マンガライターの横井周子さんが、作品の作り手である漫画家さんから「物語のはじまり」についてじっくり伺う連載「横井周子が訊く! マンガが生まれる場所」。第11回は、『大丈夫倶楽部』作者の井上まいさんにお話を聞かせていただきました。
●『大丈夫倶楽部』あらすじ●
「あの いま大丈夫じゃない感じですか?」。自分の“大丈夫探し”が趣味の花田もねは、ある晩に出会った芦川(あしかわ)と意気投合。今いる場所を大丈夫な場所にする活動=「大丈夫倶楽部」を結成し、日々楽しく研鑽を積んでいる。だが、実は芦川は宇宙人だという秘密を抱えていて…?! 天真爛漫な花田もねと謎の生物・芦川が日常を居心地よくする“ハビタブル”ストーリー!
大勢から共感を得られなくても、この実感を作品にしたかった
──読者の心の深い部分に寄り添う『大丈夫倶楽部』は、どこか風変わりなマンガです。語り口やテーマの切り取り方に、この作品ならではのオリジナリティを感じますが、そもそも「宇宙人」と「セルフケア」という題材はどのように思いつかれたのでしょうか。
今の「宇宙人」と「セルフケア」というキーワードを聞いて、そうか、そういうふうにとらえられるんだなあと新鮮でした(笑)。きっかけというか、このマンガは私自身の実体験に近いものが話の種になっています。生きていると、色々とうまくいかないことや思い通りにならないことがありますよね。私の場合は、それが長く続いた時期がありました。新しい作品に向けて水面下でたくさん試行錯誤していたのですが、なかなか形にならなくて。
作中に出てくる「大丈夫になりたい」という直接的な感覚とは少し違うけれど、「うまくいかなくても、やるしかないんだから仕方ないよな」とか、私自身が生活の中で感じた気持ちに肉付けしていったのがはじまりです。すごく私的な内容なので、最初は同人誌で出そうと考えていました。大勢から共感を得られなくても、この実感をそのまま作品にして自分用の本にしたいと思ったんです。ちょうどそのタイミングで「マンガ5」の編集さんから連絡をいただいて、縦読みマンガの新連載として発表することになりました。
©︎井上まい/レベルファイブ
──主人公の花田と宇宙人の芦川。日々、“大丈夫”を探求しておしゃべりする二人が楽しそうで、この関係にすごくなごみます。
花田はふわふわした「いい空気」みたいな人。花田に「いいじゃん!」と言ってくれる存在がほしくて考えたのが芦川です。仲間がいるって素敵なことですよね。「自分には仲間なんていない」と思う人もいるかもしれないけど、そばにいなくても、マインドだったり立場だったりを共有できる人ってどこかに存在するんじゃないかなと思います。そういう意味で、芦川と花田は「大丈夫倶楽部」についての理念が合致した、魂の友達なんです。
──ソウルメイトを、性別や年齢などがあいまいな「宇宙人」として表現された背景には、どんな考えがあったのでしょうか。
読者の解釈をあまり狭めたくないという思いはありましたね。他人はみんなどこか正体不明で、もしも人じゃなくてもわからないかもしれない。そのニュアンスを受け取っていただけたらいいのかな、と。それと、『大丈夫倶楽部』では性別に関するモヤモヤ以前の話がしたかったので、性別は特にいらなかったんです。
編集さんにも「(商業作品なので)女性の主人公と並べて幅が出る、男性の見た目にしたほうが伝わりやすいでしょうか」と芦川を人間にするアイデアも出しましたが、「いや、謎の生きものでいきましょう」と言っていただいたので、そこから固めていきました。商業マンガは、担当編集さんがいて、作家がいて、もちろん編集部がいて。いろんな方のお知恵を拝借できるのが強みだなとずっと感じています。ここでしか形にならないものがあるんですよね。
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大丈夫じゃなくてもいいし、大丈夫になるほうを向けなくてもいい
──「大丈夫倶楽部」の活動の中でも、「ハッピーチョコスプレー」(33話)は特に好きな回です。仕事がしんどくても家にカラーチョコスプレーがあるとうれしい…というさりげないエピソードですが、チョコスプレーがかわいくて元気が出るし、共感します。
うれしいです。もう、本当に個人的な感覚というか…、こんな話をわざわざマンガにして発表していいのかなって(笑)。でも日常ではすごく「ある」ことだから、どこまで読者に伝わる作品にできるだろうかとドキドキしながら、耐久テストのような気持ちで描いていました。『大丈夫倶楽部』の連載は毎週更新でページ数が少なめだったからこそ、ちょっとした出来事をテーマとして丁寧に拾えたのがよかったのかもしれません。
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──ご自身の中で印象に残っている回はありますか?
