人生の先輩たちは、これまでどんなことに悩み、どうやって乗り越えてきたのか? 集英社の編集出身の女性役員が会社員人生を振り返りつつ、影響を受けたマンガを語ります。今回話を聞いたのは、50代半ばで驚きの人事異動を経験したという杉野潤子 取締役。作品の力に助けられた、出版社人生とは?

マンガを紹介するのは…杉野潤子 取締役

杉野潤子

集英社 取締役

杉野潤子

富山県出身。1986年慶応義塾大学文学部卒業後、集英社に入社。「LEE」「MORE」と女性誌の編集に携わる。2001年「BAILA」創刊メンバー。2007年「MORE」編集長。2013年「Marisol」編集長。2018年コンテンツ事業部部長、2020年宣伝部部長、2023年取締役。家に帰るとボストンテリアのあんずちゃん(♀・3歳)とべったり甘々のだらだらした時間を過ごしています。

杉野取締役のおすすめ漫画①くらもちふさこ 著『おしゃべり階段』/集英社

くらもちふさこ おしゃべり階段 マンガ 集英社

STORY
クセ毛がコンプレックスの加南。ケンカ相手の中山手線の優しさに助けられるうちに、いつしか線のことを好きになっていた。だが、別の高校へ進学した線のそばには親しげな女の子が……⁉ ときめきの初恋ストーリー。

〈おしゃれのセンス〉は、くらもちふさこ作品で学んだ

子どもの頃からマンガが好きで、くらもちふさこ先生の作品をずっと追いかけていました。子ども心にもセリフやファッションが素敵だなって思っていたの。

『おしゃべり階段』を最初に読んだのは、高校生の頃。作中に渋谷にあったプラネタリウムとか、東京の色んな場所が出てくるんですよね。当時私は富山の田舎で暮らす女子高生だったので、東京の空気に憧れました。くらもち先生の描く男の子って本当にかっこよくて。加南の片思い相手・線の着こなしも好きでしたね。

でも、見た目だけじゃないんですよ。加南と線は、お互いの不器用さを含めて、相手をとても深く見ている。だから会話が表面的じゃないんです。中学・高校6年間の二人の成長を描いた作品ですが、人間みがあって、居心地のいいおしゃれさがあります。くらもち先生のそうしたバランス感覚に、実はすごく影響を受けました。

くらもちふさこ おしゃべり階段 マンガ ページ画像

入社後30年以上女性誌の編集をしていたのですが、私はずっと“いつもそばにいる友達のような”ファッション誌を目指していました。「これが新しくていいものです!」と一方的に押しつけるんじゃなくて、読者に向かって「こんな感じ、どうかなあ?」とおしゃべりするような……。

このように、私のベースにはずっと『おしゃべり階段』から学んだ〈相手を深く思いやるような、温かいおしゃれのセンス〉があった気がします。

杉野取締役のおすすめマンガ②井上雄彦 著『SLAM DUNK』/集英社

井上雄彦 SLUM DANK  集英社 マンガ

Ⓒ井上雄彦 I.T.Planning,Inc.

STORY
不良少年・桜木花道はひょんなことからバスケットボール部に入部。地道な練習や試合を通じてバスケの面白さに目覚め、急速に才能を開花させていく――。青春の汗と涙と笑いが詰まった少年マンガの金字塔。

50代で驚きの人事。作品の力が、私の背中を押してくれた

ファッション誌を作るのが本当に楽しくて、ずっと仕事に夢中でした。ところが編集長として仕事に没頭していたときに、突然の辞令。異動先は、ジャンプの展覧会やグッズの企画をするコンテンツ事業部という部署。部長としての就任でした。50代半ばでこうした畑違いな部署への人事異動があることは社内では珍しく、私自身がすごく混乱してしまったんです。頑張ろうと思ったり、落ち込んだり。心がジェットコースターのようでした。

