「これって本当に必要?」「誰が決めたの?」と首を傾げたくなるような“暗黙のルール”や慣習、身近にありませんか? そうした暗黙のルールや慣習が維持されるメカニズムについて、社会心理学研究者の岩谷舟真さんにお話を伺いました。

岩谷舟真

社会心理学研究者

岩谷舟真

関西学院大学社会学部専任講師。博士(社会心理学)。興味関心は集団規範の維持メカニズム、社会環境と行動意思決定の関連など。日本心理学会、日本社会心理学会、日本グループ・ダイナミックス学会各会員。共著に『多元的無知:不人気な規範の維持メカニズム』(東京大学出版会)。

暗黙のルールを維持しているのは、根拠のない思い込み

暗黙のルール 多元的無知 人間関係-1

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──私たちが生きる社会には、さまざまな暗黙のルールがありますが、その背景にはどんなメカニズムがあるのでしょう?

岩谷 暗黙のルールを理解するうえで役立つのが、「多元的無知」という概念です。これは、ある集団内において、多くのメンバーはそのルールに賛成していないにもかかわらず、お互いに「他のメンバーはこのルールに賛成している」と相手の心を読み間違えたまま信じている状態を意味します。暗黙のルールの中には、このような多元的無知状態で維持されているものもあります。

──相手の心を読み間違えているということは、根拠がないまま「これがルールなはずだ」と思い込んでいるということですよね…。多元的無知はどうやって生まれるのでしょうか。

岩谷 多元的無知は、次の3ステップで生じると考えています。多元的無知状態の典型的な例として、日本における男性の育児休業取得率の低さと多元的無知の関連性を調査した研究(Miyajima & Yamaguchi, 2017)があるので、その例をもとに説明します。

1.他者の様子を観察する
「男性は育児休業を取得せずに働くものだ」という考えに否定的な人が、社内で育休を取得しない男性社員の様子を観察する。

2.他者の行動をもとに、他者の態度や、他者からの評価を予測する
育休を取得しない男性社員の姿から、「自分以外の人たちは、男性が育休を取得することを好ましく思っていないだろう」と間違った予測をする。

3.観察・予測した他者の態度をもとに意思決定を行う
やむをえず育休を取得せずに働く。 

私たちはなぜ「これがルールだ」と思い込む? 多元的無知が生じる理由

──そもそもの話になりますが、私たちはなぜ予測を見誤って「これが暗黙のルールだ」と思い込んしまうのでしょう?

岩谷 多元的無知が生まれる際のカギとなるのが、「人間関係の固定化」と「自分が所属する集団で評判を下げるリスク」です。

例えば、転職や中途入社をする人が少ない会社や引越しする住民が少ない地域、メンバーがほとんど変わらない学校での生活など、人間関係が固定化されて流動性が低い社会では、今つき合っている人たちとの人間関係を長期間継続させていくことになるので、周囲との関係が悪くなることや自分の評判が下がることによるリスクが大きいといえます。

ですので、もちろん育休取得を控えることによって家族と過ごす時間が減るなどの直接的なデメリットがあるとは思いますが、育休を取得して周囲から悪く思われるデメリットのほうが大きくなるケースもありえます。

このようなデメリットを避けるためには、周囲から嫌われる可能性を実際よりも多少高めに見積もってでも、無難な行動を取るほうが(この例でいえば育休取得を控えるほうが)リスクを避ける戦略として有効なのです。

実際、地域の美化活動に着目して行った我々の調査でも、近隣住民が長く住む社会の人たちほど、「地域美化活動をしないと自分の評判が悪くなるかもしれない」という可能性を高めに見積もり、結果として地域美化活動を行っていることがわかっています。

──もちろん地域差はあると思いますが、終身雇用制度は崩れつつあり、あらゆる場面で「個」が重視される時代でもあります。そう考えると、日本社会の流動性は高まりつつあるといえるのでしょうか?

岩谷 流動性とは、他の人とかかわる機会がどれだけ多いかということなので、終身雇用というシステムが前提ではない現状を考えると、流動性は高まっているといえるかもしれません。また、集団の目標よりも個人の目標を優先する「個人主義」にまつわる研究では、日本における個人主義の程度が上がっているという研究データもあります。

──日本の場合、「女性は◯◯である・するべき」といった家父長制にもとづくジェンダーロールのプレッシャーも、予測を見誤り、暗黙のルールだと思い込む原因となるのでしょうか?


岩谷 それはどちらかというと、「『女性は◯◯だ』というステレオタイプがみんなの中で共有されている」と思い込んでいる状態ではないかと思います。

「思い込んでいる」という言葉を使ったのは、一人一人が女性に対して本当にその役割を期待しているかどうかわからないからです。もし「自分はそう思わないけれど、おそらくまわりの人は期待しているのだろう」とお互いに思い込んでいるのであれば、それは多元的無知が生じているといえるでしょうね。 

多元的無知に気づくためにはどうしたら?

暗黙のルール 多元的無知 人間関係-2

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──岩谷さんの共著『多元的無知:不人気な規範の維持メカニズム』では、いわゆる“日本人らしさ”や“日本の美点”とされてきた相互協調性の多くが、実は多元的無知によって維持されている可能性があると書かれていて驚きました。この相互協調性とは、例えば「調和を重んじる」といったようなことでしょうか?

岩谷 相互協調的な振る舞いの例としては、下記のようなことが挙げられます。

・人と意見が対立したとき、相手の意見を受け入れることが多い
・仲間の中での和を維持すること、自分にふさわしい立場をとることを重要視する
・その場の状況や相手に応じて、態度や行動を変える

こうした振る舞いが、実はそれぞれの個人が賛成しているわけではない多元的無知状態によって維持されている可能性があるということです。

──今までのお話を踏まえて考えると、確かに相互協調的な振る舞い=集団内の評価を下げない行為といえますね。裏を返せば、正直な意見を言いづらい状況というか。例えば、「みんなやっているから」といった曖昧な理由も、多元的無知に気づくきっかけとなるものでしょうか?

岩谷 「みんなやっているから」というやりとりが起こる状況を考えてみると、例えば「育休を取得しない」という謎のルールがある職場で、同僚に「なぜ育休を取らないの?」と素朴な質問をした際、多くの人が「自分は育休を取得したいけど、みんな取得しないから…」と答えるような場面がその一例かなと思います。

多元的無知とは、ある暗黙のルールが多元的無知状態にあることを一人一人は気づいていない状況です。ただ、前述のような形で多くの人と質問などのやりとりをしていくと、謎のルールが多元的無知状態で維持されていること、つまり職場の一人一人は育休を取得したいのに「周囲は育休に反対だろう」と思って取得できずにいる、ということに気づくことができるかもしれません。

構成・取材・文/国分美由紀