版

──誰もが持つネガティブな感情を受け入れつつ、希望をたぐり寄せようとするかのような作中のモノローグも印象的でした。

この作品に限らず、ネガティブな感情を持つこと自体は否定したくないとずっと思っています。1巻で岡部さんがバスの中で泣いているシーンを描いたんですね。彼女はいじめをした人も、それに加担した人も、夢のなかばで退いてしまった自分自身のことも許せなかったから。でもその後、岡部さんが涙をぬぐって前を見るところを描きたくて、そこで締めくくりました。

誰にも言えない気持ちに寄り添う物語を

──口に出せない思いが丁寧にすくいとられていることも印象的でした。体が弱いことを隠している子や、親が芸能人の子…いわゆる“宗教二世”の女の子のエピソードもありました。

宗教二世の「大久保あさみ」さんの話は、自分の経験がベースになっています。私自身が宗教二世なんですが、あの話を描いた時点では誰にも打ち明けられない状態で、「このことは墓場まで持って行こう」と考えていました。描いてはみたものの、子供の頃を思い出してなんだかモヤモヤして。でも感想を見たくてエゴサーチしたら、うちとまったく同じ宗教の子が「自分の話かと思った」って書いていたんですね。…それを見たときに、泣きそうになりました。

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©︎志村貴子/太田出版

──物語って、そういうふうに誰にも話せない気持ちにも寄り添ってくれるものですね。

うん、本当にそういう話が描けたらいいなって思います。いろんな考え方の人たちをちゃんと捉えて、否定的にならずに、一人一人の気持ちをとりこぼさずに拾えたらいいなって思います。それが、もしかして誰かの心を救うようになればそれもいいし、単純に楽しんでもらえるのもいいし、そういう世界があるのかって思ってもらってもうれしいです。

その後私は宗教二世であることをウェブ上でオープンにして、ちょっと気持ちがラクになりました。「あ、私やっぱりこれをマンガにしたいな」と思って、5月に始まる新しい連載『そういう家の子の話』(小学館・ビッグコミックスピリッツ)では、宗教二世の子どもたちが大人になってからを描くつもりです。

──楽しみです。今年は、志村さんの新連載が他にも始まりましたね。

いっぱいあるんですよ(笑)。季刊なんですが、「週刊文春WOMAN」(文藝春秋)では高齢女性二人の日常を描く『ふたりでひとり暮らし』を。「Kiss」(講談社)では、以前描いた『こいいじ』のスピンオフとなる『ハツコイノツギ』が始まっています。これは1組の夫婦を中心にした夫婦ものです。それから一穂ミチ先生原作のBL『オンリー・トーク』を「on BLUE」(祥伝社)で描かせていただいています。

──そして『淡島百景』も、アニメ化が決定しています。

監督やアニメスタッフの方々から、場所やキャラクターについていろいろとご質問をいただいているところです。ぼんやりと海がある、瀬戸内あたりのイメージなんですが、そういえば友達からよくタイトルを『淡路百景』とか『淡路島百景』と間違われました(笑)。連載を終えたばかりの作品をアニメ化していただくのははじめてなので、とても楽しみにしています。連載もたくさんありますし、生きなきゃなと。

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©︎志村貴子/太田出版

志村貴子

漫画家

志村貴子

しむら・たかこ●1973年、神奈川県生まれ。1997年、『ぼくは、おんなのこ』でデビュー。初連載作品の『敷居の住人』を発表以来、登場人物の内面を繊細に紡ぎだす心理描写と、透明感あふれる魅力的な絵柄で、男女問わず熱狂的な支持を集める。2009年に代表作『青い花』、2011年に『放浪息子』がテレビアニメ化。2015年に『淡島百景』が第19回文化庁メディア芸術祭でマンガ部門優秀賞を受賞。2020年にアニメ『どうにかなる日々』が劇場公開。その他の著書に、『おとなになっても』『こいいじ』『娘の家出』など。現在、「Kiss」(講談社)にて『ハツコイノツギ』「on BLUE」(祥伝社)にて『オンリー・トーク』(原作:一穂ミチ)、「週刊文春WOMAN」(文藝春秋)にて『ふたりでひとり暮らし』を連載中。5月末より「週刊スピリッツ」(小学館)にて新連載『そういう家の子の話』を開始予定。

横井周子

マンガライター

横井周子

マンガについての執筆活動を行う。ソニーの電子書籍ストア「Reader Store」公式noteにてコラム「真夜中のデトックス読書」連載中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works

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画像デザイン/坪本瑞希 取材・文/横井周子 構成/国分美由紀