とはいえ、コンテンツ事業部の人たちには前向きな姿を見せたい。異動してきてしょんぼりしている人がいたらイヤでしょ。平静を装いながら、当時開催中だった「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展」VOL.2に足を運んだんですよね。実は週刊少年ジャンプはほとんど読んだことがなくて、知識もなかったから、展示を見ていてもなんだかフワフワして、外国にいるような気がしました。

その展示の最後に、『SLAM DUNK』最終巻に収録されている山王戦をスライドショーにした音のないシーンがあったんです。このマンガだけは高校までずっとバスケットボール部だったので読んでいて、この有名なシーンはなんとなく覚えていました。セリフのないページが続いて、一心不乱に湘北高校バスケ部の子たちがボールを追っている。流川が桜木にパスして、シュートが決まって、二人がタッチして……。それを黙ってじっと見ていたら、「ああ、私はここに足を踏み入れたんだ」とすとんと腑に落ちたんです。 

悩まなくなったわけじゃないですよ。そんなに簡単じゃない。でも覚悟ができた。そういう気持ちにさせてくれた印象的なワンシーンでしたね。

女性誌では編集長を務めた期間が長かったし、正直、自分がリーダーとして編集部を引っ張っていました。でもコンテンツ事業部では若いスタッフたちについていくのに必死。マンガを読んで、読んで、読んで。そうやっていくうちに、落ち込みはいつのまにかどこかに消えていました。今では、新しい世界を経験させてくれている会社に感謝しています。

杉野取締役のおすすめマンガ③さくらももこ 著『COJI-COJI』/集英社

COJICOJI さくらももこ 集英社 マンガ

『COJI-COJI 新装再編版1』さくらももこ著 ©M.S

STORY
メルヘンの国の住人・コジコジは半魚鳥の次郎君たちとゆかいに楽しく暮らしている。勉強って何? 名前が書けなくっても大丈夫だよ。コジコジはコジコジだもん! 爆笑必至のナンセンスギャグファンタジー。

モヤモヤしたときは、肩の力を抜いてくれるコジコジの言葉を

『COJI-COJI』は、今も全国巡回中の「さくらももこ展」を通して、遅まきながら読んだマンガです。最初はナンセンスな世界観にびっくりしたんですよ。

コジコジって、空気を読まないで、みんなをズコーっとさせるようなことを言うでしょう。あの風貌もあって、それがおかしくて。でも、コジコジが言っていることって真理でもある。「コジコジはコジコジだよ」という有名なセリフも、生まれたときから自分は変わらないんだと言っているわけですよね。本当にシンプルだけど、「だよね」と共感できる部分が多いというか。

COJICOJI さくらももこ ページ画像 マンガ

『COJI-COJI 新装再編版1』「コジコジはコジコジ の巻」より

最近、こういう心に残る言葉は紙の本で読みたいなと思って、装丁がきれいな新装再編版コミックス『COJI-COJI』と『コジコジにきいてみた。モヤモヤ問答集』(ブルーシープ)をヒマなときにぱらぱらとめくっています。落ち込んだときとか自分がいっぱいいっぱいになっているときに読むと、ちょっとクールダウンしてくすっと笑えるのがちょうどいいんです。

この年齢になって、こういう作品に出合うことになるとはね。こんなふうに『COJI-COJI』が私の人生にかかわってくるなんて、自分にとって新しいことを探求するチャンスを『COJI-COJI』にもらえるなんて想像もしていませんでした。人生何が起きるかわからない(笑)。

『SLAM DUNK』と『COJI-COJI』で私の会社人生は大きく変わって、それは今、プラスで生きている。だからこそ、若い世代の皆さんには、人の目を気にせず、先のことをあれこれ考えず、今やりたいことをどんどんやってごらん、と言いたいですね。

20代後半から30代にかけては、長い人生の中でもいちばんパワーがある時期。そのエネルギーをがむしゃらに自分がいいと思ったことに使ったほうがいい。その結果はどんな形であれ、いつかきっと現れます。そして絶対に自信になるしもっと前向きになれると思う。無責任なことを言っていると思うかもしれないけれど、思っている以上に自分の中に力はちゃんとあるものだから。

取材・文/横井周子 企画・構成・イラスト/木村美紀(yoi)