20歳で難病である潰瘍性大腸炎を患い、13年間の闘病生活を送ったことがきっかけで文学に出会い、現在は「文学紹介者」の肩書きで古今東西の文学作品の魅力を発信している頭木弘樹さん。インタビューの後編では、著書『口の立つやつが勝つってことでいいのか』(青土社)の中でも書かれていた「迷惑をかけること」が過剰に忌避され、自己責任論が強まっている現代社会の空気について思うことを語っていただきました。

頭木弘樹

文学紹介者

頭木弘樹

筑波大学卒業。20歳のときに難病にかかり、13年間の闘病生活を送る。闘病中にカフカの言葉に救われた経験から、2011年『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社/新潮文庫)を編訳し、10万部以上のヒットに。著書に『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ ──文豪の名言対決』(草思社文庫)、『絶望読書 ──苦悩の時期、私を救った本』(飛鳥新社)、『食べることと出すこと』(医学書院)、『口の立つやつが勝つってことでいいのか』(青土社)などがある。

宮古島の公共機関窓口の回転が早い理由

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──頭木さんは2011年に、東京から宮古島に移住されたとお聞きしています。移住直後は、東京と宮古島との違いに驚かれたことも多かったそうです。

頭木さん
 例えば東京で平日、混んでいる時間帯に小さな郵便局に行ったりすると、手続きの仕方がよくわからない高齢の方が窓口で時間がかかって、たくさんの人が待っている光景をよく目にしました。待っている人たちがイライラするので、高齢の方も焦ってしまって、ますます混乱して、けっきょく職員さんが「また改めて来てください」と帰してしまう場面を見ることも多かったんですよね。かわいそうだなあと思いながらも、どう解決したらいい問題なのか、わかりませんでした。

けれど宮古島に住むようになって、その考えが変わりました。宮古島では都会とは対照的に、公共機関の職員さんが、高齢の方の話を本当にどっしりと腰を据えて聞くんです。病院などでも、高齢の患者さんに呼び止められた看護師さんは、隣に座り込んで話を聞こうとします。最初、そんなことをしていたら対応にとんでもない時間がかかるんじゃないかとハラハラしたのですが、実際には逆で、すごくスムーズに話が進むんですよ。

──それはどうしてなのでしょうか?

頭木さん いつでも話しかけたらしっかりと受けとめてもらえるという安心感があるし、順番を待っている周囲の人たちもイライラしていないから、高齢の方も不要なプレッシャーを感じずにいられるのだと思います。焦らずにやりとりができる分、話が端的に済むことも多くて、回転が早い。これには本当にびっくりしました。

──高齢の方に限らず、人の多い都市部では特に、「迷惑をかけられたくない/かけたくない」というプレッシャーを感じている人が多そうですよね。

頭木さん そうですね。お互いに迷惑をかけ合うことを許容したら、大変なことになると考えている人が多いんじゃないでしょうか。でも、実際にはそのほうがよほどスムーズに社会が回るというのを、僕は移住してからずっと実感しています。

「感謝」を人に強要することの危険性

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──では、「迷惑をかけ合ってもいい」という価値観が社会の中に醸成されていくためには、何が必要だと思いますか?

頭木さん そういう価値観を広めようとするのは、なかなか難しいですよね。ただ、僕自身も長く入院していたので実体験として思うんですが、そういう空気がある社会のほうが、絶対にどんな人にとっても暮らしやすいのはまちがいないですよ。宮古島の人たちは基本的に、人にしてもらったことに対して「ありがとう」とそこまで大げさに言わないんです。

例えば、高齢の方が道を歩いて渡ろうとしていたら、たとえちょっとヤンチャな若者であってもしっかり止まって道を譲るんですが、おじいさんやおばあさんは特にお礼を言いません。それが当たり前なので、道を譲った若者が「感謝しろよ」と文句を言ったりすることもありません。高齢の方に限らず、重い荷物を持っている人の移動を手伝うとか、短い時間、人の子どもを見ていてあげるとか、そういうときにいちいちお礼は返ってこないことがほとんどです。

──ちょっとした親切は、するのも受け取るのも当たり前という感覚があると。

頭木さん はい。一方で東京に戻ってくると、電車で高齢の方に席を譲っただけで、譲られたほうは「ありがとうございます」と何度も言わなければいけないような空気があるように僕は感じます。座ったあとも電車を降りるときにもお礼を言われて、かえってこちらが申し訳なくなってしまうくらいです。

感謝を伝えることはいいことだと僕もかつては思っていたし、もちろん「ありがとう」というのは美しい言葉です。けれど、人のちょっとした親切に対して何度も繰り返しお礼を言わなければいけないような空気がある社会は、僕にとっては違和感があります。

──「親切にしてもらったのにお礼を言わないのはよくない」という考え方は、「きちんとお礼を言わない人には親切にする必要はない」という考え方にエスカレートしてしまう危険性があると、エッセイの中でも書かれていましたね。