「夢の宇宙遊泳」(52話)でしょうか。無限に縦にスクロールできる縦読みマンガならではの面白いギミックに挑戦したくて、宇宙遊泳をするように下から上へとスクロールして読んでいく構成にしました。
『大丈夫倶楽部』は連載時の縦読み版、電子版、紙版とありまして、電子と紙のコミックスでも自然に読める形に工夫していただきましたが、この回はぜひ縦読みで読んでいただけるとうれしいです。「マンガ5」編集部は面白いことに対して意欲的で、私もそのことをよく知っていたからこそチャレンジできた話なので、思い入れがあります。
──編集部との絆を感じますね。ほのぼの、ワクワクするお話の一方で、晃良(アキラ)や翠(みどり)のようにさまざまな事情を抱えたキャラクターも登場します。説明的に明示はされませんが、兄弟差別や宗教2世などシビアな家庭環境を推察できるように描かれていますね。
『大丈夫倶楽部』では基本的に優しくて、まあるい世界を作ると決めていたんですが、晃良は、その真逆をいく裏主人公として考えたキャラクターでした。誰もが花田みたいに幸せノーテンキにはいられないし、さまざまな考え方がありますから。
花田が子どもの頃に聴いたラジオ番組をきっかけに「今いるここを大丈夫にしよう」と思い至るエピソードがあります。その同じ番組を聴いて「宇宙に出よう」と逆のことを考えた子どもが晃良です。二人は鏡のような存在なんです。
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──裏表のラジオのシーンは、物語全体を貫く大切なパートとなっています。一方の翠が「大丈夫倶楽部」の活動を「大丈夫教」と茶化すシーンは、芯に触れる怖さもあります。
晃良がなんだかんだいい奴になってしまったこともあって、「アンチ大丈夫」な一種の悪役として登場させたのが翠です。このマンガの登場人物は、基本的には大丈夫なほうを向けるタイプが多いけれど、読者に対する受け皿として、「別に大丈夫じゃなくてもいいよ」という思いをちゃんとキャラクターにしたくて。
「『大丈夫倶楽部』を読むと大丈夫になれる」と言っていただいたりするんですが、大丈夫になれるのは、そういうふうに物語を受け止めるその人自身の考えがあるからこそ。大丈夫じゃなくてもいいし、大丈夫になるほうを向けなくてもいい。翠はそれを伝えるためのキャラでもありますね。
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人知は未だ世界の内に在り されば知るべし 学研すべし
──最終回の直前にも「あなたの大丈夫はあなただけのものだからね」という、すごくいいセリフがありました。そもそも「大丈夫」とは井上さんにとってどんなものでしょうか?
うーん、なんだろう…もしかしたら「ゆとり」という言葉が近いのかもしれませんね。現実って、時間も、お金も、気持ち的にもなかなか余裕がなかったりします。そうなると生存本能的には自分を大事にするけれど、みんながみんな、それしかやれない社会ってあまり面白くない。
家でぼーっとする時間でもいいし、日向ぼっこするだけとかでもいい。そういう時間があると、自分以外のことも考えられる気がするんです。ただ、「大丈夫」は大事なものだとは思うけど、求めても手に入らない場合があるから、「あるべきものだ」とは言いたくないです。
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──絶対必要だという追い詰め方はしない。その思いこそが、このマンガの優しい空気感を形作っているのかもしれませんね。また、この作品ではセリフも含めて「描くこと」と「描かないこと」をかなり厳密に選んでらっしゃるようにも感じました。
とげ抜きは徹底しました。コロナ禍中に描き始めたこともあり、気持ちを落ち着かせる物語にしようと強く思っていたので。それから、主題以外の要素はかなり削っています。例えば翠の生い立ちのことも、キャラクターを取り巻く事実として言葉の外で伝えることはありますが、気づく人は気づくし、気づいたらもう十分だし、気づかなくても全然いい。
でもひとつだけ、不自然なくらい恋愛を描かなかったことはちょっと反省しているんです。「恋愛要素がないから安心して読める」という感想もたくさんいただいたんですが、1組くらい恋人たちが作品の中にいてもよかったのかも。私の中の優先度が低くて、描きたいことを描きつづけていたら、恋愛を描くタイミングがありませんでした。
──すでに連載は完結し、コミックスは秋に発売予定の8巻が最終巻です。
物語としてどこまではっきりと描くのかはずっと考えていましたが、担当編集者と私とで決めたラストなので、楽しんでいただけるとうれしいです。
マンガも、こういった記事も、読んでくださっている方々の「何か読もう」という思いって豊かでいいなあと思うんです。興味を持つこと自体が心の栄養になっていると思うので、これからもぜひいろいろなものを楽しく読みつづけてください。『大丈夫倶楽部』でもいいし、他のマンガや娯楽でももちろんいいので、触れていただくきっかけになったらうれしいです。
──『大丈夫倶楽部』に出てくる素敵な標語「人知は未だ世界の内に在り されば知るべし 学研すべし」を思い出しました。
あれは実は、それっぽく作ったオリジナルの標語なんです(笑)。書道教室の先生をしている、ちょっといい加減なおじいさんが書いた設定なので、そんな感じをイメージしつつ、作品の中心となる言葉を一生懸命考えました。世界には本当にいろんなことがあるので、たくさん知ること、学ぶことは悪くないなあってよく思います。
©︎井上まい/レベルファイブ
マンガライター
マンガについての執筆活動を行う。ソニーの電子書籍ストア「Reader Store」公式noteにてコラム「真夜中のデトックス読書」連載中。
■公式サイトhttps://yokoishuko.tumblr.com/works
画像デザイン/坪本瑞希 取材・文/横井周子 構成/国分美由紀