ビジネスにおいても日常会話においても、さらにはSNS上の言葉でさえも、「理路整然と話す」ことが大事だという空気を感じる昨今。しかし、いつどんなときでもスラスラと言葉が出てくることは、はたして自然なことなのでしょうか? 文学紹介者として古今東西の文学の魅力を紹介してきた頭木弘樹さんは、「思いをうまく言葉にできないほうが、当然」と語ります。言葉にまつわるエッセイ集『口の立つやつが勝つってことでいいのか』(青土社)を上梓された頭木さんに、「うまく言葉にできないこと」についてお話を伺いました。
「話し合いで解決」は必ずしも正しいわけじゃない?
──頭木さんはこれまで、「文学紹介者」という肩書きで国内外の文学作品を多数紹介されてきました。2024年2月に出された『口の立つやつが勝つってことでいいのか』は初のエッセイ集ですが、エッセイを出すにいたった経緯をお聞きできますか。
頭木さん 僕は20歳のときに潰瘍性大腸炎という難病になり、13年間の闘病生活を送った経験があります。闘病中にフランツ・カフカの本を読んで救われた経験から、『絶望名人カフカの人生論』という本を発表し、その後はさまざまなジャンルの本を書いてきました。
エッセイ集はずっと出したいと思っていたんです。エッセイを書くときって、ほかの本とはちょっと違って、読者と対話をしている感じがするんですよ。何かを本にまとめようとするとテーマや結論が必要になるけれど、日常の対話って本来は、テーマを決めて何かを語ろうとか、結論を出そうとするものではないじゃないですか。そういった自由さの中にこそ多くの可能性があると僕は思うので、対話というものが好きなんです。
──頭木さんは今回のエッセイ集の中で、「口が立つこと」ばかりがよしとされる風潮に疑問を呈されています。子どもの頃は頭木さん自身も「口の立つ」タイプだったそうですが、どのようなきっかけでそう考えるようになったのでしょうか?
頭木さん 僕は子どもの頃から比較的、理屈っぽくペラペラと喋るのが得意なタイプでした。だから学校の友達と口ゲンカになることがあっても、いつも勝っていたんです。先生の前に出て話し合いをさせられると、ペラペラと喋るこっちの言い分を先生は信じるので、決まって相手が謝ることになる。でも、なかには、明らかに相手ではなく僕に非があるときもあるんですよ。「話し合いで解決すること」はいいことだとされているけれど、こんなんじゃ殴って相手を倒すのと同じじゃないか、と子ども心に思っていました。
自分が相手を言い負かそうとしているとき、本当とはちょっとずれたことをわざと言って、話をすり替えている自覚があったんです。でも、ケンカ相手の子は本当のことを言おうとしているからこそうまく言葉にできなくて、口ごもってしまう。そんな様子を見ていたら、自分の気持ちをごまかそうとしていない相手のほうがむしろ偉いんじゃないかといつからか感じるようになりましたね。
対話が“勝負”になってきている
──SNS上や日常会話においても “論破”が持て囃される流れはどんどん加速しているように感じます。なぜ現代社会では、これほどまでに「理路整然と、うまく喋る」ことに価値が置かれるのだと思いますか?
頭木さん いまの社会においては、対話が“勝負”になってきているのだと思います。これは本当に残念なことですよね。議論って本来は、どっちが正しいとかどっちが勝ったかではなく、お互いにどれだけ実りある対話をすることができたかが重要だと思うんですけどね。たとえ自分の意見が通って議論に勝ったとしても、「勝った」ということ以外は何も残りませんから。
──確かに、自分の意見を通すことだけを目的にしてしまうと、対話自体が味気ないものになってしまいますね。
頭木さん そうですよね。最近、オープンダイアローグ(開かれた対話によるアプローチを特徴とする、精神医療のケア技法の一種)というものに初めて参加してみたんです。オープンダイアローグでは勝ち負けを決めたり、相手のことを非難・論破したりしないというルールのもとで対話をするのですが、そういった安全な環境での対話ってすごく楽しいんですよ。
オープンダイアローグを経験して以来、日常会話において非難や論破、求められていないアドバイスといった行為が野放しにされているのがむしろ危険なことだと思うようになりました。サッカーで例えるなら、「手を使って相手を引っ張らない」というくらい基本的なルールだと思うんですけどね。
「ただ話を聞く」ことの難しさと面白さ
──おっしゃる通りですね。ただ一方で、対話をしていると無意識のうちに相手の言葉を遮ったり否定したりしてしまうこともあります。相手の話にしっかりと耳を傾けることは当たり前のようでいて難しいとも思うのですが、頭木さんが普段、人の話を聞くうえで心がけていることはありますか?