頭木さん そうですね。親切にするのが当たり前、という空気があるほうが、親切にするほうもされるほうも精神的な負担を感じずに済むから、よっぽど楽だと思うんですけどね。

“迷惑”をかけられてみて、初めて気づくこと

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──自己責任論が浸透している現代社会では、親切にすることすらためらってしまうようなムードがあるのを感じることがあります。

頭木さん でも、親切な人って実際にはすごくたくさんいるんですよ。僕も入院していたとき、たくさんの人のちょっとした親切にとても助けられましたし。目の前に困っている人がいたら、思わず手を貸してしまう人がほとんどだと思います。親切にすることを自粛させられてしまうような、なんでも自己責任であるべきという空気があるのが問題ですよね。迷惑というものに対するネガティブなイメージが先行しすぎてしまっているのだと思います。

都会から宮古島に移住しようとやってくる人って多いんですが、なかには「迷惑をかけ合う」文化が受け入れられなくて移住を取りやめる、という人もいるんですよ。そういう方はたいてい、周囲からは迷惑を散々かけられるけれど自分はかけ慣れていないから、疲弊してしまうんです。ほかの人は家の都合でどんどん会社を休むけれど自分は休めない、しかも休み明けにお礼も言われないからストレスばかりがたまる……というように。そこで思いきって、自分も迷惑をかけてみたらいいんですけどね。迷惑をかけられる面白さというのもありますし。

──迷惑をかけられる面白さ、ですか。

頭木さん 人に手を差し伸べるとか、誰かの面倒を見るとか、迷惑をかけられてみて初めて気づくことって意外と多いと思いますよ。ちょっと違う話かもしれませんが、僕は宮古島に初めて来たとき、家のまわりから牛の糞のにおいがするのがすごく嫌だったんです。でも、ちょっと慣れてくると、自然のにおいがいたるところからするって豊かだなと思うようになったんですよね。

だから、あれもこれも嫌がって排除していこうと思うとどうしても神経質になりがちだけれど、慣れてしまえば面白くなってくることってたくさんあります。どんなことも自分の責任で、人に迷惑をかけるべきじゃない、という考えを突き詰めすぎると、自分が苦しくなるだけじゃないでしょうか。靴をピカピカに磨き上げると、ほんのちょっとの汚れも気になってしまうのと同じで。

自分の弱みを見せ合うことでつながり、お互いを思いやれる社会に

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──頭木さんのお話を伺っていると、思索を深めるうえで、闘病のご経験がとても大きかったことを感じます。病気や障害といった大きな困難を経験していない人の中には、困難は「自分の努力」で解決すべきだと言う人も少なくありません。そういった経験をしていない人であっても、個人の生きづらさに思いを馳せる手立てはあるのでしょうか?

頭木さん 病気や障害を体験していない人に、体験者の気持ちをわかってもらうことは基本的に不可能だと思っています。でも、体験していないことをどうにか言葉で相手に伝えようとする試みこそが文学だと思うんですよ。例えば、ある患者さんは自分の血管の痛みを医師に伝えるときに、「血管の中にガラスの粉が流れているようだ」と言ったそうです。詩人のような表現ですが、この言葉でどんな痛みかがなんとなく伝わってきますよね。だから、難題ではあるけれど、言葉を駆使することがひとつの突破口になるんじゃないかと思います。

それから、病気や障害ではなくともなんらかの困難を体験した人は、ほかの当事者とのつながりを深めていくのも大切ではないかと思います。僕は潰瘍性大腸炎という体の病気の当事者ですが、自分とはまったく違う病気や障害のある人と喋っていると、共通項が見つかってすごく話が盛り上がったりするんです。同じ病気の人同士で喋っていると、「自分にはこういう症状があるのにあの人にはないのか」というように、違いのほうが際立ってしまうんです。でも、違う病気や障害の場合は、普遍的に存在するつらさや大変さに対して共感し合える。お互いが違う体験をしていることを前提に他者とつながろうとする、というのはいい方法なんじゃないかと思います。

──なかには、自分の悩みや弱さを人にさらけ出すことに抵抗を覚える人もいるのではないかと思います。

頭木さん そうですね。身近な人にはなかなか話しづらいと思うので、最初はむしろ、身近すぎない人のほうがいいかもしれませんね。SNSやオンライン上のつながりもその一助になる可能性があると思います。個人の特殊な体験を突き詰めていくと、普遍的な悲しみやつらさにつながることはとても多いんです。自分とは立場も悩みもまったく違う人と、それぞれの弱みを見せ合うことでつながり、お互いを思いやれるようになるのが理想的だと僕は思います。

プロフィール写真撮影/八雲いつか イラスト/minomi 取材・文/生湯葉シホ 企画・編集/木村美紀(yoi)