マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。第10回は、『涙雨とセレナーデ』作者の河内遙さんにお話を聞かせていただきました。

河内遙 涙雨とセレナーデ 恋愛 SF 明治 大正 タイムスリップ-1

●『涙雨とセレナーデ』あらすじ●
ある日突然、授業中に光に包まれて、明治40年にタイムスリップしてしまった元気な女子高生・陽菜(ひな)。そこで出逢ったのは、愁いを秘めた御曹司・本郷孝章(ほんごうたかあき)と、自分とそっくりな少女・雛子(ひなこ)。陽菜を気に入る奇術師・天菊(てんきく)、雛子が心を寄せる謎めいた書生・武虎(たけとら)らも交えて廻りはじめた運命の歯車──。切ないタイムスリップ・ロマンス!

河内遙 涙雨とセレナーデ 恋愛 SF 明治 大正 少女漫画 タイムスリップ-0

©︎河内遙/講談社

あこがれの大河ロマンスを、現代の感覚で

──『涙雨とセレナーデ』は、河内さんのこれまでの作品の中でも格別にロマンチックなタイムスリップものです。このアイデアは以前からあたためていたものだったんですか。

子供の頃から、和洋折衷の世界観の物語を描きたいと漠然と思っていました。大和和紀先生の『はいからさんが通る』などの少女マンガはもちろん、子供なりに目にした大正ロマン的な文化へのあこがれがずっとありましたね。『涙雨とセレナーデ』は、そんな子供時代のときめきから作っていったマンガなんです。

ただ、明治・大正時代の意匠にひかれながらも、自分なりに調べるほど、今の価値観ではつらい時代でもあって…。学校で大正デモクラシーや女性解放運動について習ってシンパシーを感じてきたけれども、やっぱりそういった運動が起こるには理由がありますよね。当時の家制度や軍国主義に対して現代の私たちが抱く違和感も、タイムスリップした主人公であれば自然に描けるんじゃないかなと思いました。

──主人公の陽菜は、タイムスリップして自分とうりふたつの雛子と出会い、入れかわりの生活の中で御曹司・本郷との恋に落ちます。

陽菜と雛子の関係は、『ふたりのロッテ』や『とりかへばや物語』など、双子が入れかわる物語への憧れから。「少女マンガで描くなら、華族のお姫様(ひいさま)のロマンスがあったらどうだろう?」とか、王道の大河ロマンを私なりに一生懸命目指して、担当編集さんと話し合いながら考えました。

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©︎河内遙/講談社

──特に4巻以降はめくるめくシーンが各巻にあって目を奪われます。4巻の海中での陽菜と本郷のキスシーン、素敵でした。

ああ、よかったです。私自身の好みとは切り離して描いているのでいつも不安なんですが、読んでいる方には「めくるめく展開にときめいてほしい」とすごく思っているのと…実は3、4巻あたりまでは「次の巻で完結させなきゃいけないかもしれない」という話が何度も出ていたんですね。だから絶対に必要な展開を詰め込んでいました。

そこから解き放たれたのが4巻以降です。映画を1本撮るというよりは連続ドラマのような作り方で、「描けるならこのエピソードを。この大ゴマを」と増やしていって。陽菜と本郷については、歌舞伎じゃないですけど、「よ! 待ってました!」と声がかかるようなロマンスをイメージしています。

──婚約披露パーティなども非日常のワクワク感がありますよね。

普段の生活から離れて「舞踏会か…!」と一瞬お姫様気分を追体験してもらえたらうれしいです。ただ、舞踏会や素敵なドレスの背景にある、家父長制や身分制度をポジティブに描きたいわけではないので、もしかしたら「期待していたものと違う」と感じられた方もいるかもしれません。

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©︎河内遙/講談社

──ときめくシチュエーションもたくさんありますが、それだけじゃない。現代的な感覚で刷新されています。

王道に憧れているんですけど、目指しても絶対はみでちゃう。わざとでは全然なくて、シンプルにしたいけど込み入ってきちゃうんですよ〜(笑)。でもそのはみだす部分こそがその人の作家性みたいなものなのかな、と他の作家さんたちともよく話します。

少し水を差すとしても、他者に敬意のあるラブストーリーにしたい

──ラブストーリーを描く際に心がけていることはありますか?

少女マンガのラブストーリーにたくさんときめいてきましたし、私も物語として恋愛ものを届けたいと強く思っています。でも一方で、私自身、フィクションの中の恋愛要素に乱暴な流れを見つけると、冷めやすいんですね。

恋愛だからといって誰かがないがしろにされたりもたれ合ったりするのではなく、自立した部分や敬意を互いに持とうとしている人同士のほうがときめきます。だから多少展開が鈍くなっても、気持ちの変化や人間の所作をできるだけ丁寧に描きたいです。結局、人権が気になるんでしょうね。

──「自分の将棋を他人任せにしない」という作品の鍵となる陽菜のセリフも思い出しました。

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©︎河内遙/講談社

特に陽菜の場合は、待っているだけだとふがいなさを感じるような女の子なので、自分で道を切り拓く気持ちが強いですね。

──本郷にも、陽菜とバルコニーで逢引するロマンチックなシーンで、自分が汚れるのもいとわずに動く描写がありましたね。

本郷がちょっと情けなく見えるシーンでもあるんです。相手を考えての行動だけど、自分の見た目には無頓着。その自意識のなさというか。

──河内さんご自身が印象に残っているシーンはありますか?

