フリーの編集者・ライターとしてジェンダーに関する記事や書籍に携わる福田フクスケさんが、毎回ゲストをお迎えしてジェンダーの問題についてトークしていく新連載がスタート! 男性である福田さんの目線で日々考えているジェンダーのモヤモヤについて、さまざまな立場のゲストと意見を交わし、考えを深めていきます。第1回のゲストは、ジェンダーやフェミニズムをテーマにしたマンガ『わたしたちは無痛恋愛がしたい 〜鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん〜』を連載中のマンガ家・瀧波ユカリさん。お二人が現在ハマっている、NHKで放送中の連続テレビ小説『虎に翼』をテーマにトークしました。

福田フクスケ 瀧波ユカリ ジェンダー

福田フクスケ

編集者・ライター

福田フクスケ

1983年生まれ。雑誌『GINZA』にてコラム「◯◯◯◯になりたいの」、Web「FRaU」(講談社)・「Pen」(CCCメディアハウス)などでジェンダーやカルチャーについての記事を連載中。田中俊之・山田ルイ53世『中年男ルネッサンス』(イースト新書)など書籍の編集協力も。その他雑誌やWEB、書籍などでも幅広く活躍中。

瀧波ユカリ

マンガ家

瀧波ユカリ

北海道生まれ。2004年デビュー。マンガ『臨死!! 江古田ちゃん』『モトカレマニア』(ともに講談社刊)、コミックエッセイ『はるまき日記』(文春文庫刊)、『オヤジかるた 女子から贈る、飴と鞭。』『ありがとうって言えたなら』(ともに文藝春秋刊)など。ウェブマンガマガジン『&Sofa』(講談社)にて『わたしたちは無痛恋愛がしたい〜鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん〜』を連載中。

『虎に翼』は、“パワーバランス”に対しての解像度がすごいドラマ

虎に翼 寅子

——新連載の初回テーマは、現在放送中の朝ドラ『虎に翼』について! 編集部でも話題に上がっているドラマですが、お二人もXでよく感想を投稿されていらっしゃいますよね。お二人とも、目のつけどころが鋭くて、ぜひこのお二人で『虎に翼』についてトークしていただきたい!と思いオファーしました。お二人は、なぜこのドラマにハマったのでしょう?

福田さん
瀧波さんがすでに別のところでお話しされていることですが、主人公の寅子がいいですよね。登場したときから理知的で、口が立つ、物言う女性として描かれていました。そういう朝ドラのヒロイン像を提示したっていうのが画期的ですよね。これまでの朝ドラだと、不器用だけどひたむきで純粋で…というキャラクターがステレオタイプだったけれど、そうではない。自分の頭で考え、疑問に思ったことは口に出していくというヒロインが生まれたのは、ひとつエポックメイキングだったのではないかと思います。


瀧波さん私は“力”についての解像度がすごいドラマだな、というのがいちばんです。どこに“権力”があって、どんなことが起こっているのか、ということがちゃんと描かれている。

寅子たちが女子部で法律を学んでいたときに、みんなで法廷演劇をするというお話がありましたが、その台本の内容が、元となる事件から変えられてしまっていた。元となる事件では、犯人である女性は明確な悪意を持って犯行に及んだのに、台本では、無知ゆえに人を殺めてしまった、可哀想な女性として描かれていて…そこには男性の教授が、女性を「弱く守るべき対象」として描きたかったという意図があったのだと思うのですが、台本の改変に対しては寅子たちはなす術がない。教授たちと学生たちの間には歴然とした力の差がある。

女子部のメンバーと、寅子の親友であり兄の妻である花江、寅子の母(はる)の面々で、“自分の抱えているつらさ”について語るシーンでは、はるさんだって色々思うことがあるはずなのに何も言わないでいました。そこには“子どもたちと親”という力の差があるから。

新しい憲法が施行されたあとには、華族として力を持っていた涼子(寅子の学友)は特権を失い、そこからのリスタートを描いていたり、涼子に仕え世話をしていた玉は、ケガにより逆に涼子にケアされる立場になったりと、“力”の移り変わりを描いている。