頭木さん 人の話を「ただ聞く」ことって、確かにすごく難しいですよね。いちばん大切なのは、相手の話が面白いかどうかをジャッジしようとするのではなく、相手自身に興味を持とうとすることじゃないかと思います。例えば僕の場合、20代、30代と闘病していてその期間の社会生活をほとんど送れていないので、人の20代、30代の話ってどんな話でも面白いんですよ。会社に行って働いて……という一見普通の話であっても、どんどん掘り下げて聞きたくなるんです。こちらが興味を持って聞くと相手もいろいろ話してくれるので、まずは興味を持つことが大事じゃないかなと思います。
──話そのものではなくまずは相手に興味を持つ、というのは確かに大切ですね。複数人が集まる交流会や飲み会などでは特に、空気を読んで、端的に面白い話をしなければいけないというプレッシャーを感じている人も多いと思うので。
頭木さん ああいった場でのコミュニケーションって、明文化されていない細かいルールがたくさんあって難しいですよね。端的に話をまとめて場を回す、ということが苦手な人はどうしても輪からはみ出してしまいがちですが、そういう人たちをもっと尊重することができれば、これまでに聞けなかったような面白い話も聞けるようになるんじゃないかと思うんです。
これまで聞けなかった声は、いろいろな分野において存在するはずです。例えば近年、映画界におけるパワーハラスメントが問題になったことで、「(パワハラがダメなら)巨匠と呼ばれる監督は軒並みアウトになってしまう」といった意見を耳にすることもありました。けれどその一方で、「パワハラのせいでこれまでは日の目を見られなかった人たちも活躍できるようになったら、新しい名作が生まれるんじゃないか」という意見もあったんですよね。
対話においてもそれは同じで、不平等さを是正することで、これまで聞くことのできなかった人たちの声が聞けるようになる可能性はおおいにあると思うんです。
「すぐに言葉にしたい衝動」から距離を置くためには?
──SNS世代の中には、自分が感じたことや考えたことを短く言語化してシェアするのが習慣になっている人も多いと思います。私たちが「すぐに言葉にしたい衝動」からすこし距離を置くためには、どのようなことを意識すればいいと思いますか?
頭木さん 気をつけてほしいのは、一度気持ちを言葉にしてしまうと、言葉にしたことしか残らなくなってしまうということです。例えば、素晴らしいコンサートに行って感動したとします。本当はいろんなモヤモヤとした思いがあったはずなのに、表現のテンプレートみたいなものに則ってなんとなくうまいことを言ってしまうと、それだけで自分にとっての得がたい体験が、よくある体験に変質してしまうんです。これはすごくもったいないことですよね。だから、何かをすぐに言葉にするときは、あえて大ざっぱな言葉を使うのを僕はすすめます。
──大ざっぱな言葉、ですか?
頭木さん はい。「面白い映画だった」とか「今日はすごく楽しかった」というように。小学生みたいな感想で気が利いていないと感じるかもしれませんが、気を利かせようとしすぎたせいで、かえって体験を痩せ細らせてしまうことは少なくありません。
僕たちは毎日、あまりに当然のように言葉を使っているからなかなか気づかないけれど、そう簡単には言葉にできないことって、実はすごくたくさんあるはずなんです。だからこそ、型にはまった表現に自分の気持ちを無理やり当てはめようとするくらいなら、何も言わないでおくという姿勢も時には大切だと思います。
カフカの小説の中には、「言葉にしづらいモヤモヤ」が詰まっている
──では、「すぐに言葉にしない」ことについて考えるために、頭木さんがおすすめする本や作品はありますか?
頭木さん 古典文学はどれもおすすめですね。現代まで長いあいだ生き残ってきた文学には、難解な作品も少なくないけれど、その文学作品だからこそ指し示すことができている何かがある。だからこそ、自分がずっと言葉にできずモヤモヤと抱き続けていたような気持ちをその作品の中に見つけたときは、大変な感動があるわけです。
──古典文学の中からyoiの読者に読んでほしい作品を選ぶとしたら、例えばどのような作品になるでしょうか?
頭木さん 僕自身もカフカから本を読み出したので、カフカはやっぱりおすすめしたいですね。『変身』のあらすじを学生時代に知って「気持ち悪そう」とか「難しそう」といったイメージを抱いた人もいると思うんですが、実は『変身』は本当にいろいろな読み方ができる作品なので、自分自身を重ね合わせる人もすごく多いと思います。心についてはもちろん、体のままならなさについてもすごく克明に書いてあるんですよ。なんらかの病気を経験したことがある人であれば、なおさら感情移入して読めるんじゃないかと思います。
カフカ自身もかつて、「言葉にしてしまうと、言葉にできなかった部分が風に煽られた煙のように消し飛んでしまう」と書いていたことがあります。言葉というものの取り返しのつかなさについて考えるうえで、僕自身もよくカフカのその言葉を思い出すんです。
プロフィール写真撮影/八雲いつか イラスト/minomi 取材・文/生湯葉シホ 企画・編集/木村美紀(yoi)