本郷と陽菜が初めて結ばれた後、二人は思いがけず怪我人をかくまうことになるのですが、そこで陽菜が、本郷と結ばれた部屋に第三者を入れることにためらいを覚えるシーンは、私も心に残っています。

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©︎河内遙/講談社

──リアルですよね。

世界には、二人だけじゃなくて、他の人もいる。ここで何も描かれていなかったら、「この部屋、さっきあんなことがあったのに他の人を呼んじゃうわけ?」とツッコミたくなっちゃう。マンガだけど、やっぱり他者への配慮としてひと言入れたいんです。ストーリーの流れに水を差すのと紙一重だから難しいけれど、できるだけ頑張りたくて。

──ロマンスの一方で、ミステリー的な要素もあります。人身売買というシビアなテーマを取り上げた意図を伺えますか。

どの時代にも光と影があり、明治・大正をただファッション的に素敵なものとして描くのは違うと感じていました。上流階級の社会の中に雛子や本郷を置いたら、逆の立場の人たちも描かないわけにはいきませんでした。「怖い」って思われてしまうかもしれないけれど、やっぱりこういうかなしい境遇の人たちも絶対にいたから。

女の子の力と、少女マンガのピープルツリー

──『涙雨とセレナーデ』では女の子が自分で人生を掴み取っていく姿も丁寧に描かれています。籠の中の鳥のようだった雛子が、学問から徐々に力を得るところ、勇気がわきました。

本当は、雛子は最初からちゃんと力を持っているんです。突然現れた自分そっくりの女の子を部屋に住まわせる胆力があって、怖さよりワクワクを選べる女の子だから。

雛子にかぎらず、自分自身に蓋をして生活しなければいけない境遇はあると思います。でもずっとそれを続けたら、人間は壊れてしまう。ファンタジーに見えるかもしれなくても、その人らしい方向へどうしたら向かっていけるかを考えました。

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©︎河内遙/講談社

──この連載では毎回、yoi読者の皆さんへのメッセージをいただいているのですが、この作品自体がすべての女性へのメッセージだと思ったりもします。

少女マンガを描くときはいつも、「女の子たちに優しくしたい」という思いがベースにあります。ちょっとでも励みになったり元気になったりしてもらえたらいいなと思いながら描いていて、もしかしたら私にとってはそれが一番大事なのかもしれません。

背中を押したり、一緒に戦ってくれたりする作品もすごく素敵だけど、私は「そのまますっくと立っていて、それで大丈夫だよ」と伝えたいです。考えていると、ちょっと泣けてきちゃうんですけど、私自身が少女マンガにずっと力をもらってきたんですよね。

──少女マンガは、寄り添ってくれる友人のような存在でもありますね。

絶対に真似できない、代えがたい体験なんですが、これまで読んできたいろんな少女マンガのピープルツリーにあこがれていて。『涙雨とセレナーデ』には大好きな少女マンガへの思いもたくさん入っています。

──河内さんが憧れた少女マンガを教えていただけますか?

本郷と近い名前のキャラクターが登場していたことに後から気がついたのは、森川久美先生の『南京路に花吹雪』です。昭和初期の上海を舞台にした作品ですが、子供の頃大好きで、やっぱり強い影響を受けていたんだなとはっとしました。

それから歴史ロマンといえば神坂智子先生。もちろん萩尾望都先生や大和和紀先生、“ドジ様”こと木原敏江先生、さいとうちほ先生…挙げきれません(笑)。それぞれの時代で女性の作家さんたちが描かれてきた物語の背景には必然性があったと思いますし、そこから受けとったものがたくさんあります。

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©︎河内遙/講談社

──「少女マンガ」というひとつの大きな織物に、河内さんの作品も編み込まれているような感覚もあります。『涙雨とセレナーデ』は、そろそろフィナーレが近づいているのでしょうか。

そうですね。ラストは果たしてどうなるか。どう描くと読んでくださっている方に楽しんでいただけるのかを考えながら、最後まで描いていきたいと思います。

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河内遙(@kawachiharuka)X(旧Twitter)より

河内遙

漫画家

河内遙

かわち・はるか●東京都出身。2001年、「アックス」(青林工藝舎)にて『ひねもすワルツ』でデビュー。2009年、一挙4冊を刊行したデビューコミックスフェアで注目を集める。2012年、『夏雪ランデブー』(祥伝社)がテレビアニメ化された。主な著書に『関根くんの恋』『ケーキを買いに』(ともに太田出版)『リクエストをよろしく』(祥伝社)など。現在、「Kiss」(講談社)にて『涙雨とセレナーデ』、「フィールヤング」(祥伝社)にて『ムサシノ輪舞曲』を連載中。

横井周子

マンガライター

横井周子

マンガについての執筆活動を行う。ソニーの電子書籍ストア「Reader Store」公式noteにてコラム「真夜中のデトックス読書」連載中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works

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画像デザイン/坪本瑞希 取材・文/横井周子 構成/国分美由紀