どのエピソードでも必ずと言っていいほど、“パワーバランス”=力がどこに配分されているか、ということがカギになっていて、それを考えさせるエピソードを自然に入れているのが秀逸ですよね。

“力”を自覚することの難しさを、主人公の姿を通して問いかける

虎に翼 寅子 花江

福田さん:力を持つ者、持たざる者という描き分けだと、主人公の寅子一人を通しても、さまざまな面が描かれていますよね。寅子は女性としては差別や理不尽な扱いを受けてきた弱者ですが、恵まれた家庭環境で比較的裕福に育ってきたという意味では強者でもある。

特に、戦後になって裁判官として活躍するようになってからは、寅子は一躍時の人になり、家庭ではたくさんの家族を経済的に一人で支える大黒柱に。そうして、知らず知らずのうちに大きな力を持ってしまうわけです。

そんな状況の中で、自分より権力勾配の上にいる人に対して不平等を訴える寅子はすごくかっこいいんだけど、自分に“養われている”状態の家族たちが、自分に気を遣って言いたいことが言えなくなってしまっていることには気づけない。そんな矛盾を、一人の人物の中で描いているというのが、視聴者をハッとさせてくれた。

瀧波さん:外で働き、家族を経済的に支える側と、家で家事をしている側に“力”の差が生じるのって、現実でもよくあることですよね。ただ、それは現実の場合、働く夫と家事をする妻、という形がほどんど。

仕事の忙しさゆえに家族の不満に対して鈍感な寅子に、家族からも視聴者からもツッコミが入りました。寅子が男だったらあんなに批判されただろうか?と思います。

福田さん:もし“夫と妻”として描かれていたら、 スルーされてしまったかもしれないな、と思うところはありますね。それを女性同士でフラットに描くと、そういった性別役割分業が抱える問題というか、歪みみたいなものがより浮き彫りになってくる。

瀧波さん:あの時代の男性が家庭を顧みずに働き、妻にケア労働を丸投げし、家族から総スカンを食らうドラマがあったとしたら、恩知らずな家族だとか男性がかわいそうだとか言われるのでは。でも女性であれば厳しい目で見られる。SNSでの寅子への風当たりが強かったことは、昔も今も何かと「母親なのに」と言われる現実を反映しているようで、つらくなりました。

福田さん:視聴者も試されますよね。これが、外で働く父親だったらここまで気になっただろうか?女性だから、母親だからこれはよくないというバイアスがすごくかかっているんじゃないかって、視聴者に問い返されているようで。視聴者に自分で考えさせて気づかせる、ということまで織り込み済みの脚本がすごいなと思いますね。

瀧波さん:寅子が出世してきれいな服を着るようになっていく反面、花江は義母のお下がりの着物を着ている。そのギャップも残酷だなと思いました。

出世ってエレベーターのようなものだと思います。仕事がうまくいくとどんどん足場が上がり、遠くの景色まで見渡せるようになる。だけど、地面の高さにいる仲間たちとは目線が合わなくなり、二度と同じ景色を共有できなくなる。仲間の顔を見たくても、上からだと頭しか見えなくて表情がわからない、みたいな。

寅子と花江の場合は女性同士で、元は同じ高さに立っていたからその目線の変化が強く感じられたけれど、男女の場合は、結婚したときには足場の高さがすでに違うんですよね。最初から男性の目線が高くて当たり前。だから夫と妻だと、立場の高低差が気にならなく感じてしまう人が多いんだと思います。

福田さん人は、自分が手にしていないパワーの特権や、自分に不利な勾配については自覚できるけれど、自分が持っているもの・手に入れたパワーのそれには、やっぱり鈍感になってしまう。そのことを、主人公の姿を通して突きつけてくる描写が恐ろしいなと思いながら見ていましたね。

男性キャラクターのリアルな人物造形から、今も残る偏見や差別構造の問題が見えてくる

虎に翼 穂高教授

——戦後、法曹界に復帰して働くも、以前のように自分の考えをハッキリ言えなくなってしまった寅子が、恩人であるはずの穂高教授の言葉がきっかけで疑問に立ち向かう姿勢を取り戻しますが、言葉を投げかけたのが「穂高教授であるということが秀逸」という福田さんの投稿に、なるほどと思いました。


福田さん:穂高教授は、妊娠した女性に対する受け皿がない孤立感や焦燥感から一度離れてしまった法曹界に戻った寅子に対して「本当は働きたくないのに、無理して戻ってきた」と思い込み、その世界に連れてきた責任を感じて的外れな謝罪をしますが、寅子自身はやりたくて戻ってきている。善意から来る言葉だとしても、寅子の意思を無視してしまっています。

仕事に復帰した寅子に「お子さんは?」「お父上は君が働くことになんと?」といったような男性には言わない言葉をかけていて、無意識から生まれるパターナリズムをよく表しているキャラクターですよね。

瀧波さん:忙しいけれど、自分が社会を変えたいという願いもあり無理をして働いていた寅子がついに倒れてしまった際に、穂高教授が「君は雨垂れの一滴、君の犠牲は無駄にならない」というようなことを言って寅子の心を折ってしまいますが、それがずっと寅子の心に引っかかっていて。

穂高教授が退任する際「自分は雨垂れの一滴だった」とスピーチして、寅子はすごく憤りを感じてしまうんですよね。穂高教授は特権を持っていて、無数の雨垂れを生み出す側だった。それなのに、自分の特権に無自覚で、無邪気にそんなことを言ってしまう。

福田さん:ゴリゴリの保守だった神保教授(寅子が出会う、伝統的な価値観を重んじる男性の教授)のほうではなく、一見リベラルな穂高教授の無自覚や無理解を描くのが鋭いなと思いました。「自分は大丈夫」と思っている男性にも耳が痛い描写で、考えさせられてしまう。

瀧波さん:穂高教授は、少しそういった不気味さも感じさせる、深い人物造形ですよね。他の男性キャラクターはコミカルな要素もあって、物語を軽いタッチで進める役割も持っている。

福田さん:男性キャラクターの話だと、ドラマの放送が終了した後のTV番組で「(ドラマ内に)いい男がいなくてすみません」みたいな発言があったんですよね。それは、問題が起こったときに助けてくれて、スーパーヒーローみたいに解決してくれる男性がいい男、という基準で言ったことだと思うんですけど、そういう男性だけがいい男ではないよ、というのをドラマの中でも描きたかったのではないかと。

寅子のことを全面的に肯定してくれるお父さん、頭から水をぶっかけられてもニコニコしていられる直道兄さん、「トラちゃんがトラちゃんらしくいてくれることが僕の望みだ」というようなことを言ってくれる優三さん…そんな、善良で無害な男性たちもいい男像のひとつだよ、というのを提示してくれたなと思っています。

瀧波さん:視聴者は普通に、魅力的な男性キャラクターがいっぱいいるなと思って見ていたと思うんですけどね〜。

福田さん:そうだと思います。ただ、無害で善良だけれど、無責任な部分は結構あるなと思っていて。穂高教授は、寅子に
軽率に法学部への進学を勧めるし、お父さんも無責任に俺がなんとかするからって言っちゃうし、桂場(法学部の先生)も、「女性に法律は時期尚早だ」といったようなことを言うし、男性はみんな、下駄を履いた無責任な立場からものを言ってるというか…。善良で、無害で、寅子の理解者ではあるんだけども、決して、差別構造自体を自ら変革するようなことはしないというか…。

今の女性の立場が向上してきたのは、やっぱり女性が勝ち取ってきたものだから、そういった女性の手柄を物語の中で男性が横取りしないための、脚本上の誠実さなのかな…というふうには理解しています。同時に、個人個人が善良で無害なだけでは、それはただ差別構造に加担したままなのだ、ということを突きつけられたような気もしましたね。

瀧波さん:よくあるストーリーだと、主人公のひたむきさが、そんな男性たちの心を変える!という展開になりがちですが、『虎に翼』ではそんなマジックは起こらない。

現実と同じように、全部解決するというわけではなく、問題を残したまま少しずつ前に進んでいくのが、リアリティがありますよね。

イラスト/CONYA 取材・文・企画・構成/木村美紀(yoi)